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果てしない悪夢
何を語ろうとも全ては消費される物語。
誰が演じようと結末の定められた茶番。
その男は異世界にて主観的にも客観的にも幸福だった。
元は普通の高校教師だったが、偶然にも生徒達に巻き込まれて異世界に転移した。残り物ではあったが神の祝福を得て、守り切れなかった命も多々あったが勇者として覚醒した教え子達を導き魔王軍を倒した。
男は王国一の賢者として認められ、褒美として広大な領地も貰えたしお姫様の一人を妻として手に入れた。平和となった世界で何不自由ない生活を送る中、子宝にも恵まれて魔法研究の事業も順調だった。騎士団への入隊が内定した長男、上級冒険者として朗らかに旅立った次男と長女。末の娘も王立魔法学園に首席で入学など誉高い実績を積み重ねていく沢山の子供達。父として見守る中、男は元の世界に残した両親をふと思い出す。突然の別れだったから感謝の一つも言えなくて、育ててくれた恩を返す為の何も残せなかった。
未練を一つ思いつけば連鎖するように次々と元の世界でやり残したことが浮かんだ。遥か遠い過去となって思い出が美化されたせいか、或いは単なる無いものでねだりかもしれない。今その掌にある幸せと天秤にかけるべきか否か、もっと熟慮すべきだったろうに。
それでも男は気付いたら禁忌とされる時空間魔法の開発に着手していた。全盛期の姿で元いた世界に戻ることを夢見てしまった。強い願望の元、試行錯誤しながら世界を渡る術を探す大賢者。雲の上から全てを観ていた神は微笑みながら優しげに手を差し伸べた。
魔法陣が起動して捻れた時空が繋がる。
虹色の扉を通り抜け、男は世界を越える一歩を踏み出す。夢から醒めるような感覚は刹那、静かに目蓋を開いた。初めに視界に映ったのは学校らしき建物。子供の頃に通っていた校舎ではないし、教師となって赴任した小学校や高校とも異なる。それでいて不思議と懐かしさを錯覚させる光景だった。
次いで空を仰げば爽やかな春を想起させる青。甘やかな花の香りを鼻腔に感じて辺りを見回せば外周を囲む桜並木。気分は清々しくて、何となく身体まで軽かった。それもそのはず、中年も過ぎる年代に差し掛かっていた肉体は世界線を越えると同時に異世界に召喚された頃の二十代の姿に戻っていた。大賢者は異世界の神に心の中で感謝する。
男は校庭の真ん中に立ち、暫し心地好い微風に肌を撫でられるままにしていた。魔術師の礼装を簡略化した普段着は温度も調節可能だが、春っぽい気候は何もせずとも快適だった。
「そんな無防備で大丈夫?」
突如として背後に現れた気配に慌てて振り向く。
「何者……ッ!?」
誰何の声は半端に途切れる。警戒する視線の先には白銀の髪を柔く靡かせた少年が立っていた。
怪しく艶めく金の瞳は仄かに煌めいて、その下には形の良い鼻梁と潤いのある珊瑚色の唇がある。若々しく中性的に整った顔立ちは異世界で綺麗な人間や亜人種を見慣れた男も思わず息を飲む程の美姫の容貌だった。それでも一目にしてすぐ男と判別できたのは裸体を晒していたからだ。辛うじて臍下から太腿の半ばまでは朱色の布で隠されているが、透き通るような瑞々しい肌と程よく鍛えられ均整のとれた筋肉が眩しい。
芸術品のような完成された姿に圧倒されながらも男が問い掛ける。
「君は、ここの生徒か?服はどうしたんだ?」
少年は嘲弄とも憐れみとも取れる微笑を浮かべた。そして真珠のような歯をちらり見せながら語り出す。
「オレのことより自分の未来を心配しなよ。始業の鐘はアンタには聞こえないだろうけど、あの時計が九時になったら終わりの幕開けだ」
細い指が差したのは校舎の方ではなく真上だった。見上げれば遥か天高くに超大な時計の文字盤が浮かんでいる。青空に棚引く雲でできたように数字も針も真っ白だ。
「……どうして空にあんなものが」
「残り一分もないから手短に言うぞ」
少年が疑問を断ち切るように鋭い声を発し、男は蒼穹に浮かぶ巨大な時計の針と数字から目を離した。
「ここはアンタが望む世界じゃない。とりあえず生き延びたいならインフィニティセイバーズを倒せ。奴等は正義の執行者にして狂楽の処刑人だ。導きを得られるかはアンタ次第」
「処刑だって?僕は何も悪いことしてないのに」
「自分の体臭は分かりにくいっていうけど鬱陶しい神の匂いに気付いてないようだね。与えられた祝福は今や呪いさ。いつでもどこでも異物は排斥されるのが常ってワケ」
「……自分が元いた世界に戻って来ただけで排除されないといけないのか?」
「異世界に馴染んでしまえば存在も変質するだろ。まあ、悔やんでも全ては遅過ぎる……残念ながら開幕の時間だ」
少年が目線を校舎に向ける。倣って顔を上げた男は学校の屋上に起立する五つの人影を認めた。
魔力で強化された視覚が敵を明瞭に捉える。それは赤、青、黄、緑、桃色。日曜日に活躍する戦隊ヒーローみたいな格好をした者達だった。
「……たしかインフィニティセイバーズって言ったか?まさか、あの人達が?」
男は尋ねたが少年は忽然と姿を消していた。
「現れたな悪しき界人め!」
勇ましい青年の声が響く。屋上から五人がくるくる何度か回転しながら飛び降り、唖然とする男の前方に華麗なる着地を決めた。
「いや、僕は怪人じゃなくて」
戸惑う男を赤い戦士がビシッと指差す。
「世界の秩序を守るため、我らインフィニティセイバーズが貴様を成敗する!」
男は怪人ではないと否定しようとするが、既に倒すべき界人と断定している五人は聞く耳を持たない。
「ちょ……こっちの話を聞いて」
嘆願の声を遮るように軽快な音楽が空気を震わせる。そこそこ爆音で鳴り響くのはインフィニティセイバーズのオープニングテーマだ。老若男女の肉声を混ぜて捏ねて強引に纏めたような奇怪な歌声は耳を塞いでも鼓膜に張り付く。煽るような打楽器のリズムに合わせて五人が珍妙な振り付けで踊っている。今のうちに逃げるかと思った男だが、どうしてか目が離せなかった。金縛りでも受けたみたいに足も動かない。魅了に近い効果でもあるのだろうかと疑い五人組や周囲に対して鑑定眼を発動したのだが何も視えなかった。
そうこうしている間に正しさを主張する曲は終盤。
「王道を征く!レッドセイバー!」
赤の戦士が日本刀を構えて意気揚々と叫ぶ。
「外道も道の内さ。ブルーセイバー」
青の戦士は槍を華麗に操りながら呟く。
「お前を前衛芸術にしてやるよ!イエローセイバー!」
黄の戦士は黒光りするぶっとい鉄の棍棒を軽々と回していた。
「爆発なら任せとけ!グリーンセイバー」
快活に笑う緑の戦士は信じ難いことに手榴弾みたいな物体を持っている。
「……神なんか必要ねえんだよ……ピンクセイバー」
桃色の戦士は男が見た事のない十字型の武器を手にしていた。
それぞれポーズを決めながら名乗りを上げる五人組に男は冷めた視線を投げる。
「君達の事情は知らないけど、殺意を込めて武器を向けるのなら僕も容赦はしないよ」
常時発動型の五感補助に加えて筋力強化魔法を起動、斬撃打撃への耐性を獲得。自身の周囲には障壁を張り、攻防一体の四属性合成魔法陣を左右に複数展開しておく。
「魔法使いか、イイね!映えるじゃん」
空中で色鮮やかに輝く魔法陣を見てレッドセイバーが笑う。他の四人も口元に笑みを形作る。
「俺らに負けず派手に立ち回ってくれよな」
グリーンセイバーが応援じみた発言をする隣でイエローセイバーは親指を立てて無言。
「頼むから簡単に殺されないでくれよ?せめてランカーに回るまでは頑張れ」
「余計なこと喋るな、レッド」
愉快そうに口にしたレッドセイバーをブルーセイバーが窘めていた。ピンクセイバーは欠伸を噛み殺してから気怠げに声を掛ける。
「……さっさと始めようぜ。どうせ結末は見えてんだ」
「そうだな。んじゃ戦闘開始!」
レッドセイバーの真剣さのない号令を合図に五人の雰囲気が切り替わる。なぜかピンクセイバーは鎖鎌に武器を変更していた。
「作戦通りに頼む。敵が混乱している間が狙い目だ」
「同意。一気に畳み掛けよう」
レッドセイバーの発言にグリーンセイバーが賛同を示す。男は違和感を覚える。二人の声色は先程と同じなのに何か異質な気がした。
他の三人が頷き、男に向かって走り出す。表情はコスチュームのせいで見えないが明確にして軽薄な殺意が伝わってくる。大柄なイエローセイバーか見かけによらず俊敏に距離を詰め、長大な棍棒を振り降ろす。頭部を狙った攻撃は真面に喰らえば致命的だろう。男は苦々しく呟く。
「マジで殺る気かよ」
正面から堂々と仕掛けてきたイエローセイバーの一撃を魔力障壁は難無く受け止め弾き返す。大柄な青年はよろめいたが、引き下がるでもなく壁になるようにしてその場に立っていた。ガタイの良いイエローセイバーの後ろに隠れて迫っていたピンクセイバーとブルーセイバーが飛び出し左右からの挟撃を繰り出す。しかし左からの鎖鎌も右からの槍も障壁に阻まれてしまう。
「やっぱ全方位か」
「防壁とかウザイ」
無感情に愚痴を零しながらも素早くブルーセイバーとピンクセイバーは後退する。
「壊れるまで何度でも叩けばいい。攻撃し続けろ」
「うっす」
レッドセイバーの指示にイエローセイバーが頷き男に向かって棍棒での連撃を打ち込む。魔法陣が沈黙を保っているのを見てブルーセイバーとピンクセイバーも刺突や斬撃を繰り返す。
「物理耐性もレベルMAXだし何度やっても無駄だと思うけどな」
力の差は明らかだ。故に男は攻撃に転ずることを躊躇っていた。異世界では魔王討伐にも大きく貢献した大賢者にとって、目の前の五人組は例えるなら盗賊かEランク冒険者か。要するに底辺、低級魔法でも一発で死なせてしまいそうなくらいには脆弱。
「うーん……どうしようかな」
この世界は何かおかしい。これだけ騒いでるのに警備員も来なければ通報された気配もない。学校は休みなのか見物に来る野次馬の一人もいない。銀髪の少年が言っていたように、どうやら元の世界とは違うようだ。
男は思案する。正体不明の彼等から情報を聴き出したいところだが、展開していた魔法陣での攻撃だと生け捕りは難しい。最低限に威力を抑えても相手は死ぬだろう。ならば一時的に魔力障壁を解除して催眠魔法か物理攻撃で無力化するしかない、ちょっと苦手分野だけど。
「準備完了。三人とも後退しろ」
グリーンセイバーの掛け声に攻撃を連発していた三人が一斉に飛び退く。男の視界には勢い良く投げ込まれる無数の手榴弾が映る。
「魔法陣ごと爆ぜろ」
「……戦隊ヒーローの戦い方じゃないでしょこれ」
男の呆れたような呟きは爆風に飲まれた。数十個の手榴弾が連鎖的に爆発した威力はとてつもなく校庭の地面は削れていた。もう少し校舎に近ければ窓硝子も割れていたことだろう。
「やったか!?」
イエローセイバーが最早テンプレじみた台詞を放つ。
「なんかゴメン……魔力障壁も魔法陣も爆撃くらいで消える程弱くないんだ」
舞い上がる砂埃の合間からは申し訳なさそうな男の声。無傷の防壁と不動の魔法陣を目にした四人は不敵に笑う。
「確率収束、無効対象設定」
凛とした声が静かに響く。男の首筋に寒気が走る。
レッドセイバーは一人、爆発に構わず距離を詰めていた。コスチュームは熱と衝撃で傷み、所々破れた箇所から血が滲む。予想外の行動だが障壁を破壊する力はないだろうと男は冷静さを取り戻す。回避など不要、渾身の一撃ならばこそ受けてあげよう。力の差を理解して士気を失ってくれれば丁度いい。
自分は大賢者つまりは強者だという奢りが、圧倒的弱者からの攻撃に対して逃げを選択肢に取り入れることを許さなかった。
「飛躍式・乱」
流れるような動作で妖刀が振り抜かれた。
魔力障壁は健在。だが放たれた斬撃は壁を透過し、その切っ先は男に届いた。何かの間違いみたいにレッドセイバーの妖刀は粒子も魔素すらもすり抜けて、大賢者の頬のみを深く傷付けた。壊れてはいない障壁内で血飛沫が散る。痛覚刺激と驚愕により男の顔が歪む。
「精度が足りなかったか。しかし次は殺せる」
淡々と言いながらレッドセイバーが刀身を軽く振る。透明な雫が迸り血を洗い流すのを確認してから妖刀を鞘に戻す。
余裕ぶったレッドセイバーを男は黙り込み睨み付けていた。片手で頬を拭えば鮮血のぬるい感触に濡れた。脈打つような痛みがこれは現実なのだと物語る。他者に傷付けられるのは随分と久しぶりだった。
侮っていた相手から受けた予想外の苦痛により瞬間的に怒りや恐れ、羞恥といった感情が膨れ上がる。大賢者の魔力濃度が跳ね上がった。異変を察してレッドセイバーが即座に後退する。
「……雑魚の分際で僕に傷を」
真紅のオーラを纏い大賢者が震える声を発した。男の心中で泡沫のように浮かび上がった殺意を魔法陣が感知。主の意図を汲み自動的に五人組を排除すべき敵と定め攻撃魔法を起動。荒ぶり燃えるような情念を表出するが如く紅蓮の業火と渦巻く暴風が複合的に生成される。
「あ、不味いなこれ」
「やべーっす」
慌てた様子もなくグリーンセイバーとイエローセイバーが顔を見合わせる。
「こうなると無理だね」
「お疲れ様でした」
ブルーセイバーとピンクセイバーも防御する気もなくその場に佇んでいる。
「惜しい所まで行ったけど終いだな」
燃え盛る竜巻を目前にしてレッドセイバーの口振りは差程残念そうでもない。
インフィニティセイバーズの五人に一片の悲壮感もなく、寧ろ堂々と猛火の暴嵐による終わりを受け入れていた。死を悟ったような無抵抗というか無関心だろうか、男がもう少し冷静だったらこの時点で異常と思えたかもしれない。
五つの人体は颶風に飲まれて舞い上がりながら紅蓮の焔に焼かれていく。真紅の竜巻の内側、炭化して焼け落ちていく寸前の唇が歪んだ笑みを作る。今頃は勝ち誇っているかもしれない界人の末路を想うと可哀想なくらい滑稽だった。レッドセイバーだった者は呟く。
「結末は変わらない。正義は必ず勝つのさ」
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