果てしない悪夢

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役目を果たした魔法陣が消失する。 気付いたら校庭は滅茶苦茶、学校まで半壊していた。中に誰もいなくて良かったと男は安堵する。 「……やってしまった。あの人達、影も形も残ってないじゃないか」 僅かな灰が地面に降り積もっている。 この世界について知る手掛かりを失って男はがっかりしていた。うっかり命を奪ってしまった罪悪感は少しあるけど、相手もこちらを殺そうとしていたから正当防衛のはずだと自分を納得させる。 今後の方針について考えながら男は身を整える。治癒魔法で頬の裂傷を塞ぎ、洗濯魔法で顔や服に付着した血液を取り除く。 「とりあえず外に行ってみようかな」 桜並木の向こう側に視線と意識を向けた男の後頭部を狙って何かが投擲された。常時発動している五感強化により察知した男は顔を傾けて紙一重で回避する。 「……これは」 当たることなく地に落ちた十字型の武器には見覚えがあった。いつの間にか現れた五人分の気配に嫌な予感を抱きながら男は向き直る。 「十手って投げるモンだっけ?」 「壁なしの今がチャンスと思ってつい焦っちゃった。回収しに行くから援護よろしく」 グリーンセイバーが笑いながら質問すればピンクセイバーも照れ笑いで答える。 「じゃあ俺が(これ)ぶん投げて気を引くっす」 「やめとけって。新たに回収の手間掛けんな」 イエローセイバーが巨大な戦斧を掲げるのをブルーセイバーが止める。 「……インフィニティセイバーズ?まさか生き延びていたなんて」 殺せていなかったことにホッとしたのも束の間、災害級の魔法を受けてなぜ無事なのか疑問が湧き上がる。 「否、一戦目の五人は貴方に殺害されました」 訝しむ男に事務的に伝えたのはレッドセイバーだった。まるで初期化したみたいに無傷の姿で、双剣を構えて立っていた。 「回復魔法でも使ったのか?ってか、口調もなんだか違うな……まさか別人?」 「嗚呼、そうだった。できるだけイメージは崩さないようにしないとだな」 男とレッドセイバーが会話している間にちゃっかりピンクセイバーは十手を回収していた。 「では改めて。インフィニティセイバーズ参上」 五人は謎の決めポーズを披露した。背後では小規模な爆破が起こり、五色の煙が意味もなく噴き出す。 男はその隙にと隠蔽解除スキルも併用して鑑定眼を使う。魔力を宿した瞳でレッドセイバーズを注視した瞬間、目から頭にかけて激痛が走る。敵前でこれは不味いと思いながらも立っていられずにへたり込む。 「ぐぅ!?痛ってえ!……何だよこれ?」 いきなり地面に膝を着き両目を手で抑え苦しみ始めた男を見て、五人は困ったように顔を見合わせる。 「えっと……どーする?今のうちに凹る?」 ピンクセイバーが言ってみたもののその気はなさそうな感じで提案する。 「不意打ちはギリセーフでもさ、明らかに弱ってる所をリンチするのは正義っぽくなくね?」 「何故あの界人は眼痛に悶えているんだ?俺たち何もしていないよな」 正義の味方らしさを熟考するグリーンセイバーの隣でブルーセイバーは怪訝そうに男を眺めている。 「……もしかして、よく魔法使い系の界人が保有している鑑定スキルを行使したのかもしれないな。個人情報を覗き見る禁忌の能力だ。この世界では制限されていて、初回は誤作動の可能性もあるから見逃してもらえるが二度目からはペナルティがあるとか」 レッドセイバーが興味深そうに男を見つめる横で、イエローセイバーは男を指差して盛大に噴き出していた。 「ウッソだろお前?覗き見でお仕置されたのかよ!陰湿な変態野郎だな。つーか一度目で使えなかったならダメなんだって察しろよ」 斧を脇において抱腹絶倒するイエローセイバー。 「イエローは笑い過ぎだが……どんな相手だろうと個人情報は慎重に扱うべきだし、勝手に盗み見るなんて言語道断だよな」 だから界人の個体名も公表されていないのに、とブルーセイバーが小さく呟く。 「そんな基本的なモラルもないなんて……やはり界人は悪性、殲滅すべき世界の敵ですわ」 「おいおい、素が出てるぞ。ちゃんとピンクセイバーに成りきれ」 グリーンセイバーが親しげにピンクセイバーを小突く。 痛みを堪えながらも男の聴覚は不可解な五人の会話を拾っていた。 「今のうちにフィールド修復もしておくか?」 ふと思いついたようにグリーンセイバーが提案する。 「瓦礫とか使えるかもだし今のままで構わないよ。どうせ繰り返していればまた壊れるだろうしな」 アイツが何度目で終われるかは知らんけど、とレッドセイバーは嗤った。 「おーい!そろそろ目の痛みは治まったか?」 「……お陰様で」 レッドセイバーが朗らかに問い掛けるのに、男は何とも言えない気持ちで恥ずかしげに応えた。落ち着くまで待ってもらえて助かったのは事実だが、感謝するのも違う気がする。とにかく鑑定眼はもう二度とこの世界では使わないようにしようと決意した。 「よし。んじゃ始めよう第二ラウンド!」 宣言するレッドセイバーの左右に他四人が横並びに展開し武器を構える。男も気を取り直し、筋力強化や耐性強化の魔法を肉体に施す。今度こそ物理攻撃で無力化して、それから彼等の知っていることを聞き出そう。行動指針を定めた大賢者は動き出す。 複数相手なら真っ先に強い奴を排除し、敵勢力の士気を下げるのが得策と判断。狙いをレッドセイバーに絞る。素早さも高めた脚力で駆け寄り腹部を狙って拳を打ち出す。 「へえ?そう来るか」 男の拳打をレッドセイバーは危なげなく刀の柄で受け止めた。弾き返した直後に刃が閃き、男が後ろに飛び退いて斬撃を躱す。 「そっちが壁使わないなら一対一(サシ)で闘ろう」 レッドセイバーは言いながら双剣を鞘に納めた。 「……え?どういうつもり?」 困惑する男を他所にレッドセイバーは他の四人に笑いかける。 「事前の打ち合わせ通りだ。こっからはソロでよろしく」 「別に構わないけどさ、武器までしまっちゃうのは流石にカッコつけ過ぎじゃない?」 「まあ、ヒーローは格好つけてなんぼだろ」 ピンクセイバーとグリーンセイバーは距離を置いた所で適当な瓦礫を椅子代わりにして座った。男は意味不明といった顔でぽかんと眺めている。 「レッドの次は俺がイクっす」 「俺は最後でいい。皆で体力削っといてくれ」 イエローセイバーとブルーセイバーも離れて見守る。 「これで邪魔は入らない。二人きりで楽しもうぜ」 「態々自分達の有利さを捨てるなんて……僕としてはやり易くなって嬉しいけど後悔しないでくれよ」 「何言ってんだ?そっちが不利なのは変わらないだろうが。悪い界人は負ける、コレ確定事項だから」 莫迦にするように言い放ったレッドセイバーは軽く足を開き、やや腰を落として拳を構える。教科書通りみたいなボクシングの構えだが格闘技に詳しくない大賢者には分からない。異世界の軍隊で近接戦闘の訓練も受けてそれなりに戦うことはできても、魔法戦を主体とする男にとって肉弾戦など得意分野であるはずがない。そもそもスポーツ格闘技みたいな確立された技術体系は異世界にはなかったし、強いて言うなら喧嘩殺法だろうか。とにかく急所を殴る蹴る、容赦無く打つべしと荒くれ者な騎士団長もそう言っていた。 「……行くぞ」 一度深呼吸して、男は構える。 「イイよ、早く来いよ」 挑発するように拳を揺らすレッドセイバーへと一歩で距離を詰め、大賢者は鋭い上段蹴りを放つ。相手は側頭部狙いを読んでいたのか腕で完全に防御し、男が僅かに体勢を崩した所にジャブの連撃。何発か貰いながら防げるものは防いで後退する大賢者をレッドセイバーが追う。逃げと思われるのを嫌った男はその場で足を止めて迎え撃つ。攻撃を重視したインファイトの殴り合いに移行、互いに被弾しながらも人体の正中にある各急所への決定打は辛うじて避けていた。 コスチュームに隠れていても至近距離で観察すればレッドセイバーの肉体が鍛え上げられているのは一目瞭然だ。筋力もあるし柔軟性や耐久性にも優れている。有効打を与えても一瞬動きが止まるくらいで苦痛を表には出さないし疲れる様子もない。しかし男の顔に焦りはなく、レッドセイバーを脅威と思うこともなかった。 大賢者は魔法で膂力を強化している他に防御力も底上げしている。骨密度上げたりとか関節の柔軟性を増したりとか、異世界の魔法で加齢による機能低下を改善できないかと独学アンチエイジング魔法を研究した賜物でもある。とはいえ専ら戦闘に役立つのは皮膚表面に施した透明の極薄魔力障壁だ。例えるなら衣服の中に不可視の鎧を着込んでいるようなものだ。レッドセイバーの重い拳打を食らってもダメージはそれ程でもない。鳩尾に綺麗に入った時には吸収し切れない衝撃で息が詰まったが、顎にでも貰わない限り行動不能に陥ることはないだろう。 撃ち合いは互角に見えたが、終わりは唐突に訪れた。 「ッ!?」 股間を狙った前蹴りにレッドセイバーはギリギリで反応した。男は蹴りを止められて尚も押し込もうとする。両手で男の足を押さえながらレッドセイバーは怒りの声を上げた。 「卑劣な真似しやがって」 格闘技を知らない大賢者でも金的は反則であり、卑怯と思われる攻撃だとは理解している。だからこそ勝つ為に実行した。レッドセイバーに勝てたとしても次の戦いが控えている男としては、正々堂々真正面から殴り合って疲労とダメージを蓄積させるなんてことは避けるべきだ。少年漫画みたいな全身全霊の力を尽くした肉弾戦は嫌いじゃないけど、連戦を控えているとなれば話は別だろう。加えて内心をぶっちゃければ悪者だの怪人だのと勝手に決め付けられ大賢者は腹が立っていた。 「悪役が悪役らしく振舞って何が悪いんだ?」 開き直って吐き捨てた男は、蹴り足とは反対の足に魔力を込めて脚力を更に強化。片足を押さえ込むレッドセイバーの両手を踏み台にして大賢者が飛び上がる。顎先を狙い渾身の膝蹴りを食らわせた。レッドセイバーが仰向けに倒れる。 「……悪者が負けるのが確定事項なら、負けたそっちこそが悪ってことになるのかな?」 気絶して動かないレッドセイバーを見下ろし、態とらしく首を傾げてみせる大賢者。インフィニティセイバーズの残る四人は二人の決着を特に興味無さそうに眺めていた。 「まーそう簡単にはいかないよね」 「消耗はしているようだし欲張らず繋げればいい」 ピンクセイバーとグリーンセイバーは椅子代わりの瓦礫に腰掛けたまま相談していた。立ち見していたブルーセイバーが隣に声を掛ける。 「界人に休む時間を与えるな。行け、イエロー」 「うっす。次は俺が相手だオッサン」 イエローセイバーが右肩に戦斧を担いで進み出る。 「黄色い君は……さっき腹を抱えて僕を笑い飛ばしていたよね」 振り返りイエローセイバーを視認した大賢者は作り笑いを向けた。鑑定眼を二回使用したペナルティの激痛の中でも、己を嘲り愚弄する者を男は覚えていた。 「んー?ああ、そっすね。お前のせいで腹筋崩壊寸前でさ、今思い出しても笑っちゃうぜ」 「そうか。寸前なら良かった」 「は?何がだよ?」 イエローセイバーの眼前から魔術師風の格好をした男の姿が消えた。次の瞬間、斧を持つ右腕に重い蹴りが炸裂。衝撃にガタイの良いイエローセイバーが吹っ飛ぶ。武器は手からすっぽ抜けた。凸凹の校庭で何度か転がって止まると、即座にイエローセイバーは起き上がり怒声を発した。 「クッソ!不意打ちとかマジムカつくなこいつ」 「僕が速過ぎて見えなかっただけでしょ」 すぐ近くに佇む大賢者に、イエローセイバーは慌てて顕現させた棍棒を突き出す。男は軽やかに回避、イエローセイバーが立ち上がるのを待っていた。 「舐めやがって。殺されてえかお前」 「それはこっちの台詞なんだよね。君にはイラッときたから少し本気出して……物理的に腹筋崩壊させてあげるよ」 大賢者は刹那の間にイエローセイバーの懐に潜り込む。両手に持った棍棒で防御しようとするのを蹴りで弾き、腹部に拳の連打を撃ち込んでいく。イエローセイバーは腹筋に力を込めて耐えていたが三十発を超えるかってところでもう駄目だった。 「中々硬い。見た目通り良いガタイしてるね」 分厚い腹筋もパンチ連打で凹々にされて、血反吐を吐いたイエローセイバーが白目を剥いて気絶。どすんと音を立てて無様に倒れ伏す。 「死んではいないけど戦闘不能だ。次は誰かな?」 残る三人へ尋ねる声に喜色が混じる。大賢者の纏うオーラが仄かに増していた。バトルの高揚感というか相手を打ちのめす快感によって興奮気味になっているようだ。肉体が全盛期に戻っていることも一因だろう。平和な世界で穏やかな中年紳士として振舞っていた男の人格はここにはもういない。今や魔王軍との苛烈な戦争をしていた頃の記憶も鮮明に、生き延びる為にはなりふり構わず戦い抗うしかないといった心境に回帰している。溢れる魔力で空気さえ変質し、男の変化を感じ取った三人は敵を注視したまま会話する。 「なんかソロとか言ってらんないみたい」 「三人で殺るか。俺が前に出るから援護任せた」 「銃の性能を試せるなら何でもいいよ」 ピンクセイバーとグリーンセイバーは立ち上がり武器を構える。槍を手にしたブルーセイバーが男に向かって走り出す。的確に心臓を狙った突きを大賢者は横に跳ねて避けた。 薙ぎ払うような槍の一撃を潜り抜けた男が拳を突き上げる。バックステップで避けたブルーセイバーは槍を回し、柄で大賢者の頭部を狙う。お互いにまだ様子見のような攻防の合間に銃声が混じる。 グリーンセイバーが銃弾を立て続けに五発とも撃ち込むが、全ての弾は的を外していた。男が回避したわけでもなく単純に狙いが逸れていた。 「当たらねー。結構難しいな」 グリーンセイバーが銃弾を新たに装填しながら舌打ちする。 「新しい武器を試すのはいいけど味方を撃つのはやめてくれよ」 ブルーセイバーは呆れたように笑いながら敵に向けて速度を上げた刺突を放つ。紙一重で躱した男が一瞬で距離を詰めて撃ち込んだ拳をブルーセイバーが余裕そうに回避。大賢者はフェイントを入れたり緩急つけたりして仕掛けるがその都度ブルーセイバーは冷静に受け流していた。 途中で何度かグリーンセイバーの援護射撃があったがいずれも命中には至らない。よく見れば撃つ瞬間に思い切り銃身がぶれていて、放たれた弾は明後日の方向に疾走している。とんだクソエイムだ。掠りもしない銃撃を大賢者は気にしないことにした。拳銃程度なら当たったところで体表面のバリアで防げるだろう。ロケットランチャーやミサイルなら流石に危ないけど、それはないよなと男は内心で笑う。 ブルーセイバーが先に機動力を削ごうと大腿部を狙った一撃を放つ。突き出された長槍の柄を踏み台にして飛び上がった男が空中から蹴りを繰り出す。今度こそ意表を突いたと思った大賢者だが、素早く回転させた槍でブルーセイバーは防御した。男が感心したように呟く。 「君、結構速いんだね」 「悪いが俺に界人とお喋りする趣味はない」 ブルーセイバーは後方に跳び大賢者から距離を置いた。 「条件は満たした。換装・三叉槍」 男に向けて突き付けた槍の穂先が碧く輝く。紺碧の光が消えた後には三叉槍が顕現していた。ブルーセイバーが力を込めて柄を握る。三つに分かれた先端を、慢心と警戒心の間で逡巡する大賢者ではなく地面に突き立てた。 「範囲及び深度設定。限定解放・界震戟(かいしんげき)」 ブルーセイバーが冷淡な声で無感情に唱えた。直後、男は地震に似た揺れを感じた。三叉槍を起点として扇状に地割れが生じる。いや、正確に例えるなら地面が剥がれていくようだった。堪らず風魔法を足に纏わせて大賢者は空に退避した。飛散する石の礫が当たらないよう地表から二メートル程上に滞空。 「少し驚いたけど効果範囲は狭いようだね」 風の力で浮かぶ大賢者は平気そうに微笑み、安全地帯を見極める。空中を移動して着地しようとした男が不意によろめいた。ぐらりと傾く景色に目を瞠る。ぽかんと開いた口からは間抜けな声が無意識に漏れ出た。 「は?」 靴越しに小石のような感触があった。しかもそれは固定されたように頑として動かなくて。真面に爪先を引っ掛けた大賢者が思い切り前方へ倒れそうになる。 「嘘だろ」 何も無いはずの虚空で石ころに躓くなんて有り得ない。ましてや人前で間抜けに転ぶなんて格好悪い。これは何かの間違いだよね?と男は脳内で誰へともなく問いを投げた。傾いだ顔に風を感じる。 「……もらった」 微風に紛れるような囁きには喜悦が滲んでいた。 大賢者の見開いた右眼に十手の先端が直撃する。
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