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無限の救世主
自分自身が救われたがっているから他者に救いを与えようとする。救われるために善を為そうとして、悪に飢えた正義の味方が生まれる。
誰もいない街に黄昏の鐘が鳴り響く。
青と朱色が混じる空の下、ビルの屋上に勇者は立っている。転落防止の柵の上に堂々と仁王立ちし、どこか懐かしくも別物となっている街を見渡していた。
「俺の故郷はいつからこんな面倒臭い世界観になったんだ?まだ未知のウイルス感染でゾンビに溢れていた方が納得できたぞ」
眼下に広がるありふれた街並みは今や惨状。倒壊した建造物が目立ち、あちらこちらで炎や煙が上がっている。道路もまた舗装が剥がれていたりアスファルトに亀裂が入っていたりと散々だ。破壊の主な原因は勇者なのだが。どうやら住人はいないので人的被害はないと言えた。まぁ奴等を人と数えるなら話は変わるか、なんて勇者は独り言ちる。
「どーもインフィニティセイバーズでーす」
レッドセイバーのおどけたような声を合図に五人が奇怪なポーズを決める。近くの公園に目を止めた勇者は背後に集う五人を振り返ることなく応える。
「随分と遅かったな。もしかして下から階段で来た?」
景色の一部として在るだけの墓標じみたビルに電気が通ってるはずもなく、エレベーターは扉だけの飾りだった。高層ビルの階段を一番下から屋上までひたすら駆け昇る戦隊ヒーローを想像した勇者はふっと噴き出した。
「五人揃って仲良く十三階分を登って来たとか笑えんね。ご苦労さん」
「お前もそうだろ。飛行能力を持たないことは知ってるんだからな?ったく、どうして態々こんな場所に歩いて上がって来たんだか」
ブルーセイバーが文句を垂れる。
「これくらい高い場所なら見えると思ったからさ」
勇者は地平線の先を注視して閉口した。
「……何が?って訊くべき?」
ピンクセイバーがふと気付いたように言う。
「いや別に」
軽く答えた勇者が世界の果てから目を逸らす。軽やかに柵の上から降り、聖剣を雑に抜き放ちながら五人へ向き直る。
「何組目か知らないけど攻略方法は思い付いた?」
「ないっす!」
不敵に笑う勇者にイエローセイバーは元気溌剌と即答した。他の四人も「打つ手なし」とか「無理ゲー」などとあっさり口にする。
「俺らじゃ勝てねーしもう時間ないんで、最後の一発ド派手に決めてやんよオラ」
レッドセイバーが黒刀を鞘から解き放つ。刃を天に掲げれば暗灰色の対魔結界が展開され辺りを四角に区切った。
「速射連発弾、下から崩すか上から崩すか」
下だな、とグリーンセイバーが爆破スイッチを押した。各階に仕掛けられた爆弾が起動。一階から順番に爆発し、崩壊は連鎖的に上へと向かう。
「やけに遅いから変だと思ってたよ。まさか各階に爆弾を仕掛けていたとはな」
呆れたように笑う勇者の顔に焦りはない。
「私が分身術も使ってお手伝いしました」
「とにかく加速しまくって置いて回った」
ピンクセイバーとブルーセイバーが小さく挙手する。手分けして設置した爆弾は合計すると九十九個。
「あー?俺は……うん。最後の仕上げっす」
イエローセイバーが金色の指輪のようなものを取り出す。指輪にしては穴が大きく、腕輪にしては小さ過ぎる。
「輪具・禁箍」
イエローセイバーが投げた輪っかは空中で膨張して勇者の頭部に嵌った。身体の動きを禁止する宝貝を模した輪っかは足止めとなり、密閉空間で身動き取れない勇者がビルの倒壊と爆発に巻き込まれる。
「仮にも正義の味方が自爆オチを選ぶとはサイテーだな」
躙り寄る死を強く感じながら勇者は哄笑した。背後では極彩色の輝き。見映えに拘るグリーンセイバーの趣向で組み込まれた花火が夕暮れの空に咲き誇っていた。
一方、最後に決めポーズで制止したインフィニティセイバーズも無駄にカラフルな爆炎に呑まれて消えてゆく。崩壊の音が響く中、レッドセイバーは答えを口にする。
「最終的に勝てば正義なんだ。これでいーのさ」
時が巻き戻り、場面は変わる。
百三組目のインフィニティセイバーズは勇者の座標を追ってビルに辿り着く。先頭に立つレッドセイバーは一階に足を踏み入れてすぐ、玄関先の丸椅子に腰掛ける勇者を視認した。「やぁ」なんて気さくに挨拶をしてくる勇者に、五人は何かを察する。
「ここまで戻されるとは……屋上で緑の奴を殺したとしても爆弾は作動していたってことか」
感心したように語る勇者。その手に握られた聖剣は光を帯びている。インフィニティセイバーズの五人が何か言う前に凄絶な斬撃が光を迸らせて、剣技というか最早ビームが炸裂した。道路も向かいの建物もぶち壊す攻撃は勿論人体も容易に消し炭にしてしまう。
人型の相手を殺すという行為はまともな人格者なら罪悪感を伴うものだ。家畜みたいに食べる為に命を頂くわけでもなし、趣味嗜好とも関わらない非生産的な人殺しなんて普通なら避ける。しかし異世界で生き延びるために魔物を誅戮し人々に期待されるまま魔王軍を殲滅し、苛烈な戦いを繰り返した勇者はどこか箍を外してしまっていた。人の国同士の諍いに巻き込まれたこともあり、人間だって何百何千と屠ってきた。とはいえ元から殺害数を覚えておく程に勇者は繊細でもなかったし、正しく必要とされて行う作業と考えれば迷いはなかった。
そうやって何時しか勇者の中では人とそれ以外の境目があやふやになる。同族の命の価値も尊厳すらも貶めて平気な在り方は、自分の存在意義を守るはずが結局は無意識に己の魂を擦り減らす。人間の根本が善というのなら、きっと勇者は無自覚に堕落していた。祝福を与えた異世界の神はそんな心まで救ってはくれない。
空は茜色、重ね合わせの朧月が極薄く姿を現す。
勇者は早足で公園を目指していた。ビルの屋上から見た時にとある異常を発見した場所だ。途中なぜか一人で登場したイエローセイバーに襲撃されたが、会話も挟まずに振り抜いた聖剣で真っ二つにしておいた。
目的の公園に入りベンチを探す。木製の長椅子に仰向けで寝ている青年を認めて勇者はほっと息を吐く。
「まだ居たみたいで良かった」
穏やかというより潜めたような寝息を立てる青年に勇者はゆっくり近付きながら声を掛ける。
「狸寝入りはやめてくれない?尋ねたいコト沢山あるんだよね。叩き起こされたいならそうするけど」
間近に来てその風貌をじっくり見た勇者は言葉を途切れさせて見入る。薄い茶髪は肩までの長さ、端正な顔立ちは中性的。地味な書生風の服装が寧ろ耽美な容貌を引き立て、落ち着いていながらも上品な華やかさがあった。
「……もしかして目覚めのキス待ちだった?」
茶化したような台詞に青年が不愉快そうに顔を顰めて上体を起こした。淡い紫色の双眸が勇者を冷たく睨み据える。
「僕に対し無礼にして無粋な台詞を宣うのはレッドかブルーくらいだと思いきや、まさかの界人ですか」
青年は溜息を吐いた。
「疾く去りなさい。僕には貴方を救えないし、彼等以上に教えてあげられる事もありません」
耳に心地よい美声にも、自嘲を滲ませる紫苑の瞳にも嘘は含まれていないように感じた。しかし、この世界に来て始めて会えた人間らしい人間を前に簡単に諦めるわけにはいかない。勇者は鞘に納めた聖剣をあからさまにチラつかせながら青年へと一歩詰め寄る。
「この世界について知っていることは洗いざらい吐いて欲しいんだ。情報は多ければ多い程にいい……こっちは命懸けなんだ。少し痛い目に合わせてでも話を聞かせてもらう」
勇者の真剣な目を青年は呆れたような顔で見返す。
「強引な方ですね。しかも無知で愚かだ……命に関わる状況なら無関係の他者を害しても許されると?」
足を降ろしてベンチに座り直した青年が無造作に立ち上がった。勇者が携えている派手な武器も気にせず早足で近付く。互いに手が届く間合いに入ると青年は勇者の胸倉をいきなり掴んだ。温厚そうな風貌からは予想できなかった大胆さに勇者は狼狽える。
「ちょ、えっ?」
「命には本来的な価値も意味もありませんし、生きていることが尊いだなんて欺瞞はこの世界では通用しません。人間の都合により安易に捏造される大義などくだらない……僕にとって貴方の想う命など無意味にして無価値、どうでもいい路傍の石です」
刺々しく言い切ると青年は勇者を突き放した。
「……は?どの立場から物申してんだ?俺は魔王を討ち滅ぼし世界を救った勇者だぞ」
勇者は怒りに任せて拳を突き出す。青年は片手で軽くいなし、カウンターの掌底で勇者の顎を打つ。人間相手という油断もあるにはあったが、単純に動きが速くて避け損ねていた。よろけた勇者を青年は追撃しない。それどころか体勢が整うまで待っていた。
「立場ですか?一応は正義の味方ですかね」
油断なく構え直した勇者に視線を注ぎながら、青年が片手で自らの腰の辺りに触れる。細く長い指が隠蔽解除のボタンを押す。次の瞬間には古風な和装に不似合いな機械仕掛けのベルトが現れた。
「変身。パープルセイバー」
無感情な呟きに反応してベルトが紫色の光を発する。アレンジされたオープニングテーマが流れる中、光の粒子は外装となって青年の頭部から爪先までを覆っていく。ものの数秒で変身が完了した。
「元々インフィニティセイバーズは八人なんです」
勿体ぶることなく青年が明かす。パープルセイバーのコスチュームは五人組とは微妙にデザインが違っていた。勇者は苦笑いの表情となる。
「マジかよ。追加戦士枠ってコト?」
初登場回で無双するパターンはやめてくれよ、と勇者は小声で独り言ちる。
「相容れない存在だと理解できました?ならば即刻ここから出て行ってください。僕は……悪と決めつけた者を一方的に殺す程、正義の盲信者じゃないんです」
どうやら戦うつもりはなく正体を明かしただけのようだ。
「奴等の同類なら話が早い。俺を界人呼ばわりして殺しに来る理由は何か、黒い壁に閉ざされたこの世界から脱出する術はあるのか……特別枠の戦士なら心当たりあるんじゃねぇの?」
聖剣を真っ直ぐに突き付ける勇者の強情さに、青年は諦めたように両手を掲げた。降参の意思表示ではなく顕現した得物を手に取る為に。
「僕にはお答えできません。諦めて立ち去りなさい」
青年改めパープルセイバーは薙刀を上段に構える。何の装飾もない簡素な造りの武器だった。
「先程のお言葉を返すようで申し訳ないのですが……説得に応じてくれないのでしたら、少々痛い目に合わせてでも出て行ってもらいますよ」
「薙刀使いを相手にすんのは初だけど、まぁ聖剣の敵じゃないな。それ木製だろ?一撃でへし折ってやるよ」
勇者は真っ向から斬り掛かり、パープルセイバーは正面から受けた。細身の柄が大剣を難無く防御。
「なんで木の柄が聖白銀の剣を受け止めてんだよ?」
「異世界の用語は知りませんけど、存在強度が増幅されていますから。材質の差とか質量は大して問題になりません」
パープルセイバーが腕に軽く力を込めて聖剣を弾き返した。嘘みたいに勇者が後ろに吹っ飛ぶ。
「……ッ!?」
勇者は踵で地面を削って停止、異常を察して噛み付く勢いで問いを投げる。
「てめぇ何か小細工してやがんな?」
「ええ勿論。貴方にはさっさと退散して欲しいので、最初から固有技能も特殊効果も使っちゃってます」
悪びれもなく答えてパープルセイバーは薙刀を中段に構える。
「説明しておきますと、現在この場に作用しているのは不義反転の理という結界系の特殊効果です。強きを弱きに落とし、高貴を低俗に貶める。富める者には貧困を、祝福されし者には呪縛を……畢竟するに力も性質も、意味や価値さえも自由自在に逆転させることが可能なんです」
「どうして態々教えるんだ?」
「隠す必要もありませんし、勝てないと判断して自ら退いて頂ければ楽ですから」
試しに魔力で身体を強化しようとすれば逆に力が抜けていった。ならば聖剣に光の魔力を流し込んだら逆流するのか、または内側に留められず外に漏れるのか、あれこれ想像した勇者の手は躊躇で動かない。
「結界に依存する効能故、公園の外に出れば解除されますよ。どうです?出て行く気になりましたか?」
「……自分で言うのもなんだが俺って割と諦めが悪い方なんだよね」
種明かしされた勇者は思案する。反転するというなら遅い動きは速くなり、軽い攻撃が重くなるのだろう。勇者は慎重に緩慢に足を進める。そんな勇者の様子を見てパープルセイバーはおかしそうに笑った。
「更に言えばオンとオフの切り替えも僕の意のままでして、工夫している心算でしょうけど今の貴方は単なる鈍間ですよ」
「はぁ?ざけんな……うぐッ」
勇者の鳩尾に石突が減り込む。瞬間的に加速したパープルセイバーの抉るような急所攻撃に勇者が悶絶する。しかも勢いの乗った一撃は思い切り身体を突き飛ばし、勇者は公園と外部を隔てる壁に背後からぶつかった。受け身も取れず地面とキスして、継続する苦痛に耐えられず転がる。屈辱を感じる余裕もなく咳き込み嘔吐く勇者から目を離し、パープルセイバーは入口の向こうに視線を送った。
「おやおや。貴方が踊るべきお相手がもう来てしまったようですね……嗚呼、そちらからは見えませんか?移動をお手伝い致しますよ」
辛うじて聖剣を握ったまま四つん這いになっている勇者にパープルセイバーは横から蹴りを入れる。軽々と浮き上がった身体は入口から外が見えるような位置まで吹っ飛んだ。仰向けで止まった勇者は電柱に凭れる青い人影を認め、すぐさま立ち上がろうとしたが蹌踉けて膝を着いた。もろに隙を晒した勇者は攻撃を覚悟したが、ブルーセイバーは気付いているはずなのに動かないしパープルセイバーは空を見上げていた。
「逢魔時の赤い空。あちらのブルーはランカーの誰かですね……そもそも青川なら僕に気遣いなんてしないか」
パープルセイバーが意味不明なことを口にする。聞こえていたのかブルーセイバーは電柱に預けていた背を離して前に出るとパープルセイバーに向けて優雅にお辞儀した。
「覗き見るような真似をしてごめんなさい。私は色別JPランキング五位のブルーセイバーです。其処な界人に慈悲をお届けに参りました」
どこか陶然とした口調で挨拶したブルーセイバー五位が顔を上げ、パープルセイバーに微熱を秘めた視線を送る。
「パープルセイバー様は世を捨てた隠れ者と聞き及んでおります。悪しき界人の穢れに触れる必要はございません。私が代わりに責を負いますのでどうか此方へ引き渡してくださいませ」
「それは願ってもいないお話ですね。ところでランキング五位と言いましたか?たしか上位五人にはそれぞれ色の名を冠した偽称識別子を名乗る権限が与えられているはずです。差し支えなければ貴方のお名前を教えて頂けますか?」
「あぁ……うふふ。パープルセイバー様に名乗る機会を頂けるなんて私、嬉しさで泡になってしまいそうです」
パープルセイバーに名を尋ねられたブルーセイバー五位は歓喜の吐息を漏らす。僅か膨らんだ胸に当てた手の中で瑠璃色の二枚貝の首飾りを顕現させて、マスクの下で艶然と微笑む。
「私は瑠璃の聖諦で御座います」
喜悦を込めて名乗った直後のブルーセイバー五位を光の奔流が飲み込んだ。
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