無限の救世主

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白光の残滓が夕暮れの朱色に溶けていく。 「公園の外なら無効ってのは本当だったみたいだな」 パープルセイバーとブルーセイバー五位が話し合っている間に勇者は密かに公園の外に出ていた。側面から横槍ならぬ横剣を入れた勇者は殲光の一撃により遠くまで破砕された道路を見て満足気に笑う。もちろん道の上にブルーセイバー五位の姿はない。 「俺を無視するなんて馬鹿じゃねぇ?」 「僕は見ていましたよ」 パープルセイバーは平然と言う。結界に守られた公園は街路樹の葉の一枚も損なわれていない。 「へぇ?見てた癖に仲間に教えなかったのか?」 「別に仲間ではありませんし、態々知らせる必要もなかったので……ほら、戻って来ます」 パープルセイバーは上の方を指差す。いつの間にか虚空に巨大化した瑠璃色の二枚貝が浮かんでいた。直径一メートルはありそうな貝がぱかりと開く。ブルーセイバー五位が無傷の立ち姿で現れる。 「此方は虚数座標を泳ぎ渡る虚路舟(うつろぶね)に御座います。掬おうとすれば沈み、消えたとて浮かぶもの」 瑠璃色を冠するブルーセイバーは貝を足場に空中で飛び跳ね、勇者の頭上を越えて後方に着地。二枚貝は閉じた途端に消失した。 「先ずは謝罪させてくださいませ」 振り返る勇者にブルーセイバー五位は最敬礼のお辞儀をする。聖剣を構えながら勇者は戸惑った。 「え、謝るって何を?」 「先程は無視されたなど悲しい勘違いをさせてしまって申し訳ありませんでした。確かに興味関心はパープルセイバー様に向けていましたが、私は最初からずうっと観ていましたよ?押し付けられた希望という祝福(呪い)で在り方を歪められた……愚かで可哀らしい雑魚のお嬢さん」 勇者は一瞬固まった。雑魚などと言われた以上にお嬢さんと呼ばれた衝撃と憤怒で両手を震わせる。 一方、瑠璃のブルーセイバーは顔をゆっくり上げながら片手を胸元に添える。顔色が変わった勇者に優しげに微笑みかけた。マスク越しなので相手には見えないが内なる瞳には慈しみと蔑みが混じる。 「例え微塵子だって見逃しません。救いを求めるならば界人とて憐れみましょう。諦観の境地に堕ちる安楽を脳髄に刻み込んで差し上げます」 ブルーセイバー五位はもう片方の手を差し出すように勇者へと伸ばした。その青い掌に突然、縮んだ瑠璃色の貝が現れる。 「何言ってんのか全然わかんねぇけど俺を女扱いする奴はとにかくぶっ殺す」 激昂した勇者は構わず斬り掛かった。首筋を狙った剣撃が届く直前、二枚貝が開いてブルーセイバー五位は中に吸い込まれる。勇者は咄嗟に刃を翻して瑠璃色の貝を狙う。上からの攻撃では閉じた貝を断ち切れず、下に叩き落としただけとなった。鮮やかな瑠璃色がアスファルトの灰色に沈降する。 「クソが。どこ行った?」 辺りを見回す勇者を公園の内から観察していたパープルセイバーが思いついたように声を掛ける。 「お取り込み中に失礼しますが、僕も一言謝らせてください。貴方が女性だったとは気付きませんでした……言われてみれば胸倉を掴んだ時に違和感があったような、特になかったような?」 「はぁ?殺されてぇかお前?」 思い出しながら首を傾げたパープルセイバーに勇者が怒りの矛先を向ける。 「おっと、気分を害してしまったようですみません。お詫びついでに申し上げますが頭上に注意ですよ」 パープルセイバーの台詞の中程で既に降下していた巨大な貝が勇者を潰す。直径三メートルはありそうな二枚貝の上には瑠璃のブルーセイバーが立っている。大きく引き伸ばされたせいなのか閉じた貝の色は白っぽくなっていた。 「界人の注意を引き付けてくれてありがとうございます。パープルセイバー様に御助力頂けるとは恐悦至極に存じます」 ブルーセイバー五位は貝の上で丁寧にお辞儀する。 「手を貸す気はなかったのですが処刑は手早く済ませるべきでしょう?余計な痛みも恐れも感じることなく終われるなら彼女も幸いかとね」 僕のくだらない自己満足ですが、とパープルセイバーは内心で自嘲する。 「それが……困ったことにまだ済んではいないのですよ。パープルセイバー様は中継をご覧になってはいませんよね?此方の界人が有する祝福(ギフト)とやらは厄介なものでして、第一幕では百三組のインフィニティセイバーズが為す術なく散りました」 ブルーセイバー五位は首を横に振り、大きな二枚貝の下で圧死した勇者を見下して溜息を零す。 「罪深き界人とはいえ可哀想なものです。諦める自由を奪われ強制的に舞台に出突っ張りなんて、異世界の神様は残酷ですこと……まるで過労死もさせてくれないブラック企業ですね」 青いマスクの下で瑠璃の聖諦は嫌悪に顔を歪める。ブルーセイバー五位の話を聴いて、パープルセイバーは何か考え込んでいた。そこで世界線は途切れる。 また時が巻き戻る。 「……」 眼前の光景に驚き目を瞠るパープルセイバーの前では勇者が大きく跳ねた。白く膨張した貝が落下するが空振り、地面に半ば埋まって静止する。 「上がダメなら横からだ」 勇者は聖剣に光の魔力を込めつつ勢い良く地を蹴る。おそらく中に居るブルーセイバー五位もろとも切断してやろうと巨大な二枚貝の隙間を狙って一閃。 「あぁ、強引にこじ開けるなんて……うふふ、いけませんね」 どこからともなく瑠璃のブルーセイバーの声がした。笑声を含んだ注意の文言に勇者は違和感を覚えたが、何らかの罠だとしても死んでも勝手に巻き戻るのだから問題ないと判断。振り抜かれた聖剣は止まらない。 「あらあら……いけませんと言ったのに。それは開いてはならぬ耄碌の匣なのですから」 勇者の聖剣によって真っ二つに開かれた貝が白い煙を吐き出す。同時に儚く耽美な琴の調べが勇者の耳に心地好く侵入してきた。 「聖諦の音色はいかがでしょうか?白煙に包まれて貴方はたちまち三百歳。乾いた肌、掠れた声、軋む身体……想い出して御覧なさい。老いた己の姿を」 瑠璃の聖諦の艶めかしい声と流麗な音楽が勇者の脳内を犯す。鼓膜を振るわす音色は奥深くまで浸透、根源へ淫らに触れて神経を逆撫でする。錯乱した五感と膨らんだ想像力が勇者を惑わせる。 霞む視界の中、最初に皺だらけの手が映った。嗄れた悲鳴を上げた勇者の指先から聖剣が零れ落ちる。装備の重量にも耐えられず勇者は座り込んだ。恐る恐る乾いた指先で顔を探ればそこにも深い皺が刻まれている。堪らず悲鳴を上げた喉まで萎びていた。徐々に目も白濁し景色が褪せていく。筋肉が削げ落ちて骨と皮のようになった身体は息を吸うだけでも気怠い。突発的に訪れた老いを受け止められず、勇者は色素の抜け落ちた髪を振り乱して泣き叫んだ。 理不尽に訪れたとしても加齢自体は自然の理。老衰は徐々に死へと近付くが、即刻死に至る直接的な脅威ではない。勇者が死んだ瞬間、自動的に死の運命を避けられる時点まで巻き戻す神の祝福は作動しない。 神様に助けを求めようとした勇者はその貌をもう思い出せなかった。そして己を認識しない者に神という不条理は微笑まない。 勇者は朦朧とした意識の中、唯一の救いを見つける。地面に転がった聖剣の隣に自分も体を横たえて、刀身に押し付けるようにして首を斬る。聖白銀(ミスリール)の刃はいとも容易く細い首筋を切り裂いた。 覚悟していた程の痛みはなかった。代わりに酷く眠い。瞼を閉じて睡魔に身を任せれば、冷たくも懐かしい海の深淵に抱かれるような快感を覚えた。得体の知れなさに一抹の不安を拭えないのに、不思議と身を委ねてしまうような安堵。 安寧の闇を求めた意識が沈む。 再び浮かび上がることは終ぞなかった。 「(シン)虚路舟(うつろぶね)、相手の想像力を高めて強力な幻覚を見せる擬似妖器で御座います」 「君が見せたのは自分が老いていく幻ですね?良い御趣味と言いたいところですが……参考にしたのは零番目のブルーセイバーの神宝でしょう?」 「ええ、その通りです。命に呪われ死に怯える人々にとって老いとは救いなのです。老い衰えてしまえば打つ手なしと諦めもつくでしょう?気分は大往生。極楽に至れるかは知りませんけれど」 傍から見れば突然へたり込んで泣き喚き出した勇者をパープルセイバーと瑠璃のブルーセイバーは冷淡に観察していた。 「彼女はひたすら悲嘆と苦悩を叫んでいますけど、これが救いですか?」 「救いとは己の中にあるもの。諦めの悪いお嬢さんももうじき救済の最適解に気付くでしょう」 「成程、狡猾ですね。思い込みだけで実際に老いた訳ではないからこそ、精神的に無力化させ対象自らに肉体的な死を選ばせるなんて」 言いながらパープルセイバーは公園の外に出ていた。 倒れ伏した勇者の傍らに立ち、その手に弱々しく握られている聖剣を軽く蹴り飛ばす。ブルーセイバー五位はその行動を邪魔することもなく静かに見ていた。 既に勇者は自身の喉元に刃を押し当てていたが、パープルセイバーの妨害により頸動脈までは到達しなかった。 「あらあら?正義執行を妨害するなんて、うふふ。パープルセイバー様とあろう御方がいけませんこと。心変わりの理由は何です?」 瑠璃のブルーセイバーは愉快そうに尋ねる。 「この界人に用ができたものですから。邪魔する気はなかったのですが一度気になると確かめずにはいられなくて……好奇心は満たさないと気が済まない性質なんです」 恥ずかしげに笑うパープルセイバーがゆっくりと膝を着き、勇者を丁重に起こして腕に抱える。赤い血が垂れて首筋から胸元を濡らした。致命傷は避けられたのに意識は戻らない。勇者の脈は弱く呼吸は浅く、確実に死に近付いているようだ。 「自害という行動に至ったのなら自意識はもう死んでいますよ。後は仮初の器が連られて息絶えるのみでしょう。界人に用事があるのでしたら諦めた方がよろしいかと」 「器から読み取れる情報だけでも足しにはなります。彼女は時間に干渉する能力者なのでしょう?希少にして貴重な存在なのに、倒された後は一律に分解されるだけなんて勿体ない」 膝を着いた姿勢のままのパープルセイバーの足元で影が蠢く。 「界人の能力に興味が湧いたということですか」 さりげなく耳元に片手を添え小首を傾げて、瑠璃のブルーセイバーは何か思案していた。一つ頷き口を開く。 「考察した範囲でよければ私の口から説明致しましょう。おそらくはパープルセイバー様が期待しているような便利な時間移動ではなく、制御できない自動的な死に戻りです。死亡後、本人の意志とは無関係に死の原因を排除可能な時点まで巻き戻される……異世界では神に与えられし祝福(ギフト)と呼ばれていたようですが、私に言わせますと呪いですね」 ブルーセイバー五位は忌々しそうに語る。 「へえ?そこそこ面白いじゃないですか。もしも模倣(コピー)し反転したらどのような効果をもたらすのか……貴方も気になりませんか?」 茜色の空の下、地面に赤黒く伸び上がるパープルセイバーの影が次第に獣の形を成していく。 「パープルセイバー様のもう一つの噂については半信半疑でしたが、間違ってはいないようですね。技能を食らって取り込み模倣する……成りすましの化け猫なんて物騒な。うふふ」 「僕は正義(ジャスティス)ポイント加算の対象外ですから、界人討伐の褒賞は貴方だけに付与されます。貴方に損はありませんし……もう食べてしまっても構いませんよね?」 猫型の影が存在感を増す。赤い満月みたいな目が開いて爛々と輝く。影の口が勇者の抜殻を喰らおうと牙を剥いた。ブルーセイバー五位は面白そうに見つめるだけ。 「私はええ、珍しくも愉快な光景が見られそうなので満足ですとも。パープルセイバー様が界人如きをどうしようと構いません。遊戯としての生配信はとっくに終わり、処刑としての機能が果たされたなら他のランカーも参入不可です。どうぞ満たされるまで御自由に悪食暴食なさいませ……其れが可能でしたら」 瑠璃のブルーセイバーは二枚貝を座布団くらいの大きさにして腰掛け宙に浮く。 「私は此方で高みの見物しておりますね。零番目のブルーセイバー様が到着したようなので……ふふっ、御二人の御邪魔は致しませんよ」 「ああ腹が立つ。マジ腹が立つ」 パープルセイバーを狙って釣竿が振られる。透明な糸が伸び、銀の針が放たれた。パープルセイバーは咄嗟に聖剣を拾って釣り針を弾く。懐かしさを覚える声を聴いたパープルセイバーは聖剣を地面に置き、勇者の身体をその隣に横たえて立ち上がった。 「青川ですか」 パープルセイバーは面倒臭そうに呟いた。余計なものを気にしながら相手をすることは困難と判断。勇者に執着しているわけではないので情報の捕食はすんなり諦める。 「俺の支持者と親しげに会話してんなよ化け猫野郎」 怒気と愚弄を吐き捨てて、青川と呼ばれた零番目のブルーセイバーは釣竿の先端をパープルセイバーへ向ける。 「隠者気取りの臆病者が、初期メンバーのよしみで見逃してやってれば調子に乗りやがって。こそこそ界人の異能を収集して手前は一体何がしたいんだ?」 「参謀気取りの誰かさんは羨ましいくらいの豪胆さですね。相手が素直に答える筈もない質問を何の捻りもなく直情的にぶつけるなんて、僕には恥ずかしくて真似できませんよ。流石はインフィニティセイバーズ、命を弄ぶごっこ遊びに夢中な大人らしい無恥と傲慢さです。迷い込んだ流れ者を一方的に悪役に仕立て上げる強引さも、無自覚な観客まで悪趣味な舞台に招き入れる節操のなさも正義とは程遠いように思えますがね」 呆れも侮蔑もあからさまに煽るパープルセイバーに、零番目のブルーセイバーは怒りを通り越してちょっと悲しくなり、懐から小さな小瓶を取り出すと琥珀色の液体を一気に呷った。 「……手前は何も知らねー外野の立場にいるからそう言えるんだ。俺ら五人だけで延々と繰り返すなんて無理、あの四人を纏めながら戦うなんて毎回やってらんねーもん。レッドは阿呆で生意気だしグリーンはキレると制御できねーしピンクは直ぐに死にたがるわイエローはずっと狂乱(バグ)ってるわ。俺だって向いてねーのは解ってるけど他にできる奴がいねーから仕方なく参謀やってんだよ!手前もホワイトも勝手に居なくなりやがって。過酷な環境で纏め役をやり続けてる俺を笑う資格あると思ってんのか?」 零番目のブルーセイバーは早口で捲し立てる。ほぼ一息で言い切るという凄まじい勢いだった。 「えっと、その件については本当に申し訳ないと思っているのですが。瑠璃の聖諦さんがビックリしてるのでそのくらいで辞めておきませんか?愚痴ならまた次の機会に改めて聴かせてもらいますから、ね?」 何ならパープルセイバーも驚いていた。青川はこんなに感情的に文句というか弱音を撒き散らすような人格だったろうかと記憶との齟齬に首を捻る。 「そう言ってまた俺を残して居なくなるんだろ?次なんかねーよ。手前はここで確保する」 零番目のブルーセイバーが握る釣竿がふらふらと揺れていた。普段と違う言動と雰囲気に気付いたパープルセイバーが問い掛ける。 「もしかしてお酒入ってます?弱い癖にどうして飲んだんですか?」 紫のマスクの下は辟易とした表情になっていた。 「おー気付いたか。二週前の界人が使っていた酔拳ってのをようやく解析できたんで、この機会に試してやろうと思って用意して来た。手前のような真面目ぶった奴には効果的だろ?……別に酒の勢いでもないと話し辛いとかそんなんじゃねーし」 「そこまでして逢いに来てくれた所すみませんが、酔っ払いに付き合う気ありませんので」 パープルセイバーの左手に薙刀が顕現、くるりと回って勇者の胸元を貫く。鮮血が散る。自我は壊われ果てもう死んでいたも同然だった勇者だが、ここで完全に殲滅判定がなされたことにより世界が切り替わる。 勇者の亡骸が分解され灰と化すのと同時に、天高くに広がる時計が霧散した。朱と紺が混じったような暮れ刻の空が色を失くす。透き通るような白い空に月は隠れる。 「あら、もう解散ですか。名残惜しいですが皆さん御縁がありましたらまたお会いしましょう」 軽く手を振りながら瑠璃のブルーセイバーが退去する。戦闘により崩壊した道路や建造物は即時修復され、何事もなかったかのように平穏な街並みが回帰する。 「舞台装置である僕達に退場はないんですけどね」 「手前はそんな自己認識だから逆に割り切れてねーんだろうな。ピンクより面倒で鬱陶しい奴だ」 公園の前でパープルセイバーと零番目のブルーセイバーは互いに武器を手にして対峙したまま。 「……空の色が変わっても時が動いたわけじゃなし。酔いは覚めてませんよね」 パープルセイバーが変身を解除する。 「何のつもりだ?武装なしでやる気か?」 「そんな訳ないでしょう。今はもう何でもない日、倦み弛んだ大人の時間ですよ?」 まだやる気らしい零番目のブルーセイバーに無防備となった青年は呆れる。 「見知った仲なら武装(匿名性)は要りません。ほら、場所を変えますよ青川……さっき愚痴を聴くって言ったでしょう?」 柔く穏やかな声で名を呼ばれ、零番目のブルーセイバーこと青川は刹那の逡巡の後に変身を解いた。 「……紫村(しむら)、二人きりだし言ってもいいか?」 「遠慮なくどうぞ」 紺色のスーツを着た金髪碧眼の男は眉目秀麗な顔に険しい表情を浮かべている。真剣な眼差しを紫苑の瞳がじっと見つめ返す。青川がふと俯く。 「ゴメン吐きそう」 「何しに来たんですか貴方?」
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