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「変身前に束縛した無礼のお詫びとして先手はお譲りしますわ。一人ずつでも二人ずつでも構いませんので遠慮なく来てくださいな」
悪役令嬢は虚空から取り出した鉄扇を手にして余裕の笑みを浮かべる。
「正直に言うと後は応援の方に任せたいんですよね。どうにも面倒臭そうな相手ですから」
「面倒って不可視の拘束のことか?前にも消える魔弓だの見えない剣だの使ってる界人いたし珍しくねーだろ」
「そっちじゃなくて読心術ですよ。心を読むなんて有り得ないのに、あのご令嬢は嘘を言ってるわけでもなさそうなんです」
錫杖を手にしたパープルセイバーは不気味そうに悪役令嬢を観ている。
「そんなの気にする必要ねーだろ。嫌なら下がってろよ。俺が一人でやってやる」
ブルーセイバーは長槍を構える。
「青い人は槍使いですか。それでは――阻危戯――」
悪役令嬢が言い終えた直後、一瞬で距離を詰めたブルーセイバーが高速の刺突を放った。悪役令嬢は鉄扇で受け流すと更に続けて唱える。
「――映背身――」
次の瞬間、悪役令嬢はブルーセイバーの背後に移動していた。敏感に気配を察知したブルーセイバーは半身を捻り回転させた槍で攻撃するが敵の姿はもうなかった。
離れた位置で鉄扇を開く音。密かに結界を構築するため詠唱していたパープルセイバーの背後に悪役令嬢は立っていた。パープルセイバーは即座に気付いて振り向きざまの蹴りを放つ。
「――煽威――」
悪役令嬢は微笑みながら鉄扇を小さく扇いだ。控えめな動きとは裏腹に猛烈な突風が吹き荒れてパープルセイバーを襲う。詠唱は中断され、道路まで吹っ飛ばされたパープルセイバーの身体は塀にぶち当たる。
「ぐぅ」
背を強く打ち付けたパープルセイバーの口からはくぐもった呻き声が漏れた。
パープルセイバーに追撃しようとする悪役令嬢を視界に捉えたブルーセイバーは舌打ちして槍を投げる。悪役令嬢は避けるでもなく忽然と姿を消した。空振りした穂先はただ地面に突き刺さる。
ブルーセイバーの背に冷ややかな五指が当たる感触。首筋に悪寒が走る。
「――斥矢――」
含み笑い混じりの甘い声が鼓膜を震わせた。増大した斥力が働きブルーセイバーをまるで矢のように一直線に吹っ飛ばす。
「がはっ!」
パープルセイバーと同じくブルーセイバーも塀に正面から衝突し、血を吐きながら地面に倒れ込んだ。
「……ご令嬢の割にはお転婆ですね。目で追えない動きをされてしまってはお手も取れませんよ」
冗談めかして言いながらパープルセイバーは罅の入った塀に背を預けて立つ。
「では組んだところから初めてみましょうか?」
悪戯っぽく笑いながら鉄扇を放り投げて、悪役令嬢は優雅に右手を差し伸べる。鉄扇は地面に落ちる寸前で消えた。
「最近お肉や甘い物を食べ過ぎていたので運動したい気分ですの。弾いたり噛み付いたりも致しませんので手を取り合って踊りましょう?」
「困ったなあ。ダンスとか学習してないですよ僕」
「踊り方を知らないなら妾がリードしますわ。そもそもダンスなんて互いに楽しめれば良いのですから経験や技術なんて二の次ですのよ。さあ、一緒に気持ち良くなりましょう?」
悪役令嬢は気乗りしない様子のパープルセイバーに挑発的な笑みを浮かべる。
「やる気ねーなら退いてろ紫村」
立ち上がったブルーセイバーが言い放ち、武器を持たずに歩き出す。悪役令嬢に近寄ると眼前でぴたりと足を止めて徐ろに片手を差し出した。
「俺が相手してやるよ。お手をどうぞ」
「はい喜んで」
無防備と無邪気を装った微笑で応えて悪役令嬢は躊躇なくその手を取った。手を取り合う二人はどちらともなく足を踏み出しステップを刻み始める。やや固くぎこちないブルーセイバーを悪役令嬢がさりげなく巧みにリードして滑らかに踊り回っていた。
「無音は味気ないのでムード作りに――華呑演――」
「……幾つスキル持ってんだよ」
咄嗟に身構えたブルーセイバーだが優美な音楽が流れるだけと知り緊張を解く。
「ダンスに付き合ってくれたお礼に教えてあげますわ。妾が行使できる術は四十、そして同時に四つ術式を持続解放できますの」
「手前ホントに悪役令嬢かよ。賢者とか魔導師の間違いじゃねーの?」
「女神がそう決めたのですから悪役令嬢なのでしょう……ところで汝、てっきりダンスの最中に攻撃を仕掛けてくると思っていたのに何もする気ありませんのね。もしかして単に踊るのが好きなだけですの?」
「手前は他人の心を読めるんだろ?俺が何考えてんのか勝手に当てればいいじゃねーか」
「……明解思で分かるのはその人が誰に対してどのような意思を抱いているのか程度ですわ。詳しい思考の内容まで知ることはできませんの」
「なんだ。読心術はハッタリか」
「意識の向く先を知れるのと、向けられている思いが善意か悪意か判別できるだけでも便利な能力ですのよ。例えば」
ターンの合間に悪役令嬢は静かに佇むパープルセイバーをちらりと見やる。
「紫の人の害意はどうしてか今は汝に向けられていますわ」
悪役令嬢は声を潜めてブルーセイバーに告げる。
「……仲間割れでも狙ってんなら残念だったな。別にアイツは味方じゃねーよ」
「親切心で教えてあげましたのに余計なお世話でしたか」
何か考え込むブルーセイバーは無言となり、暫しお互いに沈黙したまま踊り続けていた。いつしか慣れてきたブルーセイバーが悪役令嬢をリードし始める。偶にまだ不自然な足運びとなる時もあったが悪役令嬢は寧ろ面白がってブルーセイバーに身を委ねていた。
「お返しに俺も教えてやる」
「何ですの?」
「さっきの踊るのが好きなのかって質問だが、ダンスなんかに興味はねーよ。真面目に付き合ってんのは単純に必要な手順だからだ。接待行為が発動の絶対条件なんでね」
ブルーセイバーが悪役令嬢の手を強く握り締める。
「態と攻撃を受けるのもストレスだし要望があるなら叶えてやるのが手っ取り早い。玉手箱はおもてなしの後にってな」
ブルーセイバーが合図のように音を鳴らして地を踏む。悪役令嬢の真後ろに二メートル四方はありそうな半透明の立方体が出現。
「楽しいひと時は終わりですのね。もう少しこうして踊っていたかったのに」
ブルーセイバーに引き寄せられるのに任せて、悪役令嬢は至近距離で名残惜しそうに囁く。
「悪いがダンスの続きは三百年後だ。手前が生きていればの話だがな」
冷徹に応えブルーセイバーは勢いを付けて悪役令嬢を箱型の結界に突き飛ばす。抗いもしない華奢な肉体を水の膜じみた表面が受け止め、波紋を残して中へと取り込む。愉快そうな金緑の瞳も不敵な笑みもぼやけて見えなくなった。悪役令嬢の不可解な反応に一抹の不安が脳裏を過ぎるがブルーセイバーは杞憂と判じて秘術を解放する。
「満たせ、流竜宮堕悲冥玉匣」
触れただけで老化を加速させる白煙が結界内を満たし、たちまち箱は白く染まった。煙を浴びることによる加老速度は一秒あたり十年。玉匣の中に長くいる程に時は加速され、歳は加算される。
キリよく三百年と宣言しているものの大概は十秒程度で終わる。白い煙を浴びた敵は先ず急激な肉体の老化により多臓器不全をきたして死亡するからだ。その後やがては屍も萎びて乾き果て、形を失い塵と化す。今回もいつもと同じ結末になるだけだとブルーセイバーは思っていた。
「お疲れ様です。いつの間に詠唱を省略できるようになったんですか?ここで使うと思ってなかったので驚いちゃいましたよ」
「省略はしてねーよ。禹歩を真似て足の動きに意味付けし、ステップを踏むことで詠唱代わりにしただけだ」
様子見していたパープルセイバーが近くに来るのをブルーセイバーは待っていた。視線は悪役令嬢を閉じ込めた結界に向けたまま。発動から十五秒経過、箱に変化はなし。
「知らない間に器用になったものですね」
錫杖が地面を叩く音が歪に響く。隠蔽されていた崩壊の陣が空き地全体に拡がると同時に砂鉄の刃が生成されてブルーセイバーを狙う。
「手前は不器用になったか?隠匿のスキルも重ねがけのせいで逆に浮いてたぞ」
揺れる地面も問題とせずブルーセイバーは砂鉄の刃を回避、足場が完全に崩れる直前に釣針を落とす。
水中異界が簡易的に召喚された。パープルセイバーは水面に映る自らの影が開いた口に逃げ込もうとするが、圧縮された水の礫が波間から無数に放たれて側面に被弾。体勢を崩して着水する。
「ああもう全身ずぶ濡れじゃないですか。しくじったら恨みますよ白坂」
重く絡みつく水から何とか顔だけを出し、自分にしか聞こえない声量でパープルセイバーが愚痴る。本命の観測を妨げる帳はまだ作用したままだ。
青い水が意志を持ったようにパープルセイバーへ押し寄せる。自動的に客人を水底へ引き摺り込もうとする歓待の波に呑まれて猫が消えた。
一方、タイミングからして狙いは結界術式だと推測したブルーセイバーは水を蹴って箱の上に跳び乗る。起動からそろそろ三十秒、箱の中では三百年経過。内部にいる界人が完全に塵芥となれば自然に術は解除されるはずだが結界は持続している。
「一旦解くか?いやしかし……」
片膝を着いてしゃがみ、右手で箱に触れ強制終了の指示式を入力しようとして逡巡するブルーセイバーの首筋に微かな痛み。シリンジの押し子が動き突き刺さった注射針から薬液が流れて体内に侵入する。
「変態野郎か!」
払い除けるが数ミリは注入されてしまった。
振り向けば何もない空中から白い手が生えている。上腕まで露出したホワイトセイバーは注射器を手品のようにしまって空っぽの掌を降ってみせる。
「ど〜も〜ご無沙汰してます二番目の兄様」
「その呼び方やめろって前から言ってんだろーが」
ブルーセイバーは立ち上がり白い腕を睨み付ける。
「巫山戯てる場合じゃねーんだ。邪魔すんな」
「おお怖」
静かな怒気を込めてブルーセイバーが言い放つと手はするりと引っ込み、少し上の空にホワイトセイバーが全身を現した。寝そべった姿勢で当たり前のように浮かびホワイトセイバーはブルーセイバーを見下ろす。
「ってか筋弛緩剤打ったのになんで立てるんやこの人。勝手に動かれると面倒いねん」
ホワイトセイバーが軽快に指を鳴らした。背後にずらりと無数の注射器が出現する。
「量が足らへんのやったら追加といきましょか」
「過剰投与にも程があるぞオイ」
ブルーセイバーは手元に釣竿を顕現させる。既に針はパープルセイバーの動きを封じる海を創るため使用済みだ。
「ちなみに中身は優しさ半分憎さ半分。事故みたいな経緯やけど使い魔候補の鬼人はんがあんたに殺られてもうたし多少の仕返しはアリやろ」
「……使い魔だと?紫村といい手前らは一体何を企んでやがる?」
「そら次兄と愉快な弟達がやってるお遊戯と似たようなもんや。異世界の学習による多様性の獲得は僕らの共通目標やねんから。単独か多人数かプレイスタイルの好みが違うだけで目指すとこは一緒」
宙に浮くホワイトセイバーが立位になり片手を挙げた。空に整列する数多の注射器が針先をブルーセイバーへと向けて静止。
「とはいえ今この場はインフィニティセイバーズの出る幕やない。事が済むまでの間そこで転がっといてくれへん?」
ホワイトセイバーの台詞の途中でブルーセイバーはもう釣竿を軽く振っていた。海から五本の水柱が伸び上がり空中のホワイトセイバーを襲う。
「せっかちやな」
背後からの声に構わずブルーセイバーは釣竿と針を収納。空き地を満たしていた海が消失する。
「無視すんなや」
不機嫌な声と共に放たれた蹴りを転がって回避しつつブルーセイバーは玉匣に手で触れて術を強制終了。たちまち内部では白煙が霧散していく。老化の煙が盛れ出さないよう効果は段階的に解除されるためまだ外の結界は残存している。
「手前には色々聞きてーとこだが後回しだ」
ブルーセイバーは箱を蹴って跳躍し地面に着地。瞬間移動したホワイトセイバーはまた空中に浮遊する。二人の視線の先では無色になった立方体が音もなく崩れていく。
「あ〜あ解かれてしもた。でも時間は十分稼げたやろ」
「ギリギリ千年には達してませんよ。無駄口叩かずさっさと追加の薬を打ち込めば良かったのに甘いんですから」
いつの間にかパープルセイバーは塀の上に腰掛けていた。平気そうにしているが頭から足の先まで濡れていて、組んだ両足の爪先からは水が滴っている。
パープルセイバーとホワイトセイバーの会話にブルーセイバーは無反応。完全に玉匣が消えたことで開放された敵の姿に意識も視線も奪われていた。
猩々緋の頭髪には白髪の一本もなく、蜂蜜色の肌に皺の一つも増えはなく、豊満な胸も張りのある臀部もそのままに悪役令嬢は凛として佇んでいた。長い睫毛を伏せて目を瞑り、僅かに俯いていて表情は窺えない。
「まさか無効化されたのか?」
変わらない外観からブルーセイバーは玉匣が正常に作用しなかったのだと考えた。察したように悪役令嬢が瞼を開け、ブルーセイバーへと微笑みかける。金糸雀色の瞳は燐光を灯していた。妖艶な美女が醸し出す怪しい雰囲気に気圧されて、ブルーセイバーだけでなくパープルセイバーとホワイトセイバーも動けない。
「いいえ、素敵な贈り物はちゃんと頂きましたわ……なんて態とらしい口調はもう辞めようか。汝のお陰で八百か九百年は儲けた。最早ご令嬢を名乗れる歳ではあるまい」
熟した果実のような甘ったるい声色で語りながら、ソレは縦に巻かれた長い髪を片手で雑に握る。
「この髪型も飽きた。服も重たくて仕方がない」
言い終えると同時に切られた赤髪が宙を舞い、咲かれた濃紺の布地が地に落ちた。肩の辺りで揃えられた髪に満足そうな顔をして、一糸纏わぬ少女の裸体を晒したソレは固まる三人に緩慢な歩みで近寄りながら老獪な口調で語る。
「人間はアンチエイジングが好きなようだが度し難いものだ。長き時を経て歳を重ねることでより強くなれるというのに。妾にとって加老は弱体化ではなく強化ぞ」
上機嫌に喋りながらソレは妖力の塊である尾を可視化させる。七つに分かれた白銀の尻尾を見せ付けるように揺らしながら口遊む。
「――斬吊墓――」
さながら蜘蛛の巣の如く、ソレを中心として全方位にか細くも強靭な糸が張り巡らされる。三人は咄嗟に伏せ辛うじて回避したものの無数の糸が頭上を通っていて逃げ場がない。
だらりと下げられた両手の先、指先が微かに動くのを見たパープルセイバーは猫型の影を肥大化させた。赤黒い猫又の二本の尾がブルーセイバーとホワイトセイバーの足に巻き付く。
「遊ぶにはちと狭いからな」
五指を軽く握り込む。たったそれだけの動作で嵐のような破壊が吹き荒れた。瞬時に手繰り寄せられた糸が周辺の木も建造物も纏めて切り刻み、見渡す限り一面を更地と化す。砂塵の舞う向こう側に己が壊した景色を確かめ、高らかに笑うソレはまさしく女怪か魔性か。
離れた位置にあり被害の及ばなかったビルの影が蠢く。
二階に探偵事務所のあるそのビルは紫村によって転移のマーキングがされてある場所でもあった。大きな影の中から猫の姿が赤黒く浮かび、潜り込んでいたパープルセイバーが現れる。続いてブルーセイバーとホワイトセイバーが猫の口から吐き出された。
「あ痛っ。猫はん着地もうちょい優しくしてや」
転がるホワイトセイバーが文句を言う。跳ね起きたブルーセイバーはパープルセイバーに詰め寄った。
「どうして俺まで助けた?……いや、それより何なんだアイツは?」
「落ち着いてください。貴方まで濡れますよ」
掴みかかろうとするブルーセイバーの手を避けてパープルセイバーは壁際に立ち、元悪役令嬢のいる方角に目をやって仕方なさそうに口を開いた。
「率直に言えば化獣です。界人でも亜人でも魔物ですらない、僕らの殲滅対象外というか殺傷禁止案件ですね」
「……そんなのどうやって倒すんだよ」
「もう一人の応援もいい加減に来るでしょうから心配する必要はありませんよ」
「応援?白坂の他にもいるのか?」
訝しむブルーセイバーの隣でホワイトセイバーが挙手する。
「あ、応援は二人で行かせるって今おひい様から連絡あったで。どっちが行くかで喧嘩してたらしいわ」
「内輪揉めで遅れた結果どちらも来ることになったと?大丈夫ですかね」
「誰が来るんだ?」
ブルーセイバーの質問にパープルセイバーとホワイトセイバーは顔を見合わせる。
「彼等の配役はまだないので説明し難いですね。仮ですが悪役令嬢に対して悪役令息ならぬ悪役隷属なんてどうでしょう?」
「黒い奴その一その二でええんちゃう?ど〜せ帳降ろされたら観えへんのやし」
「青川にこれ以上は語れませんからね」
パープルセイバーは申し訳なさそうに言ってさりげなく壁に手を着く。元々ビルの防衛用に仕込まれていた魔法陣が即時起動、ブルーセイバーの胸を矢が貫いた。
「……紫村?」
「もう一つの問いには答えてあげますよ」
パープルセイバーは平坦な声で努めて無感情に告げる。
「助けた理由なんて決まってるでしょう?正義の味方を悪役に討たせるよりは身内の手で殺してあげた方が良いからです」
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