【短編版】女手一つで育て上げた娘が嫁に行き、あとはゆっくり余生を過ごそうと思っていたら、年下の公爵様に見初められました

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 今日は天気が良いからと、私は近くの海まで散歩に外へ出た。  ――うん。気持ち良い。  少し落ち気味だった気分が上昇していくのが分かる。  そうだ。一人、のんびりゆっくりと生きるのも良いじゃない。  結婚なんてものはするまでが良いのであって、してしまってからは殆ど地獄だ。そんなものなのだ結婚なんて。  時間に追われ、募っていく夫への苛立ち、それらを抱えながらの毎日は苦痛以外の何ものでもない。  お貴族様の結婚ならいざ知らず、平民同士の結婚はもはや地獄への入り口だ。  あの女、メアリーもきっとその地獄のような結婚生活に嫌気が差すはずだわ。 ざまぁ。  そうこう考えながら私は目的地に定めた海へと着いた。誰もいない砂浜に腰を落とす。 最高だ。  いつの間にか日が傾き、空はオレンジ色に染まっていた。 「こうしてのんびり海を眺めるのも久しぶりね」  子供の頃なんかは嫌な事があったり悩み事があれば、よくここへ来てこうやって海を眺めていた。  ジョンと結婚してからはそんな時間も無く、離婚してからもアリアの子育ては続いたから本当に久しぶりだ。 「一人で、黄昏れ中ですか?お嬢さん」  いきなり背後から声が掛かり、振り向いた瞬間――どきりと心臓が跳ねた。  顎のラインまで伸びた銀髪はサラサラと美しく、水色の瞳に優しさが滲み出たような柔らかな笑み。  瞬間、恋に落ちたのが自分でもはっきりと分かった。  明らかに平民では無いと分かる風貌。そして何より若い。娘の結婚相手のマルク様と同じかもしかしたらそれより若いかもしれない。  因みに娘は17で、マルク様が26だ。  年甲斐も無くと、自分の事を情け無く思う。 「見て分かるように私は『お嬢さん』ではありません」 「はて、それはどういった? 隣り、いいですか?」 「えぇ、どうぞ。 『お嬢さん』と呼ばれる女性は一般的には10代から20代なのでは?……いや、20代半ば以降も厳しいかと思いますよ?」  彼が私の隣りに腰を落とした瞬間、ふわりと彼の方から甘い感じのいい香りが風に乗って私の鼻腔をくすぐった。 「なるほど。20代半ばと思しきあなたに対してみくびった発言をしてしまったようで。大変申し訳ない。深くお詫びする」  そう言った彼は頭を下げた。  いやいや、いちいちそんな事で謝罪されても――という、突っ込みよりも先に『20代半ば』と見られた事に驚き、私はまずそこに言及する。 「20代半ばだなんて、とんでも無い!私、34歳ですよ?」 「……え?」  私の言葉に目を丸くする彼。 あり得ないと、その表情が物語っている。 「私よりも一つか二つ年上かとは思いましたが、まさかそんなに離れていたとは思いませんでした。 またしての失言、重ね重ね謝罪致します」 「いえいえ。この年になって『お嬢さん』と呼ばれる事は正直嬉しかったですし、まさか、20代に見間違われるなんて思いもしませんでした。しかも、こんな年下の男性にそんな風に見られて、年甲斐もなくいい気分でした。自分に自信が持てたような気がします。むしろありがとうございましたと、貴方にお礼が言いたい程です」 「そうですか。そう言って頂けると私としても救われます。しかし、まさか……いや、これ以上女性に対して年齢の事を言うのは無粋ですね。話題を変えましょう。 私事ですが、実は最近色々とありましてね。部屋に篭って悩みに耽っていても憂鬱になるだけだと、気分転換に外の空気でも吸おうとここまで歩いて来たところなんです」 「私もです。昨日娘が嫁へ行ってしまって家には私一人になってしまって、寂しさを紛らわす為にここへ来たら貴方に声を掛けられて今に至るというわけです」 「なるほど、そうでしたか。失礼ですがご主人は?」 「真実の愛を見つけたとかで……」 「なるほど。察しました。それ以上は言わなくて結構です。それはそうと、このご時世、女一人で子を育てる事は、それは大変な苦労だったのでは?」 「えぇ。表面上では男女平等を掲げながらも、その実態はまだまだ男尊女卑の世の中です。男より女が稼ぐ人なんて一握りの者で、そのほとんどは男の半分の稼ぎしかありません。子供を養うには仕事を掛け持ちして朝から晩まで働くしか無く。家に帰れば、家事に育児に追われ、寝る間も無く朝を迎えてまた朝の仕事へ……本当に大変でした。まったく、世知辛い世の中です」 「……大変でしたね。 私がもっとしっかりしていれば……」  彼の言葉の最後、何か言った気がするけど……まぁいいか。  それはさて置き、彼の労いの言葉は私の心に染み渡った。初めて会ったというのに、彼と話していると心が穏やかになり、安らぐ。  この人が既婚者なのかは分からないが、この人と結婚出来る女の人が羨ましく思う。 「えぇ。 やっと、そんな追われるような日々から解放されたかと思えば、今度は何とも言えない侘しさに襲われ、ついさっきは元旦那とその恋人に蔑んだ事を言われ、毅然としていればいいものを、ついつい傷付いてしまって……」  言ってて、いつのまにか涙が零れ落ちる。 「やだ……ごめんなさい。こんなおばさんの話は忘れて下さい。じゃあ私はこれで――」  慌てて立ち上がり、その場を立ち去ろうとしたその時、彼が私の手を掴んだ。 「待って下さい。 これから私は突拍子のない変な事を言いますが、聞いてくれますか?」 「……えぇ、まぁ、聞くだけなら」 「もし、貴女さえよければ、私が貴女の心の支えになります。貴女が困った時には助けます。辛い時には寄り添って、支えます。寂しい時には手を握ります。許されるならば抱き締めさせて欲しい――」  彼は、何を言っているのだろうか。理解が追いつかない。 「な、何言ってるんですか!?」 「――私と、結婚して欲しい。会ったばかりでこんな事を言って馬鹿だと自分でも分かっています。けれど、貴女を初めて見て心が躍り、話を聞いて、強い女性だと知って胸を打たれた。外見だけでは無く内面も美しい女性だと。そして、そんな貴女が寂しいと泣いているのを見て、支えたいと思った。だからお願いします。私の……ウイリアム・ギルバートの妻になって下さい」 「――!!」  突然のプロポーズもそうだが、それと同じくらい驚いたのは彼が名乗ったその名前。  まさか、この人が――    私の住む村を含んだこの王国最大級の領国、ロズウェル領の現領主、 「あなたはまさか、ウイリアム・ギルバート公爵様では……」 「一応ね。 しかし、私はその器では無い。領民達にもっと良い暮らしをさせたい。その思いはあるのだが、先代である父からこの土地を譲り受けてからというもの、ロズウェル領の財政は右肩下り」  一年前に先代の領主様が亡くなられた後、息子がその跡を継いだという事は平民の私でも知ってる事。  彼は続ける。 「この広大なロズウェル領の領主としての領国経営の重圧に押し潰されそうな毎日。そんな時ふと、幼い頃に死んだ母によく連れてこられたこの海の事を思い出して、仕事そっちのけで一人抜け出してやって来てみたら、死んだ母に似た後ろ姿を見つけて思わず声を掛けてしまった。 それが貴女です」 「む、無理です!! 貴方にはもっと相応しい女性がいるはずです!若くて、綺麗で可愛い女性が。私みたいな小汚いおばさんと、貴方とではとても釣り合いが取れません」 「貴女は美しい!!誰が何と言おうと、貴女は素晴らしい女性だ。辛い事にもめげず、子供の為にと身を粉にして働き、貴女はそれをやり抜いた! 私は貴女のその強さに惹かれた。貴女が傍にいてくれれば私は頑張れそうな気がするんだ。領民の皆に豊かな暮らしを。私のその思いに偽りは無い。貴女の力が私には必要なんだ」 「何故、私の力が? 平民の私に領国経営の知識は一切ありません」 「貴女のその存在そのものが必要なんだ! この重圧に負けそうになった時、逃げ出したいと思った時に、私の弱い心を支えて欲しい。強い心の持ち主の貴女に。そうすれば私は頑張れそうな気がするんだ」  正直、彼の言葉は嬉しい。しかし、 「……もう一度言います。 私は平民です。それに、もういい歳したおばさんです。身分も若さも貴方とは到底釣り合いが取れません。ましてや、貴方はこのロズウェル領の領主です。生きる世界が違い過ぎます。貴方のような御方が私なんかと結婚したら領民の皆はどう思うでしょうか?貴方も私も皆からいい笑い者ですよ?」 「身分がなんだ! 歳の差がなんだ! もしも万が一、貴女の事を悪く言う者がいれば、私はその者の前で貴女が如何に素晴らしい女性であるかを語ります。その者が納得するまで。永遠にです。 もしも万が一、私と貴女を笑う者がいれば、私はその者の前でこの頭を剃り上げて、私一人でその笑われ役を担いましょう。 貴女の事は私が全力で守ります。なので、私との結婚をどうかお引き受け頂けないでしょうか?」  そこまで言われてはと、私は押し切られる形で彼との結婚を渋々承諾した。 「……はい。私でよければ謹んでお引き受けいたします。」
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