8人が本棚に入れています
本棚に追加
○
そんな逸樹。深山と、彼が住職を務める浄土真宗の寺「安楽寺」に出会ったのは、安楽寺でこの七月末に開催されていたイベントに参加したからである。
「コラージュとえでおしゃかさまをえがこう!」
というイベントで、子どもから大人まで、写真や絵を切り抜くコラージュ技法で、あるいはクレヨンや絵の具を手に、思い思いに釈尊や動物の姿をめいめい大きいキャンバスに表現していた。そしてそれだけでなく画面いっぱいにアンパンマンが飛んでいたり、クジラが大暴れしたり、イエス・キリストまで登場していた。
カオスである。
中には、水色のペンキで彩った自分の手形を釈尊の顔のまわりに押しつけている子どももいて、それはさながら光輪だった。素敵だな、と逸樹は思った。
こんな楽しいイベントもしていたのか、安楽寺さん、と逸樹は冷房の効いた本堂の隅に座って、感心してしまう。安楽寺は家のすぐ近くのお寺である。それなのに、一度も中に入ったことがなかった。布教のための法話会や、大きな法要もしているそうだが、まったく知らない。
逸樹はお寺も、キリスト教の寺院も、モスクも、一度も入ったことがない。お寺には観光レベルなら足を踏み入れたこともあるが、宗教的な意味合いでは、触れたことがなかった。
本堂の奥、阿弥陀如来立像と逸樹の目が合った(気がした)。浄土真宗のお寺であることも、この日初めて知った。
この日、訪れてみたのは本当に偶然。買い物帰りにいつもと違う道を通ってみたら、門扉の向こうから美味しそうな香りが漂ってきて、思わずつられたのだ。焼きそばと玉せん、とても美味しかった。
そうやって、一時間半。大人も子どもも創作活動に夢中になっているのを眺めた後、逸樹は庭に出てみる。イベントの日、子どもたちが手作りレモネードを売ったり、大人が焼きそばの屋台ではしゃいだり、ビニールプールが登場したり、そしてみんなでコラージュを創ったりと、お寺は明るく開放的な空気に充ちていた。
みんな楽しそうで、逸樹も楽しい。本当に久しぶりに、心躍った。珍しく孤独感や疎外感は感じず、お気に入りのスター・ウォーズのTシャツと、白いデニムパンツに白いスニーカーで出掛けられた夏のこの日をうれしく思う。ファッションが好きな逸樹は、真ん中から分けた黒髪が目にかかるのを気にしながら、出店を覗いて楽しんだ。
そして、見知らぬ人たちに揉まれながら、気がつけば本堂の裏手に来ていた。
イチョウの木の下で、黒いTシャツにチノパンツを履いた、背の高い、がっしりした男性が一人でアイコスを吸っていた。それが深山一慶だった。
深山は逸樹に気がつくと、
「ようこそです」
と笑ってアイコスの電源を切った。
「ラムネ、飲みました?」
唐突に訊かれ、逸樹が首を横に振る。深山は腰掛けていた石から腰を上げると、
「お金、いりませんよ。飲みに行きません?」
と逸樹を誘った。逸樹はよくわからないまま、行きますと答えた。
それから、スーパーボールすくいを担当していた大外を深山から紹介してもらって、少し話した。鮮やかなブルーのワンピースに、アフリカン・ファブリックのヘアバンドを身に着けた彼女もまたおしゃれだった。
大外は逸樹に、「ボランティアで、ときどきご飯を作って持ってくるとか、本堂のお掃除とか、ごえんさんのお手伝いをしてます」と自己紹介した。
……ということで、それは本当に、「たまたま」だったのだ。「たまたま」。
週三で、午前中の二時間だけ作業所に通って時間が有り余っている逸樹は、「おれもなにか手伝いましょうか」と名乗りを上げていた。たまたま、初めて訪れた安楽寺で過ごした二時間が楽しすぎたのだ。
逸樹には珍しい積極性である。仲良くなりたい人がいても、距離を縮めるのが元々苦手だ。
「うれしいな。有難い」
深山はラムネを飲みながらのんびり笑って、大外も「いいじゃない!」と乗り気だ。
「ごえんさん、ご法座と法事が無い日は引き籠ってますもんね。外からの新しい風が欲しいところ」
「風、吹いてほしいですね」
呑気に笑う二人に、いつも武装している逸樹の心が少しずつ柔らかくなっていった。それはさながら蝉が古い殻を脱ぎ捨てていくように、繊細にして予兆を感じさせる脱皮だった。なにかの、予兆を。
最初のコメントを投稿しよう!