ただいまの呪い

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 最初はただ抱き合っているだけかと思った。男は母さんの背中に腕を回し、はだけた首筋に顔を埋めていた。母さんも腕をだらんとたらし、明確に男を受け入れている。どこか恍惚とした表情にすら見えた。俺は見てはいけないものを見てしまったと思い、「ごめん」と謝った。  だけどその直後、ぐじゅるぐじゅるという嫌な音がした。俺はもう一度、母さんと男を見る。  男は口を大きく開き、母さんの首にかぶりついていた。歯が突き立てられた場所からは赤い液体が幾筋も垂れ、母さんの顔色が変色して白っぽくなっている。そしてそれに反比例するように、真っ白だったはずの男の肌はほんのり血色を帯びている。  血を吸われている。 「てめぇ! 母さんに何しやがる!」  俺は男に掴み掛かり、母さんから無理やり引き剥がした。男を押し倒し、馬乗りになり、顔を殴りつける。男は一切表情を変えず、貼り付けた笑みで俺の拳を受け止める。男の肌は氷のように冷たかった。まるで生き物の感触じゃない。少し口角の上がった口元からは、飲みこぼした母さんの血が溢れている。俺は無我夢中で殴り続けた。途中、男はキシュッとかブヒュッとか気持ちの悪い鳴き声を上げた。 「稔っ!! やめなさい!!」  母さんの絶叫が聞こえ、俺は突き飛ばされた。床で強く身体を打った俺が呻きながら上半身を持ち上げると、男に縋り付きながら大事そうに顔を撫で上げる母さんの姿が目に写った。その足の下には、くしゃくしゃになったブランケットが落ちている。 「か、母さん、なんで」 「アンタ、なんてことするの!! あぁ、チロさん、チロさん」 「なんなんだよ……なんでソイツを庇うんだよ! 血を吸われてたんだぞ!?」 「チロさん、チロさん。ごめんね。ごめんね、チロさん」 「なんなんだよ。何が起きてるんだよ。一体誰なんだよ、ソイツ……」 「チロさんにこんなことをするなんて、許しません。アナタはもう、うちの子じゃありません」  母さんは機械のように冷たい声で言い放ち、二度と俺に目をくれることはなかった。  その後、当たり前のように食事を再開したソイツをどうすることもできず、俺は自室に戻った。そして、ドアの向こうから微かに聞こえるぐじゅるぐじゅるという音を聞きたくなくて、俺はイヤホンをしたまま布団を頭まで被り、震えながら縮こまっていた。
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