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1.金羊毛のニードルフェルト
不思議なあの子に出会ったのは塾の帰り道。僕が曇り空の下を走っていた時だった。塾の荷物を入れたリュックサックが走るたび背中で暴れて肩が痛い。
「まずい！雨が降って来るぞ」
湿った土の香りが鼻に抜ける。無情にも雫が僕の頬にぽつりと落ちてきた。空を見上げたのが駄目だった。
僕はコンクリートの窪みに足を引っかけて転んだ。それはもう、盛大に。
「いててて……」
両ひざにヒリヒリとした痛みが走って思わず顔を顰めた。血がにじむのが見えて、雨の雫もポタポタと頭に当たり始める。
ついてないな……。走れないばかりかずぶ濡れになってしまう。塾の問題集も雨で濡れたら大変だ。
「大丈夫？」
横から傘を差しだされる。僕はゆっくりと顔を上げて驚いた。
「わっ！」
もう一度転んでしまいそうになったけど、なんとか足を踏ん張る。
どうしてそんなに驚いたのかというと、その人が身に着けていたレインコートが、雨粒が当たるたびに光っていたからだ。
ただ光るだけじゃない。水面に水滴を垂らした時、円状の波紋ができるように、そのレインコートにも雨粒が当たると水の波紋が浮かび上がるのだ。
色んな色に変化してとてもきれいなんだけど……どういう仕組みなんだろう。まずお店では見かけたことがない。
暫くその不思議な現象に目を奪われていると傘を差しだしてくれた人が口を開いた。
「ごめんなさい。驚かせちゃったみたいね」
そう言って頭にかぶっていたローブを後ろに下ろす。
その中から現れたのは優しそうな顔をした女の子だった。三つ編みをしたふたつの髪の束が外側にくるんっとしていてかわいらしい。
顔も優しいそうだけれど声も穏やかでふんわりとした雰囲気をしている。
落ち着いていて余裕のあるこの感じ。僕と同じ子供のはずなのに何だか大人っぽい。
神秘的な雰囲気と、不思議なレインコート。その姿はまるで……
「魔法使いみたいだ」
僕が呟いたのを聞いて女の子は驚いた顔をする。その後で微笑みながら僕に手を伸ばした。
「うちで雨宿りしていったら？怪我も手当しなきゃいけないし、これからもっと降って来そう」
一瞬知らない人の家に上がらせてもらうのはどうかと思った。この子のこと知らないし……。悪い人ではないんだろうけど……と難しい顔をしていると、女の子が笑みを浮かべた。
「大丈夫。私もあなたと同じ、坂ノ上小学校の生徒だから……」
「え？どうして分かるの？」
「だって、うちの前は坂ノ上小学校の通学路だからね」
僕は簡単な問題に答えられなかった生徒みたいに顔を赤くした。そうだよ。普通に考えればこの辺の子供はみんな坂ノ上小学校の生徒だ。
「でも見かけたことないよ……」
「それはそうだよ。引っ越してきたばかりだから」
そう言って女の子はいたずらっ子っぽく笑った。
何はともあれ同じ学校の子供だというのなら安心だ。僕は女の子の言葉に甘えることにした。
「そしたら……お邪魔します」
女の子は強く僕の手を引っ張って立ち上がらせると、門扉の前で微笑んだ。
「ようこそ」
おとぎ話の世界を切り取ったような光景にどきりとする。少しだけ怪我の痛みを忘れることができた……ような気がした。
「うわあ……すごいや」
レインコートにも驚いたけれど、女の子の家にも驚いた。
オレンジの屋根が可愛らしい、おしゃれな洋風の家なんだ。レンガに囲まれた花壇にテラス席とアーチ形の門扉……。まるでおとぎ話にでてくる外国の家みたいだった。
家の壁は蔦がかかっていてやっぱり魔法使いの住むような家に見える。
おとぎ話に登場しそうな女の子の雰囲気とすごくマッチしていた。僕もおとぎの国に入り込んでしまったような気分になる。
こんなに綺麗で目立つ家、どうして今まで気が付かなかったんだろう？不思議に思っている所に僕は表札のところに真新しい木目調の看板が掛かっているのを見つけた。
「ハンドメイドショップ『ウィステリア』？お店やってるの？」
「うん。そうなの」
女の子が照れくさそうに笑う。
「ウィステリアって藤の花って意味なの。私の名前、藤咲真歩って言うからそこから取ったんだ」
「へえ……そうなんだ。藤咲さんの藤からね」
僕らは話しながらドアの前までやって来る。藤咲さんが傘を閉じ、ドアを押さえてくれている。
「お……お邪魔します」
恐る恐る挨拶して玄関に足を一歩踏み入れる。背中の方でザーッという雨の大きな音が聞こえてきた。
良かった……。あのままあの場所を歩いていたら確実に雨に打たれて風邪を引いていただろう。
改めて目の前に広がる光景を見て、僕は声を上げた。
「わあ……！すごい！お店だー！」
玄関口はすぐにお店に繋がっていて、雑貨が飾られた棚がずらりと並んでいた。広くも狭くもない。丁度いい広さだ。ウッド調の作りとランプの優しいオレンジ色の光がほっとする素敵なお店だった。
普段雑貨屋なんて入らないけど、なんだかこのお店は好きだなと思えた。
「作業台の椅子に座ってて。私、救急箱取って来るから」
「あ……うん。ありがとう」
僕は奥に見える椅子とテーブルを確認するとノロノロと進んだ。膝を怪我すると足が動かしにくくて不便だった。
よっこいせと木の椅子に腰かける。藤咲さんが戻るまで暇だったのでテーブルの上の物を眺めていた。
やっぱり雑貨屋さんとだけあってイヤリングやネックレスといったアクセサリー類が並べられていた。恐らく作成途中なのだろう。
でも不思議だな……。このネックレスのパーツなんて夜空がこの中に閉じ込められてるみたいに見える。
じいっと丸いガラス玉を眺めていたら……きらっと何かが流れて行くのが見えた。
「流れ星だ！」
僕は興奮気味に叫んだ。どうやらこのお店で売ってるものは普通のものとは違うらしい。だとしたらもっと色んなものを見たい！そんな風に僕がワクワクしていた時だった。
「お前、いちいちうるさいんだよ！」
どこからか声が聞こえてきたんだ。おかしい。ここには僕と藤咲さんしかいないはずなのに……。
頭を振って懸命に声の主を探す。何気なく視線を落として見つけた物に僕は目を丸くさせた。だって、だってだって……。
「ぬいぐるみが……動いてる……！」
声の主はテーブルの上に居た小さなふわふわの物体だった。不機嫌そうに尻尾を上下させている。ぱっと見た感じ猫型のマスコットみたいだ。そいつは黒猫で、普通の猫とは違って二足で立っていた。
動く人形なんて怖いものだけど、そいつは全然怖くなかった。手のひらサイズだったし、可愛らしい見た目をしていたからだ。
「全く。マホはどうしてこんなうるさい奴連れてきたんだろうな」
短い手を交差させて腕組している姿が何だか面白い。
「へえ……。すごいや！ここって不思議な物が売っている、魔法の店なんだ！」
僕が感激しているところに救急箱を持った藤咲さんが現れる。レインコートはどこかへ干したのだろう。ふんわりとした白と黒のギンガムチェックのワンピース姿へと変わっていた。
「あ！ノア！出てきちゃ駄目って言ったのに」
藤咲さんは腰に手を当てて呆れた表情を浮かべていた。
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