「おじさん、あと一回」

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「おじさん、あと一回」

 コルクの弾は僕の視線の斜め上に逸れて、テント背面にぽよんと跳ね返されて落ちた。 「ドンマイ。あと二発あるからね」  一回五百円の射的屋のおっさんが慰めるのは口先だけ、ニヤニヤ笑いを隠そうともしない。僕は汗で湿った手で次の弾を込めた。 「啓ちゃん頑張れー」  浴衣美少女が僕を見守る。美少女だなんて本人には言えないけど。小学生の頃は一緒に鬼ごっこしてたし僕が泣かされるのも日常茶飯事だったけれど、十四歳になった奈桜は触れるどころか視線を合わせることすらおいそれとできない美しさをまとっていた。僕は奈桜の方を向かないまま親指を立ててみせた。 「大丈……」  強がりの言葉を最後まで言うことはできなかった。  甲高いはしゃぎ声が後ろを通り、僕の腰に衝撃と冷たさが走る。無様にスッ転ぶのだけはなんとか堪え、笑みを張り付けたまま振り返った。 「ご、ごめんなさい」  泣きそうな顔で後ずさるのは小学校低学年くらいの男の子。手に持ったかき氷のカップから中身が少しはみ出ている。シロップかけ放題に甘えて全種類制覇を試みたらしく氷は濁った茶色。糖分をたっぷり含んだ氷の上半分が僕のジーンズの腰から尻ポケットの辺りにぶちまけられていた。 「ケガはない? 前見てないと危ないよ」  奈桜がぱっとその場にしゃがみこみ、男の子をたしなめつつポーチからウェットティッシュを取り出した。こういう瞬発力で僕が奈桜に勝てた試しなんてない。真剣勝負に水を差された苛立ち一割、お祭りでテンション上がるのはしょうがないよなという同情五割、奈桜に尻を触られる居心地の悪さ四割(最後の割合がじりじりと伸びてきている)で曖昧な笑みのまま立ち尽くすしかない。 「いいよ気にしないで。奈桜もあんま触んなよくすぐったい」 「染みになるよ?」 「尻触んなえっち」 「ばーか」  そんなやり取りをしていると人混みの向こうからワンピース姿のおばさんが駆け寄ってきた。男の子の表情がぱっと明るくなる。男の子の母親らしきおばさんは男の子の手の中でひしゃげたかき氷カップと僕のジーンズを見比べ、あわてて頭を下げた。 「息子がごめんなさい! クリーニング代これで足りる!?」 「ああいや、いいんでまじで」  おばさんは千円札数枚を僕に握らせようとする。奈桜の前だからかっこつけてるわけじゃなく本当に大したことないんだけど、おばさんはあんまり話を聞かないし圧と握力が凄くてちょっと引く。  気圧されてた僕は射的屋のおっさんのあくびで我に帰った。 「すいません、ちょっと今は勘弁。あと二発、待っててください」  コルクの弾は二発。  僕が狙うのは奈桜の推しキャラのフィギュアで、それを落としたら告白しようと密かに心に決めていた。一世一代の勝負の前ではかき氷まみれの尻とかしわくちゃの千円札とかは些事、のはず。  僕の手のひらがやんわり千円札を押し退けるとおばさんはようやく口を閉じてくれた。ぼくは再び的に向き直る。  銃の台尻を腹に当ててボルトレバーを引く。木と金属の重みは見た目以上にずっしりと僕に圧力をかけてきて、ボルトレバーに仕込まれたバネが僕の手を押し退けようとする。息を止めて、吐き出さず、コルク弾を銃口に押し込んだ。  狙うのは最上段の真ん中。   引き金を引く。  ボルトレバーの硬い音。  ぽこん。  ふたつ右隣の菓子箱が落ちた。 「あと一発、頑張れよぉ」 「お兄ちゃん頑張れ!」  能天気なのはおっさんと男の子。おばさんは外野のはずなのに爛々とした目で見守りつつ両手を組んでいる。  外したってどうと言うことはないんだ。やっちまったーなんておどけて菓子を差し出せば奈桜は受け取ってくれるだろう。屋台の買い食いついでにサラダ味のプレッツェル菓子を分け合う時間だって充分幸せだろう。  ただカッコ悪いところを見せた後で告白する勇気なんて僕にはなかった。  指が震えていた。金具がうまく噛み合わないのかボルトレバーががちゃがちゃと音を立てる。この、いうこときけ、力任せに引っ張ろうとした僕の脳裏に幼い頃の記憶がよぎる。  僕は射的が苦手だった。  幼稚園の頃だったと思う。奈桜とその母親、僕とうちの母親とで縁日に行った時、同じ組の男の子が射的の屋台で大泣きしていたのを見かけた。ボルトレバーを引くときうっかり指を引っかけてしまったんだろう、手首につうっと一筋血が流れるのを見た僕はつられて泣いてしまった。  その子は次の日元気に登園して、射的屋でもらったという戦隊ヒーローの絆創膏を傷口に巻いて名誉の負傷面をしていた。たいしたケガじゃなかったんだろう。  なのに僕の頭にはあの血の色が鮮明にこびりついて『ケガをするからやらない』なんて言い訳が小学校半ばまで続いた。  そんな苦手意識を吹き飛ばしてくれたのは、  ――なら一緒にやろうよ。啓ちゃんどんくさいから、ケガしないようあたしが―― 「あたしが支えてあげる」  濃紺の浴衣の中で朝顔が泳ぐ。  萎えてしまった僕のかわりに細い手がボルトレバーを引く。昔と違って日焼け知らずの白い手のひらが下から銃身を支えた。 「まったく啓ちゃんは昔から緊張しいだよね。周りをよく見てるからいざって時の瞬発力が足りないし、優しすぎて怒るのも下手」  淡いピンクの爪。つやつやした髪。  僕の心の一番近くにいる女の子は世界一きれいな笑顔で、 「そういうとこ好きだよ。彼氏にしたいって意味で」  言った。  おっさんがお地蔵さんみたいに目を細めた笑顔になりおばさんが両手で口を覆い男の子がタバコをふかす真似をした。  僕は――気持ちが通じたのを喜べばいいのか先に言うなよと怒ればいいのかわからず、ただこの銃の重みを少しでも引き受けようと台尻を腹に押しつけるのみ。  最後の一発は見当外れな方向に飛んでいった。 「残念! ある意味大当たりだけど残念!」  おっさんうるさい。  銃を返すと奈桜がぱっと離れた。いつの間にか僕の方が背が高くなっていたとか和柄のポーチの持ち手をもじもじとこねあわせる手が僕のそれより小さいのとかに今さら気づかされる。  夢のようだ。  都合のいい夢でも見てるんじゃないか、と奈桜いわく緊張しいの心は現実逃避に走ろうとする。  でもここで逃げたらきっと、気安い幼なじみでさえいられなくなる。  喉が、震えた。 「僕も奈桜が好きだ。射的で一等賞狙って……景品をプレゼントするような彼氏になりたい」  浴衣の肩が跳ねる。  僕を見上げる大きな瞳が揺らいだ。 「ハズレでも告白ナシにしないでよ」  冗談めかして言う奈桜の頬を涙が滑り落ちる。僕は無言で、でもしっかりと頷いた。  再チャレンジだ。  財布を取り出す。  指先で小銭入れを探るが手応えはない。念のため覗いてみると紙幣もない。キャッシュレスに慣れきった世代の弊害である。祈るような心持ちで屋台を見るがキャッシュレス決済の機械なんてどこにもなかった。  がくん、ひゅーん。  突如地面に穴が空いて奈落の底へ没収される僕――そんな妄想で頭がいっぱいになりそうだった僕の肩を叩く手があった。 「弁償の話、もういいかい」  慈愛溢れる笑顔で千円札を差し出すおばさんはひょっとしたら前世が聖女とかだったのかもしれない。一枚だけ千円札を受け取り、あらためておっさんに向き直った。 「おじさん、あと一回」
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