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14歳の黒髪歌姫は戦場の花になる
兵士達に光を与えた黒髪の歌姫
戦地に咲いた貴き花
その花片が一枚も散ることのないように
盾となり吹き荒れる風から守ろう
それが私のただ一つの誇りである
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「烏珠、とは?」
ミラージュは目の前の部下、将軍レントに問うた。
「黒い鳥の羽根が濡れたような様、転じて漆黒の色を表すそうです」
レントは恭しく立ち膝のまま顔を伏して言う。
この天幕には誰もいない。幼少の頃からの仲だ、ミラージュはレントに顔を上げさせ対面に座るよう促した。
レントは躊躇いがちに漸く座る。その様に苦笑してからミラージュは続けた。
「どこの言葉なのだ?」
「は。極東の国特有の言葉だそうです」
「極東?歌姫が来るのは北端のコモドではなかったか?」
ミラージュの疑問に、レントは頷きつつも首を傾げていた。
「御意にございます。なんでもコモドでは古くから極東の国と交流があるそうで」
「大陸を三つも隔てているのに、どうやって?」
「そこまでは報告には上がっておりません。コモドは得体の知れぬ国、何か珍妙な魔術でもあるのやも。調べますか?」
王子の問いに答えられなかった事を気に病んでいる様子のレントに、ミラージュは視線を逸らして答えた。
「いや、いい。コモドの内政に関わるだろう、折角歌姫を献上させたのだからこれ以上の深入りは無用だ」
「御意」
「それで、その『烏珠の謡姫』とやらはいつ着く?」
「今日の朝、王都に入ったと知らせがありました。ここに到着するのは明日の午後でしょう」
言いながらレントが差し出した報告書を軽く一瞥してから、ミラージュはそれをつまらなそうに机上に捨てた。
「そうか。とりあえず歓迎の準備をしておけ。雪深い所からわざわざおいで頂くのだから」
「は。かしこまりました」
短く答えた後、レントは長居は無用とでも言いたげに即座に席を立つ。
忙しない奴だ。ミラージュは無骨な幼馴染を見ながらまた苦笑した。
「アルス」
「殿下、名前で呼ぶのはおやめください」
「いいじゃないか。ここには私とお前しかいない」
ミラージュの目が悪戯っぽく光る。レントは観念したように息を吐いた。
「なんです?ミラージュ」
「その歌姫、美人かな?」
「……」
レントの視線がミラージュを刺した。言わんとすることは、わかっている。
「歌姫様はコモドの中でも特に重要な地位を占めるモレンド村から献上させた人質です。お手を出されては困ります」
「しないさ、そんなこと!でも、こんなむっさい戦場に美人が来てくれれば華やぐだろう?」
「まあ、正に歌姫を戦地に投入する理由はそこですが」
「楽しみだな」
ミラージュがにこにこ笑う様に、レントは信用できない瞳を一瞬だけ向けて、言っても無駄だろうと諦めた。
「……今夜はゆっくりお休みください」
「わかったわかった!」
ミラージュの軽い返答に、レントは大きな溜息とともに天幕を出ていった。
きっと徹夜で支度をするであろう幼馴染を見送って、ミラージュはベッドに横になった。
木組みの物に毛布だけがかかっている粗末なものだが、レント以下の部下に比べて遥かに寝心地が良い。
三食必ず出る、肉。
安眠できる、ベッド。
それらの設備を思うだけでミラージュは己のプレッシャーに気持ちが沈んでいく。
もう百日も戦争をしている。長引くのは自分に将の器がないからだ。
満を持して投入されるという、必勝のコーリソン。
「さて、どうなるか……」
キリキリ痛み始める胃を摩りながら、ミラージュは眠れぬ夜を過ごした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日は朝から曇天模様だった。
戦争相手のペザンテでは先祖の霊を祀る儀礼が行われている。
休戦の申し出を受けて、ミラージュの陣営は束の間の休息をとっていた。
長いこと戦争をしていれば、相手国の行事などは全て情報が入ってくる。
この時期は休戦を願い出るだろうと言う算段で、自国の宰相達は『烏珠の謡姫』の投入を画策していた。
それが、今日、ついに実を結ぶ。
計画通りに休戦し、噂の歌姫を招き入れるのもどうやら間に合いそうだ。
ただ、不安なのはこの曇り空。
少し湿り気のある風も吹いている。
雨でも降られたら厄介だ。
歌姫が戦場に降臨するのは、希望に満ちたシチュエーションでなければならない。
兵士達の士気を充分に上げるために。
「やはり私はもってない、な」
朝食を済ませた後、ミラージュは天幕から出て空を見ていた。
周りを見れば、兵士達は思い思いに休暇を過ごしているようだった。
そう命令したのはミラージュ本人である。
最初、レント将軍は休暇は一日のみで後は訓練することを進言した。
だがミラージュはもう百日も故郷に帰っていない兵士達の精神面のケアに重きを置いた。
訓練するもよし、のんびり過ごすもよし、と限られた場所ではあるが自由を与えた。
「ほうら、見ろアルス」
「何がですか?」
ミラージュが天幕から出て来たのを何処で見ていたのか、レントはすぐに走って来た。
過保護な幼馴染を揶揄するように、ミラージュは笑う。
「彼らののんびりした顔。中には笑っている者もいる」
「はあ……」
「お前の地獄のような訓練を許可していたら、この光景は見れなかっただろうなあ」
「少々弛み過ぎではありませんか?」
不安そうな顔のレントに、ミラージュはニッと笑って続けた。
「すぐに引き締まるさ、ほら」
ミラージュは遠くの方向を親指で指す。微かに土煙が舞っていた。
「あれは……」
「随分お早いお着きだ。夜通し走って来たのだろう、無茶をする」
レントが目を凝らしていると、だんだんと馬の頭が見えてくる。幾許もたたないうちに馬車の全容も見えてきた。
掲げる旗には白い羽と黒い羽。リゾルート王家の紋章である。
「派手な登場だなあ。道中はちゃんと隠してきたんだろうな、アレ」
大仰に旗めく紋章に、ミラージュは思わず苦笑した。
派手好きの父王のやりそうな事だ。
馬車は陣営の入口で止まる。レントは急ぎ向かおうとした。
だが、振り返って少しミラージュを睨む。何故ならその顔は「絶対ついていく」と物語っていたからだ。
「殿下はそこでお待ちください。私が案内して参ります」
「いや、私も行く」
「殿下……」
レントは溜息を吐いてまた睨んだが、ミラージュは涼しい顔で言ってのけた。
「歌姫様を王子が直々にお迎え申し上げるのだ。それでこそ彼女の神聖が生まれるだろう?」
「わかりました、さすが陛下の御子です」
「まあな」
そうしてミラージュとレントは揃って馬車が止まった方向へ駆け出した。
「おお、殿下!直々のお出迎え、痛み入ります」
最初に馬車から降りたのは、レント大臣だった。レント将軍の父親である。
「ご苦労だったな、レント。お前が来るとは思わなかったよ」
ミラージュの言葉に、レント大臣は腰を摩りながらにこやかに答える。
「ええ、息子に会うためでしたら職権も乱用しますぞ。殿下も御健勝のようで何よりです」
「ははは。相変わらずの息子煩悩だな」
「たった百日程度で変わるものですか!私はアルスが花嫁を迎えるまでは死ねませんぞ」
カラカラと笑う大臣のなんと気安いことよ。
ミラージュは父と同様に慕う老大臣が顔に皺を作る様を和やかに見ていた。
「父上、もうその辺で……」
遅くにできた末っ子で、レント大臣が目に入れても痛くない愛息子は罰が悪そうに父親を嗜めた。
「おお、そうだな。すっかりお待たせしてしまった」
慌てて馬車の方を振り返ったレント大臣を制して、ミラージュは前に躍り出る。
「烏珠の謡姫殿、長旅お疲れ様でございました。私はリゾルート国第三王子、ミラージュと申します」
ミラージュは馬車のまだ閉まっている扉に向かって朗々と語り、その場に跪いた。
折よく、兵士達が野次馬のように遠巻きではあるが馬車の周囲に集まっている。
大臣と雑談をして時間を潰した甲斐があった、とミラージュは人知れずほくそ笑んだ。
「どうぞ、お手を。お気をつけてお降りください」
ミラージュはまるで俳優が演じるような仕草で人の目を惹きつける。
すると雲間が晴れて太陽が顔を出した。
馬車はまるでライトを当てられたように光り輝く。
絶好のロケーションが揃った。
歌姫は私と違って「もっている」、そう感じたミラージュは陽の光が差し込んでいるうちに馬車の扉を開けた。
王子の手を取って、絶世の美女が現れれば演出は完璧だった。
「えっと……」
中から鈴が鳴るような可愛らしい声が聞こえた。
おずおずと差し出された手はとても小さく、なんと小柄な女性なのだろうとミラージュは思う。
「さあ、皆貴女の到着を待っておりました。お顔をお見せください」
ミラージュは少し強引に彼女の手を引いて、馬車から降ろそうとした。
とても軽い。まるで子どものような……
「あ、ありがとうございます」
ひょこっと馬車から頭を出した歌姫は、小柄な大人の女性ではなかった。
あどけなさの残る、誰の目で見ても愛らしい少女だった。
「……」
とりあえずミラージュは何も言えなくなった。
驚きでその手を離す訳にもいかない。
その少女をエスコートして馬車から降ろした後、改めてその姿を確認する。
黒い瞳、緩やかなウェーブがかかる黒髪はまさに烏珠。
身長はミラージュの胸よりも下。
特別にしつらえた、巫女服を模した薄桃色のドレスを身に纏っている。
「初めてお目にかかります。モレンド村から来ました。ユラと申します」
「ミ、ミラージュ・リゾルートです……」
想像していたのとあまりに違う姿に、ミラージュはすっかり呆けて自己紹介しか出来なかった。
「よろしくお願いいたします、ミラージュ様」
手を前で合わせてお辞儀をするユラの姿を、周りの兵士達も騒めきながら見守っていた。
聖なる儀式のような演出をしようと思っていたミラージュの思惑は弾け飛ぶ。
美女──という前提が崩れてしまったのだから、それは仕方のないことだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ミラージュは歌姫のために特別に設えた天幕の中で頭を抱えていた。
いや、正しくは頭を抱えたい気持ちを堪えて、幼い歌姫と相対して愛想笑いを浮かべている。
ユラ、と名乗ったその少女は従者を一人連れていた。こちらも年若い男である。
彼は弦楽器のようなものを肩にかけて、座るユラの後ろで静かに控えていた。
「どうぞ。戦地ゆえあまり上等なものではありませんが……」
レント将軍はここではとっておきの茶葉でお茶を入れて、ユラの前に出した。
それを不思議そうに眺めて、後ろの従者を振り返る。
「せっかくだから、いただいたら?」
従者の少年は穏やかな声音をしていた。北の国特有の民族衣装を着ている彼の言葉で、ユラはそっとカップに口をつける。
「どうぞ、従者の方もお座りください」
「ありがとうございます」
レントが促すと、少年は漸く席に座る。それから出されたお茶を同じように飲んだ。
「こちらは伴奏者をかって出てくださった、モレンド村長の御子息、セイタ殿です」
大臣の紹介に、ミラージュは思わず目を丸くした。
「村長の息子?それでは跡取りなのでは?」
「ええ、まあ」
セイタは軽く頷いた後、小さな声で呟くように言う。
「こんな遠くまでは、他の村民はちょっと……」
ああ、確かに。ミラージュはかえって納得してしまった。
村の宝である歌姫を危険な戦場に送るのだ。生半可な地位の者では、覚悟という意味で従者は務まらない。
それにしても大切な跡取り息子まで差し出すとは、この件はただの戦地慰問ではないのかもしれない。
ミラージュは少女だけでなく、この少年までにも敬意を払わねばならないことを悟ってまた胃が痛み出した。
「早速ですが、これからの予定の確認を」
レントはミラージュの座る横に立ち、ユラとセイタに向けて説明を始めた。
「今日はここでゆっくりと休んでいただきます。休戦が明けるのは明後日です。その前日、つまり明日の夕刻に兵士達への慰労と戦意高揚のための演奏会を開いていただきます」
レントの説明をこの少女はどこまで理解しているのだろう。
そんな不安をミラージュが抱くほどにユラの様子は心許なかった。
丸くて大きな瞳を忙しなく動かして、どこか気もそぞろな様子だった。
「行軍はいつですか?」
隣のセイタが聞くと、レントは少し躊躇いながら答える。
「明後日の早朝ですが……」
「そうですか。僕らもその最後列に加えさせてください」
「ええっ?」
レントが思わず高めの声を出す。そしてミラージュも驚いて目を見張った。
この少年少女が共に戦地へ赴くというのか?危険を通り越して、それは非常識だ。
レントとミラージュの戸惑いを当然のように受け止めていながらも、セイタは淀みない声で言う。
「ご不安はもっともです。もちろん前夜もここでユラは歌います。ですが、ユラの歌が真価を発揮するのは戦地においてです」
「どういう意味です?」
ミラージュが問うと、セイタは更にはっきりした声で言った。
「ユラの歌は武器だ、という事です。戦う兵士がたの後ろでユラが歌えば勝利は確実です」
正気の沙汰とは思えない。
それが今のミラージュの感想である。
歌が武器?
意味がわからない。
「……殿下、よろしいですかな?」
「なんだ?」
戸惑い続けるミラージュに、レント大臣が声をかけた。その表情は真剣なものだった。
「陛下もこの事は御承知にございます」
「父上の指示か?」
「御意。百日も戦を続けていれば兵士達の疲労はもはや極限状態。そこに投入される烏珠の謡姫は我が国の最終兵器にございます。是非とも戦地までお連れし、有効に活用せよとのこと」
「な……」
「ユラも僕も、その覚悟で参りました」
誰もが狂っていると思った。
いや、甘いのはミラージュだけだった。
「……父上がいらしたのは、そのためだったのですね」
レントは溜息混じりにそう言った。それでレント大臣も眉を下げて答える。
「まあ、そういう事だ。お優しい殿下には酷な決断をして頂くことになる。それを促せるのは陛下を置いては私しかいない」
ミラージュは優し過ぎて小心な所がある。だがその割に自分が納得出来ないことは絶対に首を縦に振らない。
妥協して誰かを傷つけるくらいなら、自らが矢面に立つ。そういう性格だ。
それこそ、王命だと押さえつけない限り。
「なるほど。王命を私に伝えるには、確かにお前がうってつけだよ……」
否応なしにせざるを得ないミラージュに、レント大臣は更に言う。
「陛下は長引く戦況を憂いておいでです」
「……!」
それは、最後通告と言ってもいい。
この戦を長引かせているのは、一重にミラージュの責任であるという事だ。
能無しの息子に、父親が強大な武器を与えたという訳だ。
ああ、もう、なりふりを構っている事態ではとっくになくなっている。
「わかった……」
ミラージュは肩で大きく息を吐いて観念した。
それでもほんの少し抵抗しなければ。言いなりでは自分を保っていられない。
「ただし、二人は私の側に」
「殿下……」
レントが何か言おうとしたが、ミラージュはそれを視線で制してきっぱりと言った。
「歌姫は、私が必ず護り通す」
その言葉の意味をどれくらい理解しているのか、ユラは大きな瞳を揺らしてミラージュを見ていた。
「……ご立派にございます」
レント大臣の朗々とした最敬礼で、その会議は締めくくられた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夜更けになってもミラージュは昼間の会議が頭から離れずに眠れなかった。
少し夜風に当たろうと天幕を出る。すぐ隣の歌姫が控える天幕を見た。
兄妹のようなものだから、とユラとセイタで共に天幕を使うことを許したが大丈夫だろうか。
大丈夫であろうとなかろうと、二人のプライベートであるからミラージュには関係がない。
だいたい子ども同士で何が起きると言うのか、ミラージュは不意に浮かんだ下世話な想像をかき消した。
だが、その天幕を開けて出て行った者がいる。ユラだった。
まさかとミラージュは一瞬焦ったが、彼女の様子は特段変わりなく、ふらっと散歩に出るような雰囲気だった。
しかし、別の問題がミラージュを焦らせる。少女とは言え大勢の兵士が寝ている環境を歩くだけで空恐ろしい。
その場で呼び止めることもできた。だがミラージュは彼女の後をそっと尾けることにした。
危険があればいつでも止められるように。何もなければそれでいい。こんな夜中に彼女と接することはミラージュでさえも躊躇われる。
ユラは兵士達の幕舎とは逆の方向をふらふらと歩き、ついに物見櫓の下にやってきた。
休戦中なので見張りの兵士はいない。ユラは櫓を見上げて、その梯子に手をかけた。
「そこまでにしておきなさい」
「!」
大切な歌姫に怪我などさせてはならない。ミラージュは努めて静かに声をかけた。
ユラは見つかってしまった後ろめたさなのか少し震えていた。
「ごめんなさい。登ってはいけなかった?」
「こんな夜中に少女が登っていい場所ではありませんね」
謝罪をしながらも悪びれないユラの表情は、純粋であどけなかった。
庇護欲をかられるとでも言うのだろうか。本人はそれを承知でやっているような気がした。
なかなかにあざといな、と思いながらミラージュが穏やかに嗜めると、ユラは口を尖らせて呟いた。
「……けち」
なるほど、そう来るか。
可愛らしい少女にそんな風に上目遣いをされては、大抵の大人は許してしまうかもしれない。
だがミラージュは多少なりともその耐性がある。王宮のパーティーではそういうご婦人方を沢山見てきたからだ。
「ダメなものはダメですよ。戻って寝てください」
数多の言い寄る女性にそうしてきたように、ミラージュはにっこり笑ってピシャリと遮断するように言った。
こういう事をするからお前はその歳で独身なのだ、とよく父王に叱られている。
だがユラは物怖じせずに尚もその場に踏みとどまった。
「……星を見ないと眠れません」
「は?」
「ここは、空が遠いです。星が見えない。私の村はもっと星が近かったのに」
ユラは完全にヘソを曲げていた。その不機嫌さ加減を見ると、先程ミラージュが感じたあざとさは故意ではないのだろう。
彼女はまだ、そういう駆け引きを知らない純粋な子どもなのだとミラージュは思い至る。
「コーリソン殿はおいくつですか?」
「十四歳です」
返ってきた答えに、ミラージュは驚いた。背も小さいし、もっと幼いと思っていた。
ミラージュが知る十四歳と言えば、舞踏会にも顔を出しこまっしゃくれた態度で男どもを手玉に取るくらいはやっている。
田舎の、貴族でもない娘はまだこんなものなのか。
「王子様は、おいくつですか?」
「え、ああ、二十四ですが」
まさか逆に聞かれるとは思わず、ミラージュはほとんど反射的に答えてしまった。
するとユラはニコと笑って首を傾げる。
「奇遇ですね」
「何がです?」
「私とちょうど十違う」
「まあ……そうですね」
「覚えやすくていいです」
真夜中なのに、そこだけがぽっと光るかのような笑みをユラは浮かべていた。
先程まで不機嫌だったのに、もう笑っている。女の子は本当に扱いが難しい。
妹のいないミラージュはこの後どう会話を運ぼうか困惑していたのだが、ユラはあっけらかんとして先を制した。
「わかりました。残念だけど戻ります」
「え、ああ、そうですね。そうしてください」
ユラは一人で完結させて、自分の天幕の方向を見る。
その挙動に振り回される形になったミラージュは間の抜けた相槌しか打てなかった。
「それではおやすみなさい」
ペコリとお辞儀をしてスタスタ歩き始める彼女を、ミラージュは我に返って呼び止める。
「待ちなさい。天幕まで送りますから」
ユラはそこでピタリと止まって振り返った。
「ありがとう」
花のような笑顔を見せる彼女に、ミラージュはなんだか胸のあたりがこそばゆくなる。
無事に天幕に戻ったのを見届けて自分の天幕に戻っても、その笑顔が頭から離れずに結局ミラージュは一睡もできなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
休戦最後の日は準備に終始するために多忙を極める。
各隊は配置確認と訓練に余念がない。
レントは各所を忙しなく行ったり来たりしている。
ミラージュも眠れなかった怠さと闘いながら、作戦の計画を何通りも確認していた。
ユラとセイタの接待は専らレント大臣に任せていた。
彼は今夕の壮行会を見届けたら王都へ戻ると言う。
本当に二人をここに置いていくつもりなのだ、とミラージュはその事も気が重かった。
二人を隊列に加える作業が一番難航した気がする。レントと二人で唸りながらも、結局ミラージュの隊列に加え護衛の兵士を増やした。
そのしわ寄せを受けてしまったレントの隊列の訓練は陽が傾くまで続いていた。
陽が暮れ始める午後四時。
壮行会と言う名の、歌姫のお披露目が行われた。
簡易ステージに上がり、彼女の紹介を兵士達にしたのはレント大臣であった。
北の国コモドからやって来た、モレンド村の烏珠の謡姫。
村はコモドが誇る民謡歌手の里だと言う。バラディアとは、戦場に無くてはならない士気を高める、一種の後方支援者だ。
その中でも特別な戦歌を歌い、兵士の精神だけでなく肉体すらも強化できるのが、コーリソン──ユラである。
レント大臣の説明を、兵士達は半信半疑で聞いていた。それはミラージュでさえも例外ではない。
ユラは、疲れた兵士の心を慰めるだけの歌手ではなかった。確かに、それは兵器と言っても差し支えないだろう。
コモドには門外不出の魔術が沢山あると言う。ユラの力もその一端なのか。
歌姫をただの慰問者だと思っていたミラージュは、目の前の少女の雰囲気に少し寒気を感じ始めていた。
「……では、ここでコーリソン殿に一曲吟じていただこう」
説明を締め括ったレント大臣が簡易ステージから降りて、ユラが一歩前へ出た。
兵士達は食い入るように彼女を見ている。
家族を国に置いて来た者ばかりだ、十四歳の少女に誰しもが己の近親者を重ねて見ていた。
ユラは一瞬空を仰ぐ。次いで、視線を眼下の兵士達にあて、スッと息を吸った音がした。
呼吸音が、この野外で響いたことにミラージュは驚いた。
ステージ後方からセイタが爪弾く演奏が鳴り始める。その複雑な和音にその場の誰もが度肝を抜かれた。
旅芸人や吟遊詩人などが使う弦楽器のようだが、初めて見るものだった。
弓も使わず、少年の指から奏でられる音には彼の体温が乗っている。そんな感覚を覚える演奏だ。
遠い大地を歩く その足音は聞こえない
ユラの第一声が響き渡った。その場の全員が息を呑んだ。
同じ空の下 あなたはそう言うけれど
姿が見えない それが悲しい
聞いたことのない歌。
それよりも皆の心を震わせたのは、聞いたことのない発声だった。
わたしの中のあなた とうに過去のあなた
今のあなたに わたしは会いたい
皆の知る歌手の歌、裏声を空に向けて歌い上げるのとは違う、はっきりとユラであるとわかる歌声。
確かにこの少女が歌っているのだと、地を這うような響きが聴衆を襲う。
空は青く 飛ぶ鳥の声が
宙は深く 光る星の瞬きが
あなたの声を運んでも あなたの姿に敵わない
小柄な少女が響かせるような歌ではなかった。
どこからそんな力強さが出るのだろう。
その可憐な口元から溢れる情熱に、ミラージュは意識の全てを奪われた。
戻れ ここに
帰れ この手に
わたしの腕は ただあなた
あなたをまた抱きしめる
その瞬間を ただここで 待っている
一般的に、戦地慰問で歌われるのは荘厳な軍歌もしくは郷愁を誘う民謡と相場が決まっている。
ユラの歌ったのは後者だった。故郷に残した者に再び生きて会うために兵士達の士気は上がる。
その場合、残してきた家族を思って涙を流す者は必ずいる。
だが、この場にそうした者は一人もいなかった。
ユラの歌は確かに兵士達の心に刺さっている。誰もが目の前の少女に圧倒されていた。
それから胸の奥から湧き上がってくる不思議な力に高揚する。
どおおおお……ん
ミラージュは最初何かの爆発かと思った。
だが、そうではなかった。兵士達の力強い歓声だった。
長い戦が続く中で、疲弊の色を湛えた瞳が、一人残らずギラギラと燃えるようだった。
わああああ……
兵士達は惜しみない拍手と歓声を烏珠の謡姫に送った。
ミラージュでさえも、この興奮を抑えながら立っているのがやっとだった。
戦意も、士気も高まった。
負けるはずがない。明日は必ず決着をつける。
十四歳の少女が、戦場で咲き誇る花になる。
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こんな感じの内容で連載を検討しています。
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