第二話

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第二話

 翌日、自宅にヒンギス国からの馬車が到着した時、思いもよらぬ人物が現れた。 「アウレリアお姉様……」  玄関先で、そう声をかけてきたのはメルーサだった。 「どうしたの?」 「お世話になったアウレリア様に、お別れを言いたくて」 「ありがとう。でも聖女になったあなたが、王子から嫌われている私と会うのは良くないことよ」 「嫌われているなんて、そんなこと……。ファルカン王子には、私なんかよりアウレリア様のほうがずっとお似合いだと思います」 「慰めはいいわよ。もう私は三十歳よ。しかも結構太ってしまったからね」  私は苦笑いをしながら続けた。 「メルーサは王子と歳も同じ。公爵家のあなたなら身分差もない。それに、私よりずっと美人なんだから。あなたこそ次の王妃にふさわしいわ。どうかお幸せにね」  婚約破棄された私は、精一杯の祝福の言葉を述べた、  そんな私にメルーサは、小さな箱を差し出した。 「お姉様、これを」 「何?」  異国のお菓子です。隣国へ行く道中にお食べください」 「ありがとう」  公爵令嬢であるメルーサは、その地位を活かして、珍しくて美味しいお菓子を手に入れることができる。そして、このように手に入れたお菓子をいつも私に持ってきてくれるのだ。  私は甘いものには目がなく、頂いたお菓子はすぐに食べてしまう。そんな私の気持ちを知ってか、メルーサは大量のお菓子をいつも持ってくる。おかげで私は、この五年間に十二キロも太ってしまったのだけれど。  もらったお菓子を持ち、馬車に乗り込もうとした時、メルーサは「もう一つ、お姉様にもらってほしいものがあるのです」と言ってきた。 「もう、これ以上いいわよ」 「いえ、これはとても大切なものなのです」  そう言うとメルーサは古そうな木の箱を持ち出した。蓋はしっかりと閉じられており、彼女は鍵を差し込みその蓋を開けた。 「これは何?」  箱の中には、金色に輝く細い円筒形をした物が収まっている。 「ブレスレットです」 「いいわよ、お菓子で十分よ、これ以上はもらえないわ」 「そんなこと言わないでもらってください。これはただのブレスレットではないのです。特宝のブレスレットなんです」 「特宝!」  私の声が裏返った。  特宝と言えば、屋敷が二つ三つ買えるほど高価なものだ。 「この特宝は、幸運を招くブレスレットなのです。見ず知らずの異国の地に向かうお姉様に、どうしてももらってほしいのです」  男爵家の私と公爵令嬢のメルーサでは、金銭感覚がまったく違うのだろう。こんな高価なものを簡単に人にプレゼントするなんて。  でも、その気持ちは嬉しかった。  現に私は、これからのことを考えると、不安でいっぱいなのだから。 「ありがとう。大切にするわ」  私はブレスレットを受け取り、木箱に戻そうとした。  するとメルーサはすかさず口を開いた。 「お姉様、ブレスレットを今ここで身につけてください。これは身につけてこそ効果が現れるものです。必ずやお姉様に幸運をもたらしますので」 「わかったわ」  私は言われるまま、ブレスレットを左手首に巻いた。  その姿を見て、メルーサは満足そうに笑った。 「これでメルーサからもらった装飾品は二つになったわ」  そう言って私は右手の中指にはめた指輪を見せた。  実はこの指輪も貴重な魔法道具で、付けていると希望が叶えられるそうだ。  ただ、指輪は三年ほど前にメルーサからもらったのだが、それから私は十二キロ太ってしまった。そのため、いま指輪は指から外せなくなってしまっている。  メルーサにそのことを報告すると、彼女は面白がって、ますます私にお菓子を持ってくるようになった。もうそんな毎日も今日で終わりだと思うと、寂しい気がする。 「じゃあ、行くね」 「アウレリアお姉様、どうかお幸せに!」  そんなメルーサの言葉を背に、私は馬車に乗り込み、ヒンギス国へと旅立った。  馬車の客室から後ろを振り返る。窓の向こうに見えるメルーサは、まだ立ったままでこちらを見つめていた。彼女はずっと私の姿が見えなくなるまで、その場で立ち続けていた。 「なんて良い娘なんだろう」  私は馬車の中でそう呟いた。   ※ ※ ※  馬車にゆられ、夕刻に差し掛かった時、「ここから先はヒンギス国になります」と御者が言った。  ついに他国に来てしまった。  私は不安をごまかそうと、大きくひとつ深呼吸をした。  ここ、ヒンギス国に知り合いは一人もいない。そう思った時、ふと昔の記憶がよみがえってきた。  いや、ヒンギス国には一人だけだが知り合いがいたのだ。  私がまだ魔法学校中等部にいたころ、転校生男の子がヒンギス国出身だった。名前はセロと言い、確か庶民の子だったのを覚えている。  当時から私は、魔法の天才として名を馳せていた。そのため、自分の実力を見せつけようと、私に魔法対決を挑んでくる者が多くいた。  そのなかの一人にセロがいたのである。  セロはヒンギスの魔法学校では敵なしとまで言われた魔法使いだった。  そんな彼も、私の評判を聞くとすぐさま魔法対決を挑んできた。  ヒンギス国の天才魔法使いは、得意げに炎のスピアを放ってきた。もちろん直接私に向けてきたのではなく、脅かすつもりで的を外しての攻撃だったのだが。  ただ、私はそんな攻撃をいとも簡単に、防御魔法で防いでしまった。  自信満々だったセロの顔が一瞬にして凍りついた。  世の中には、あなたより上の魔法使いがたくさんいるのよと、注意を促すつもりでこっそり本気の防御魔法をかけたのがいけなかったのだろう。実力差を思い知らされたセロは、目に涙をためながら下唇をかみ、背中を向けて走り去ってしまったのだ。  そんなことがあったので、私はセロに嫌われたのではと心配したが、むしろ逆の結果になってしまった。  それから、セロは毎日私のもとに来ては、魔法の話をしてきたのだ。私もそんな彼の魔法に対する情熱に押され、魔法談義に花を咲かせたのだった。  こうして魔法学校で一番の仲良しとなったセロだが、残念なことに一年もするとヒンギス国に戻ることになってしまった。  引っ越しの日、セロが私のもとにやってきて、こう言った。 「僕は、アウレリアよりすごい魔法使いになるよ」  そう言ってからポツリと付け足した。 「そして、君を守る騎士になる」 「ありがとう。だったら、私がが困ったときは助けに来てちょうだいね」  冗談っぽく笑って言うと、セロは真剣な顔をして「まかせて」と答えたのだった。  あまりにセロの顔が真面目だったので、なんだか恥ずかしくなった私はじっと黙っていた。すると、彼は意を決した顔をしてこう言った。 「僕が、立派な騎士になった時は……、僕と、結婚を考えてほしい」  笑って受け流そうかと思ったが、セロがあまりに真っ直ぐな目をしていたので、本心を正直に伝えることにした。 「嫌よ。セロの言葉を真に受けて、ずっと待っていたら、あなたはヒンギス国の可愛いお嬢さんと結婚していました、なんて未来がくっきりと見えるから」 「そんなこと、絶対にありえない」 「じゃあ、私の返事は、大人になってセロが本当に私を守りに来てくれた時、改めてするわ。それでいいでしょ」 「わかった。それまでアウレリアも僕のことを待っていてほしい」  結局あれからセロとは一度も会っていない。ここヒンギスで元気に暮らしているのだろうか。  セロも私と同じで三十歳になっている。  今はもう、きっと素敵な女性と結婚しているに違いない。  馬車にゆられながら、私はそんな思い出にふけっていた。
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