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第五話
ヒンギス国に来て一ヶ月が経った。
私は宮殿の最上階にある立派な部屋で暮らしていた。隣には、レオン王子の部屋があり、まるで私はレオン王子の妃のような扱いだった。
それにしてもレオン王子は、いつもキラキラと輝いている。王子を見ると、私は意味もなく照れてしまい、自分の目のやり場に困ることが多かった。
あと、レオン王子の優しい態度……、もしかして王子は私のことが好きなのかもと、変な妄想を抱くこともあった。
そんな宮殿での生活を続けていた時、レオン王子が、私と話がしたいと言い、私は従者に呼ばれ王子の部屋に招かれた。
「アウレリア、いったいどうしたのですか? 私はとても心配しているのですよ」
部屋に入るなり、王子は深刻な顔で尋ねてきた。
「何を心配しているのですか?」
「何をって、アウレリア、君は最近、ひどく痩せてきたじゃないですか」
「ああ、そのことですか」
確かに私の体重は減ってきている。この一ヶ月で八キロ痩せたのだ。
「城での暮らしで、辛いことでもあるのでしょうか?」
「あるわけないでしょ。充分すぎるほどの厚遇を受けているし」
「何か、辛いことがあれば。いつでも私に言ってくださいね。ここでのことなら、すぐに解決しますので」
「あ、ありがとう」
私の体重が減った理由は、別に心労などではない。
実は、ただダイエットを始めただけなのだ。
レオン王子のまぶしい姿を見ていると、なんだか今の自分の体型が申し訳なくなり、もう少し美しい私を見ていただきたくなったのだ。
お菓子の食べ過ぎで、この五年間に十二キロも太ってしまったので、まずは元の体重に戻すことを目標にがんばっているところだ。
「そんなことよりレオン王子」
体重を減らし、なぜか心まで軽くなった私は、以前から考えていたことを口にした。
「この国には、結界が破れてしまい、ひどく魔素が充満している村があると聞きました。私をその村に連れて行ってほしいの」
「どうしてそんな危険な場所に?」
「私はこれでも回復術師です。せっかくこの国に来たのだから、何か少しでもお役に立てないかと思いまして」
「わかりました。ただ、危険な場所なので長居はできませんよ」
「わかっているわ」
こうして私は、結界の破れてしまったチグリ村に向かった。
しかし道中、私は自分が軽率な発言をしてしまったと後悔しながら馬車に揺られることとなった。
というのも、私とレオン王子の乗る馬車の周りには、道からあふれんばかりの騎士団員たちが取り囲むという、仰々しすぎる大群での移動となったからだ。
村に行きたいと、簡単にお願いしてしまったけれど、その結果、これだけ多くの人たちが動かされることになっている。王子が危険な村に向かうわけだから、当然といえば当然なのだが。
揺れる馬車の中、隣に座るレオン王子が口を開いた。
「一つ疑問に思っていることがあるのです」
「何でしょうか?」
「どうしてアウレリアの魔力は、こんなにも弱くなってしまったのでしょうか。何か思い当たることはないですか?」
「分かりません。でも、三年ほど前から、急激に魔力が落ちてしまった気がします」
「三年前と言えば、ファルカン王子と婚約して二年ほど経ったくらいですね」
レオン王子はしばらくの沈黙の後、こう言った。
「ブレスレットの件もあります。誰かの陰謀でなければいいのですが。何か心当たりはありませんか?」
そう聞かれたが、特には何も思い浮かばなかった。
その後も馬車に揺られながら、レオン王子は私にいろいろなことを尋ねてきた。
特にファルカン王子と私との関係をいろいろ知りたがっている様子だった。
「では、アウレリアは、ファルカン王子のことを好きではないのですね」
「もともとあの婚約も、ファルカン王子が一方的に言い寄ってきて決めてしまったのです」
「そんなファルカン王子が、なぜ婚約破棄などしたのでしょうか?」
「気持ちが変わったのだと思います。いつまでたっても聖女にならない私より、若くて美しいメルーサのことが気に入ったのでしょう。しかも、メルーサは本物の聖女だったわけですし」
「ひどい王子ですね」
「最後に私は、ファルカン王子にこう言われたの。『君は強欲な女だ』と」
レオン王子は私の言葉を聞くと、咳き込みながら笑い始めた。
「アウレリアが強欲? 私には真逆に見えますが」
「王子の婚約者になると、嫉妬する人も多いみたいです。ファルカン王子に変な話を吹き込む取り巻きもたくさんいました。ファルカン王子と婚約して、特に人間関係で嫌なことがたくさんありました」
「大変でしたね」
レオン王子はそう言うと、私を見つめこうつぶやいた。
「ここでは、そんな思いはさせませんから」
そんな会話をレオン王子と続けていると、馬車での移動時間が驚くほど短く感じられた。
ふと気づけば、あっという間に目的のチグリ村に到着していた。
村に降り立つと、長居はできませんと言っていたレオン王子の言葉の意味がよくわかった。
魔力の弱い私でもわかる。
かなり濃度の高い魔素が村全体を覆っている。
私が聖女なら、この場ですぐに結界を修復してみせるのに。
魔素が消えれば、村も活気を取り戻すだろうに。
けれど、私にそんな力などない。
寂れた村を前に、自分の無力さを嘆くことしかできない。
そう落胆していると、道の先に誰かいることに気づいた。
まだ小さな女の子だ。ボロボロの服を身にまとっている。
女の子は、じっとこちらを見つめ、何か訴えかけるような目をしていた。
私の足は、自然と女の子へと向かっていた。
「こんにちは」
「……」
緊張しているのか、女の子に返事はない。
ただ、嬉しいことに、女の子が特に魔素の影響を受けて病んでいる様子はない。子供は大人に比べて魔素の影響を受けにくいと言われているが、その通りなのだろう。
「どうしたの?」
今度は精一杯の笑顔で話しかけた。
すると女の子は目を見開きながらこう言った。
「お姉ちゃん、聖女様でしょ」
「えっ?」
「お母さんを助けて!」
「お母さん、具合が悪いの?」
「うん」
「そうなんだ……」
この子は私を聖女だと思っている。
おそらくなんでも治せる力があると思っているに違いない。
けれど私の魔力では大した治療などできない。期待を裏切る前に、事実を述べておかないと。
「がっかりさせてしまうけど、私、聖女ではないのよ」
「そうなの? でもみんな言っているよ。レオン王子が他所の国から聖女様を連れてきてくれたって」
思わず私は、後ろにいるレオン王子に顔を向けた。
「そんな不確かな情報が広がってしまうのは、この村は、いやこの国全体が聖女を待ち望んでいるからです」
確かに魔素に汚染されているこの現状を見ると、村人がそう期待するのもわかる。
けれど、どう転んでも、私は聖女ではない。聖女になれなかった落ちこぼれ魔法使いなのだ。
「ごめんなさい」
私はそう繰り返すしかなかった。
女の子は、残念そうに唇をかみしめた。
そんな姿を見ると、少しでも役に立ちたい気持ちになる。
わずかに使える私の魔法でも、少しくらいなら効果があるかも。
「ただ、私も少しばかり回復魔法を使えるの。お母さんに試してみても、いいかな?」
「ほんと!」
途端に女の子の顔が明るくなった。
「お母さんのところに案内してくれる」
「うん!」
女の子は急いで駆け出すと、今にも朽ち果てそうなあばら屋に案内した。
鍵もない扉を開くと、木のきしむ音がした。
入るとすぐ部屋があり、床に布団が敷かれ、苦悶を浮かべた女性が横になっている。
「お母さん、この人はレオン王子が連れてきてくれた立派な魔法使いだよ。今からお母さんを助けてくれるからね」
母親は、なんとか挨拶だけでもしようとしたのだろうか。私に視線を向け口を開こうとしたが、言葉を発することもできないようで、苦しそうに顔を歪めている。
すぐさま私は女性の側に座り込んだ。後ろでは、レオン王子も一緒にかがみ込み、私の様子を見守っていた。
どこまでできるかわからないけど、少しでもこのお母さんを楽にしてあげたい。
そんな気持ちを込めながら、私は自分の両手のひらを母親の額と胸にあてた。
魔力を注ぎ込む。白い光が女性を包み込んだ。
けれど、しばらく回復魔法を続けたが、母親の苦しそうな顔に変化はない。
「だめだわ」
わたしはそうつぶやき、母親から手をはなした。白い光がすっと消えた。
「ごめんなさい。私の力ではどうにもならないわ」
女の子は途端に泣き出しそうな顔になった。
こんなことなら、何もしなければ良かった。
私はただ女の子に期待をもたせ、裏切っただけだ。
「ごめんなさい」
それにしても、どうして私の魔力は、これほどまでに弱まってしまったのだろうか。昔はもっと強力な回復魔法が使えていたのに。
いつから駄目になってしまったのだろうか……。
そう思いながら、私は無力な自分の手のひらを見つめた。
自然に右手人差し指につけた指輪に目がいった。
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