『愛犬』

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 「でも、うち、前のクロちゃんの顔ははっきりと覚えとるよ。まだ、目が悪くなる前やったけんね。確か、あれ、甲斐犬(かいけん)やったよね? 山梨県の猟犬として有名な……」  「そうそう。クロは綺麗な毛並みの黒色の甲斐犬やったよ。わしも目が悪くなる前だったけ、前のクロの顔はちゃんと覚えとる」  「このクロちゃんも身体黒いし、同じ甲斐犬よね? よう顔は見えんけど」  「そうそう、たぶん同じ甲斐犬よ! 身体も黒いし、ぼやっとしか見えんけど、目もくりっとしとるしな」  茜ちゃんは舌を出しハアハア言ってるクロの頭を優しく何度も撫でる。柔らかい表情でクロを見つめていると思ったら、今度は急にキリっと険しい表情に変わった。  「このクロちゃん、拾ったのって去年よね?」  「そうや。ちょうど、前のクロが老衰してから、だいたい1ヶ月後やったかな。前にも話したと思うけど、わしが山で山菜採りに行ったときに見つけたんや。山の奥からのそのそと小さな身体で歩いてきてな、わしを見つけるやいなやずっとついてきてな。しょうがないから、家に連れて帰ったんや」  「その時から身体の大きさ……あんまり変わらんね。犬ってすぐ大きくなる思っとったけど」  「まあ、そう言われてみればそうやな。まあ、拾ったときもかなり小さかったし、今から大きくなるんちゃうの?」  「それにしても……遅いわね。普通、1年経てば犬はだいたい大きくなるのに」  「まあ、犬の世界にもそれぞれあるんやろ。ほら、小学校のときにもいたろ? 6年間ずっとチビのまま変わらないやつとか」  「そうなんかね。そういえば、かず君は小学校時代あんまり背が伸びひんくて、クラスの女子からずっとチビタって変なあだ名で呼ばれよったね」  「あははは! チビタか、懐かしいな」  茜ちゃんはやはり記憶力がすごい。そんな70年以上も前のことを覚えとるとは。わしなんか学生時代の記憶なんてほとんど覚えとらんのに。  茜ちゃんはタッパーからもう一つの干し芋を取り出し、クロにあげる。さっきの言葉が通じたのか、クロは今度は干し芋には飛びつかず、優しくそっとくわえ口の中に入れた。茜ちゃんは『偉いね! 偉いね!』とクロの頭を何度も撫でながらポケットからマゼンタ色のスマートフォンを取り出し、クロの顔の前まで持ってきた。  「はい、クロちゃん、撮るよー。動かないでね」  と茜ちゃんが言った後、スマートフォンからカチャという小さな機械音が鳴る。  「あれ? 茜ちゃんもスマホデビューしとったんか?」  わしが驚きながら聞くと、茜ちゃんは軽く頷きながら答える。  「そう。つい、2週間前に買うたよ。ずっとガラケーやったけど、娘らに勧められてね。覚えること多いけど、スマートフォンは便利やねえ!」
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