キスして抱きしめて

9/11
前へ
/11ページ
次へ
 つい数時間前に温泉デートを楽しんでいた武尊が、翌日に入院を控えていたとは俄には信じがたかったが、病院に到着した真琴が目にしたのは、点滴スタンドを押して歩く武尊の姿だった。点滴スタンドにぶら下がる二つの点滴から伸びる管と繋がれている武尊の左腕が痛々しい。  これは現実だ。隣には朱里の姿があった。 「武尊!」 「――真琴、何で!?」  振り向いた武尊が驚き慌てている。 「昨日朱里さんから聞いたの」 「えぇっ!?」  武尊の視線から逃れるように、朱里は顔を背けた。 「何で勝手に決めちゃうの? いつもは一人じゃ何にも決められないくせに!」  真琴は朱里に遠慮することなく武尊に不満をぶつけた。 「何でこんな大事なこと話してくれなかったの? 武尊は私のこと何だと思ってたの?」  真琴の怒りは収まらない。  黙ったまま唇を噛みしめる武尊の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。 「私、売店で飲み物買ってくるから」  朱里がそう言って席を外した。 「手術が終わったら、こうして真琴と普通に話せなくなってるかもしれない」  廊下の窓から外を眺めながら武尊が言った。 「でも、必ずしもそうなるとは限らないでしょ。悪い方にばかり考えないで」  真琴は人目も気にせず武尊の胸に顔を埋めた。  いつもと違う清潔な病衣の匂いの下に、うっすらと武尊の匂いを感じた。それを胸いっぱいに吸い込む。  真琴が一番安心する匂いだ。 「こうして真琴の頭を撫でることも、両腕で抱きしめることも出来なくなるかもしれないんだ」 「やだ、別れない」  楽しかったデートの帰りに突然別れを告げられ、その夜に朱里から聞かされた武尊の病気と手術。悲しみと驚きとショックと怒り、あらゆる感情が入りまじって、昨夜は正常な精神状態ではなかったはすだ。あまりの衝撃的な出来事に動転して、温泉入浴後の体のだるさに反して脳だけが異常に興奮して一睡もできなかった。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加