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55.
姫宮の前に自分の分の紅茶を置いた安野はその席に座り、対面する形となった。
「姫宮様は私が何故、この仕事をしているのか訊きたかったのでしたよね」
「あ⋯⋯はい⋯⋯ですが、あまり話したくないのでしたら⋯⋯」
「言葉を換えましょう。⋯⋯少しでもいいので、話を聞いて欲しいのです」
一見、気に障るようなことは言ってませんよ、というように笑みを見せてくれたが、どことなく無理に笑っているようにも見えた。
大丈夫なのだろうか。けど、本人がそう言うのなら、姫宮はただ黙って話を聞くしかなかった。
「⋯⋯私 、子どもができなかったんですよ」
重たい口を開いたその一言。
そのおもむろに言ったことに対して目を瞠ってしまったが、どんな言葉で返したらいいのか分からなかった。
その反応をすることは予想済みだったというように、自嘲にも似た笑みを見せた。
「何年もいつかはいつかはと願って、頑張ってました。ですが、その努力とは裏腹に精神的に参ってきたのかもしれません。その報われなさにどんどん嫌気が差してきて、主人なんてとっくに諦めているような雰囲気で⋯⋯その態度もやり場の怒りを八つ当たりという形になりますが、したくなってしまって⋯⋯」
見るからに心を深く痛めている。
その子どもができない気持ちはよく分かる。
代理出産をしている時、依頼した人達の提供されたものでなかなか受精に至らないことがあった。
姫宮のその時の具合や依頼した人達それぞれの卵や種の状態など、様々な条件が良くなかったのかもしれない。
自然妊娠だって、どんなに互いのことを想い合っても相性やその時の体調、時には運だと言えるもので、奇跡のようなものに近い。
ところが、依頼した人達から「何故できないんだ」と酷く責められたことがあった。
その当時はオメガだから、オメガなんてこの程度の仕事しかやれなくて、自分達が仕事を与えてやっているんだから、この程度なんでできないんだと思われていると同時に自分のことを責めていたが、安野の心中を聞いた時、そのことを考えられなかった。
他人の子どもと自分の子どもができない気持ちは違う。
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