あなたがいるだけで!!

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あなたがいるだけで!!

 宿屋に到着して驚いたのは、私の親友、エーデンが私を待っていたという事だ。  私を宿まで護衛していたキリアムとアーニスは、エーデンを見つけるや悪さを見つかった猫みたいにして逃げて行った。  どういうこと?  私が知っているエーデンは、……確かに長女気質で時々支配的で怖い人になったかもしれない。  そして、二年ぶりに再会した彼女は、二年前よりも美しくなっていた。  磨かれたマホガニーの輝きを持つ美しい髪は既婚女性らしく品よく結い上げられ、貞節な淑女らしく小さなネックホールの地味色のドレスを着こんでいるが、健康的な肌の色を隠せないように彼女の勝気さなど隠せない。ヘイゼルの瞳だって、こんなにも悪戯そうに輝いているのだ。  二年前の進歩的で快活な女性は、熟成するワインのようにして二年の年月を己が艶やかに咲くための養分にしてしまったようだ。  話し上手で気さくな彼女は、王宮内でも人気者だった。物怖じしない彼女は、母を亡くしたばかりの私に寄り添い、笑わせと、私を慰めてくれた。  年上で私と年齢差はあろうが、彼女は私の大事な親友だわ。  二年前の駆け落ち婚で王宮を去っても、彼女は私の心の拠り所だ。  だから、離れ離れになる結果が悲しくとも、私は彼女の駆け落ちを手助けしたのである。  エーデンの相手は、陸軍大尉、いいえ、今や少佐様であらせられるイーオス様。彼は人当たりが良いうえに戦場では部下の生存に力を尽くす事から、守護神、と呼ばれている。  そんなにも素晴らしいイーオスならば、駆け落ちなどしなくとも結婚など簡単に認められたと誰もが思うかもしれないが、エーデンは富豪の白鳩子爵家の長女様なのである。  対するイーオスは、紳士階級でしかない家の次男坊。  決して認められるものでは無い。  彼等の出会いは、博識な彼が娘ばかりの白鳩子爵家の家庭教師として雇われた事から始まる。彼の生徒はエーデンではなく、白鳩家に生まれた待望の跡継ぎに、である。イーオスは小さな跡継ぎに課外授業という名目で外に連れ出し、子供らしい遊びを教えたとエーデンに聞いている。エーデンがイーオスに恋するわけである。しかしエーデンの恋心を知ったそこで、イーオスは家庭教師の職を辞したのだと聞く。  それでも忘れられなかった恋を成就させたエーデンは素敵だわ。  エーデンが、男は出自では無い、の持論を持つのは、彼女のイーオスへの愛でありのろけだと思う。  幸せなのは素晴らしいけれど、ああ、会えなかった二年はやはり寂しいばかりだったわ。 「エーデン、エーデンなの、本当に。うれしいわ。バルドゥク様は侍女に全部暇を出したと言っていましたが、本当はこんな隠し玉を用意していたのですね。あなたに再会できるなんて、なんて嬉しいこと」  彼はきっと私を驚かせるつもりで、侍女を解雇だなど、あのような嘘を言ったのだろう。それなのに、私が本気にしてしまって大騒ぎしたから彼は落ち込んだのだ。私は彼のあの不可解な行動にようやく合点がいったと、微笑む。 「何のお話ですか? バルドゥクが侍女を解雇?」 「あの、バルドゥクが私を喜ばせるために、あなたをここに連れて来ていたのではなかったの?」 「いいえ。全て初耳ですわ。あの馬鹿者が私を連れて来たのではありません。わたしは、里帰りで王都に向かうつもりでしたの。もうすぐ生まれますのよ。孫の顔を見せれば両親は感動ばかりで勘当ぐらい解くでしょうって、思って。それでセレニア様はどうしてこちらに?」  エーデンは軽く自分の腹部を叩き、私はそこで彼女のお腹が膨れていることに気が付いた。そうよ、彼女の手紙で教えてもらっていたじゃないの。  私ったら自分のことばかりで、エーデンの実際を見ていないわ。  考えるまでもなき身重の彼女に侍女なんてさせられないのに、私は当たり前のように彼女を侍女にと考えているなんて、なんて傲慢なの。 「姫様?」 「ええ。昨日父からバルドゥクとの結婚を告げられて、今日がその結婚式だったから、彼の領地の黒曜烏伯爵家の領地に向かう途中なの」 「昨日の今日? それじゃあ何の支度もできなかったじゃないですか。あの間抜け王。いっぺん絞め殺してやった方が良いわね」 「ええと、それはあなたが処刑されるから思ってても口にしないで。それで、里帰りならば、イーオス様もいらっしゃるわね。懐かしいわね。それで、遅くなったけど、おめでとう。あなたは疲れていない?」 「平気ですわ。つわりも無く元気いっぱい。夫の方が妊娠したみたいに神経質になっておりますわ。その夫も、あら、キリアム達と一緒に下がっちゃったのね」 「あら、あなたを見つけてあの子達が逃げちゃったのは、恐ろしい上官さんの姿を見つけたからだったのね」 「いいえ。たぶん私に脅えたのでしょう。お行儀が悪い子は、私は許しませんから。ビシバシ行きます」 「そ、そう」 「ではセレニア様。お部屋に案内いたします。小間使いは私が連れて来た子を差し上げます」 「いいの? あなたは?」 「何のために私に夫がいるのです? 大丈夫ですよ」 「あら、それでバルドゥクが自分が私の世話をするって仰ったのね」 「あの馬鹿者は。あとでちゃんと躾けますね。さあ、まずはセレニア様のことですわよ。ごはんは召し上がりました? あぁ、それよりもまずは部屋に行って身繕いですわね。さぁさぁさぁさぁ」  わあ、怒涛。  久しぶりの感動の邂逅どころか、二年前のいつも通りね。私は懐かしさで一杯になりながら、エーデンに追い立てられて彼女が寄こしてくれた小間使いの手によって、逃避行の垢を全て落とす事が出来た。  エーデンに追い立てられるように部屋に入った瞬間、私の膀胱は限界だったと気が付いた。ほっと落ち着いた途端に尿意を思い出したのだ。そこも見越していたエーデンには、私は一生頭が上がらないだろう。 「あ、そういえば。私はキリアムとアーニスに労いの一つも言っていないわ」 「労う必要など無いですよ」 「いいの?」 「いいの。大体あなた様を危険にさらしたのはあいつらでしょう。叱り付けはしても労う必要はありません」 「まぁ」  大きなお腹をしているくせに、右へ左へときびきびと小間使いよりも動き回るエーデンに、私は懐かしさだけを感じていた。  醜くなってから放置されていた私の為に、彼女はドレスや持ち物を全て管理し、最高の私になるようにと常に心を砕いていてくれたのだ。  私が頬に染料で痣を描いていると知っていながら。 「頬の染料は、もうやめられるのですよね」 「……わからない。これはもう、なんていうか」 「あの男は馬鹿者ですが、女子供を殴るような男では無いですよ」 「ええ。あの方は優しいわね。私を脅えさせないようにミノムシ君になっていたわ。馬車の中では毛布を頭まで被っていたの」 「逆に脅えてしまったのでは無いのですか?」 「ふふ」  私が頬に痣の絵を描いているのは、母が病に倒れても、そして亡くなっても、父が母に無関心であったからではない。  父に期待はしていない。  私は結婚する相手、つまり男そのものが怖かったのだ。  姉の婚約者である青鷺侯爵は傍目には理想的な美男子であったが、裏表のある男だった。  馬車の事故の後、私の頬に痣が数年くらい残っていたのは事実であり、彼の私への振舞い方が事故前と痣が出来た後では明らかに違っていた。それは別に構わないのだが、私を壁のシミ程度の認識となった人は、意外にも素の自分をさらけ出してしまうものなのだ。  王宮の使用人に対して、大した事は無いのに蹴っ飛ばしていたり。  それを見知った時に動けば良かったと、私は今でも後悔している。  彼は下働きの召使いの少女を王宮の庭の片隅に引き込んで、口には出せない狼藉を働いたのだ。乱暴された傷が元で死んでしまったその子は、下働きにしては目鼻立ちが整った、とても美しい少女だった。  青鷺伯爵のその行動から、私は美しさが男の暴力を呼ぶのだと脅え、自ら美を奪うことで身を守ろうとしたのである。 「あの糞侯爵様とは誓っても違います」 「エーデン。解っているわよ。そんなこと。それに痣を付けているのは、かえってバルドゥク様の気を惹く行為になってしまうって事も」  ぷっと、私よりもバルドゥクを知っているエーデンが吹き出した。  馬上でキリアムに聞いたのだが、大きすぎる黒馬はバルドゥクの持ち物ではなく、なんともともとキリアムの愛馬であるそうだ。 「団長の愛馬はメリーアンです。黒いぶちのある牛みたいな毛をした間抜けな大馬ですよ」
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