緑ケ原伯爵

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緑ケ原伯爵

 王宮にはすんなりと戻れた。  王宮から私を迎えに来た馬車に、私とバルドゥク、それにエーデン夫妻と四人も乗っているのに、馬車はそれなりのスピードを保っていた。  四頭引きは伊達じゃない。  馬車の旅は昨夜と同じ距離なのに、今日はあっという間に辿り着いてしまうなんて。  でも仕方が無い話ね、昨日は襲撃に星空の下での焼肉大会などあったもの。  何も無いのならば当たり前ね。  私は見慣れた王城を馬車の中から見上げ、自分の中の真実に気が付いた。  侍女達と涙の別れをしたけれども、本当の私は外に出られる事を喜んでいたのだわ、と。  エーデンは私を労わるが、私がやりたいことを止めることはしない。  義足で行動する私が動けなくなるまで見守り、動けなくなったらそこから次に進むことができる手を打ってくれるのだ。  他の侍女達とエーデンが違うのは、エーデンが他の侍女達と違い私を可哀想と思っていないところだろう。  アリアは姉は適当だ、と言うが、その適当さが私に合っていたのだ。  時々私の無い足について忘れてくれる。  できないのが当たり前なのではなく、やりたいならやりましょうと言ってくれる、かけがえのない親友。  彼女が王宮から消えた事で、私は閉塞感を抱くようになっていたのだ。 「セレニア様、大丈夫ですか?」 「ええ。大丈夫。あなたとイーオスはあなたの実家にこの馬車で向かいなさい。王家の紋章がある馬車に乗った娘夫婦を追い返す家など無いわ」  エーデンは私に微笑む。  そして私の手を両手で握り、ありがとうございます、と声を絞り出した。  いつでも元気で大らか、そんな人などいないのだ。  出産は命を懸けるものだと聞いている。  エーデンが里帰りを決めたのは、愛している家族に生きているうちに会いたいという気持ちと、出産の不安を母親と語り合いたいという気持ちであろう。  それに実家に認められていないイーオスを、自分が死んでしまう前に自分の両親に認めて貰って結婚を祝福されたい、そんな願いもあるはずだ。 「出産について心配があるならば、緑ケ原伯爵を呼びます。彼ほど医学に造詣のある方はいないわ。本人は昆虫学者か農業博士と呼んで敬って欲しがっておられますけれど」 「緑ヶ丘伯爵?」  私とエーデンの感傷に身を乗り出して尋ねてくるとは。  緑ケ原伯爵という単語にバルドゥクがこんなにも反応したことに私は疑問に思い、私こそ彼に尋ね返す。 「緑ケ原伯爵とご交友がございましたの?」 「いいや。知らない。どんな方で、君にはどんな存在なのだろうか?」  どんな存在?  万博で知り合った方で、バッタの扮装をして私にバッタを食べさせた人よ。  医学に通じた方だから私の義足も作ってくれたし、ええと、知識は素晴らしいけれど人柄には問題はある人で、頼りになるけれど借りをつくると大変な目に遭ってしまう恐怖の人で。  私は緑ケ原伯爵をどう説明するべきか、迷った。  エーデンは彼のことをよく知っているし対処法も知っているから、出産の不安についての相談相手には最適な相手でしょうけれど。  本当に、あの破壊的な人を一言でなんていうべき? 「小さい男。私はそんな風に育てた覚えはなくってよ?」  私が悩んでいる間に、エーデンこそが破壊槌をバルドゥクに振り下ろした。  そんな風な言い方をなさらなくても。  いいえ、それよりも、エーデンがバルドゥクを育てた?  頭が真っ白になった私がバルドゥクを見つめていると、バルドゥクこそ拗ねた子供みたいな顔つきになって座り直す。 「ハハハ。君もエーデンに敵わないか。セレニア様。我がエーデンは陸兵団の無骨者に行儀を教える顧問をしているのですよ。今の陸兵団は実力主義で貴族も平民もありませんが、出世すれば公式の場や貴族が集うパーティに呼ばれます。もちろん、笑いものにしようと待ち構える奴らも多い」 「それでエーデンね。エーデンの教えならば連戦連勝でしたでしょう。私こそ素晴らしきエーデンを目指しましたから、私もエーデンの教え子ね」 「まあ、セレニア様。それは私のセリフです。私はセレニア様の真似をしておりますのよ。そのお陰様で連戦連勝ですわ」  互いに褒め合った私達は笑顔を見せ合い、お陰で私は王都に滞在することになった事について全部許す気持ちとなっていた。  だって、エーデンが赤ちゃんが産んだら、おめでとうって顔を見てお祝いできるのだもの。 「緑ケ原伯爵も君には大事な友人なのかな。彼に会ってみたいな」  バルドゥクの低い声はいつもと違って滑らかで甘いものでなく、私の背筋をぞっと凍らせるものだった。  だからか私は彼に言葉を返せなかった。  用事も無い時にはやめときなさい、と。  アレン・ビリード緑ケ原伯爵は、時によっては厄災になるのよ。
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