野良犬は呼び出された

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野良犬は呼び出された

 俺は招待状を受け取った。  差出人は緑ケ原伯爵。  セレニアが好意を持っているらしき男である。 「セレニアについて君に伝えたいことがある」  一文だけ。  馴れ馴れしくセレニアと敬称も無く書かれたそれは破って暖炉に投げ込みたいが、俺はその呼び出しを拒否するどころか、まるで餌をもらえると期待した野良犬のような勢いで彼のタウンハウスに駆け付けていた。  セレニアの様子を見て考えてみると、緑ケ原伯爵は彼女に対して影響力がかなりありそうな様子なのだ。  緑ケ原伯爵が彼女にとってどんな相手なのか、そんなことも俺に伝えられないぐらいにセレニアには大事な人のようなのだ。  彼女は緑ケ原伯爵に気持ちを寄せているのではないだろうか。  俺のせいで彼女は自分の思いを封じ込めているのでは?  一度そう考えたらそうとしか思えなくなり、俺は緑ケ原伯爵と話をするべきだと思いいたった。だから彼に会いに来たのだ。  聞いてそれでどうする? 恋仲だったと聞いて身を引けるのか? 俺は。 「本当に情けないな」  情けなさついでに言えば、のこのこ緑ケ原伯爵に会いに行くことを部下に知られるのが恥ずかしいと、内緒で宿舎を抜け出してきている。  本当に、なんて情けない男だ。  俺は自分にうんざりしながら緑ケ原伯爵のタウンハウスのエントランスドアのノッカーを叩く。するとすぐにドアが開き、驚いた事に、玄関ドアを開けて出て来た男は執事などではなく緑ケ原伯爵その人であった。  伯爵と呼ぶには若くて軽薄だと感じる第一印象なのは、きっと俺の嫉妬からだろう。貴族らしい均整の取れた体つきに金属めいた輝きの金髪を持つ彼は、どう見ても美男子であり、不格好この上ない俺と違うからだ。 「すいませんね、お呼び立てして」 「いいですよ。私もあなたに呼ばれた理由が知りたかったのですから。わざわざ妻のことと書いてありますが、それ以外の思惑こそあるでしょう?」 「読み過ぎだよ、と言いたいところだが、では、応接間へどうぞ」 「召使はいないのですか?」 「あなたの来訪に合わせて人払いをしました。下々の者は盗み聞きが大好きですからね」  正面玄関に入ってすぐのフロアには中央階段があった。  来訪者には一番目に付くだろう階段の踊り場の壁に、大きな肖像画が飾ってある。だがしかし、普通は伯爵本人か始祖の肖像画であるはずだ。  緑ケ原伯爵家に飾ってあるものは、俺の愛馬によく似た白地に黒ぶちという牛の肖像画であった。  牛は茶色の筈なのにと、別の不可解さも湧きだしたが、牛がこの柄だと可愛らしく見えると思ってしまった自分もいた。  馬はとにかく可愛い。  時々ちゃんとした軍馬が欲しいと思うが、メリーアンの悲しそうな顔を想像して、俺は今も彼女に乗っている。  ああ、彼女の足がもう少し速ければ最高の馬なのに。 「どうしました?」 「あ、ええ。面白い絵だなと。これは緑ケ原伯爵家にちなんだ想像上の牛ですか?」  緑ケ原伯爵は絵画をちらっと見上げると、単なる酔狂ですよ、と答えた。 「酔狂、ですか?」 「人と違うと持て囃される事こそ、貴族社会では重要なのですよ」 「大変ですね」 「えぇ、本当に大変です」  彼は踵を返すと真っ直ぐに応接間らしき部屋の扉へと向かい、俺は彼を追いかけながらも豪奢なタウンハウスの内装に圧倒されてもいた。  牛の肖像画には首を傾げさせられたが、それ以外は歴史と金のある伯爵家らしく、芸術など何も知らない自分でも良いものだと思える品物が所狭しと華々しく飾られているのだ。  俺は玄関か応接間へと一歩一歩と足を進めるたびに、胃の腑がずっしりと重くなっていく感覚に陥っていくようであった。  このままの俺では、彼女に何一つ贈ることは出来ないだろう、と。  俺は彼女から彼女の持てる全てを失わせているのでは無いのだろうか、と。  セレニアとアレンに付き合いがあったのは聞いたが、その付き合いの深さについては何一つ俺は知らない。  俺は彼らの関係を聞いてどうするというのか。  もう何度目かの同じ自問を唱えていた。    俺の内心など全く知らない伯爵は優美に笑う。  金髪に青い眼を持つ美青年は、美しきセレニアにふさわしい姿だと認めるしかなかった。  大きな鉛玉を無理矢理呑み込んだような、そんな重苦しさが胸にあるが。  応接間では彼は俺に一人掛けのソファーに座らせ、断る間もなくワイン入りのゴブレットを押し付ける様に手渡してきた。  彼は向かいのソファに座ったが、そのソファーは二人以上は座れそうなものである。  俺の案内されたひじ掛け付きの一人掛けソファは偉そうに見えるからこそ上座に思いがちだが、実はアレンが座ったソファーの方が上座である。  俺は俺よりも確実に上だと考えているらしき緑ケ原にむかっ腹が立ち、彼から手渡されたワインを一気に飲み干してしまった。 「あ、しまった」  敵地での飲食は殺してくださいと言っているようなものだ。  俺はそうキリアムに躾けられたのではないか? 「ワインはまだありますからお気になさらず。それに、私がこれから口にする内容はあなたにはお酒が必要かもしれませんから。どうぞ」  俺の杯は再び並々とワインで満たされ、俺は目線で彼に先を促した。 「――単刀直入に申し上げますが、セレニアの結婚を取りやめる様に、私が王に進言します。よろしいですね」 「あなたが求婚するためにですか?」 「そうですね。私という駒がいれば、あなたを殺してもセレニアを妻にできないと踏めば、あの側用人は尻尾を出すのではないでしょうか」 「あぁ、そういうことか。ですが、あなたはセレニアに思慕の念をお持ちでは? あなたこそセレニアを手にしたいだけなのでは?」 「まさか。虫を食べるという有名な姫では無いですか。美を取り戻すために蛇や虫を食されていると聞きましたよ。老婆のように醜く、肌は茶色の染みだらけだと言うでは無いですか。セレニア様はあなたに譲ります。はい、私は側用人政治を問題にしたいだけですよ。私が憂いでいるのはこの国の行く末そのものです」  アレンは共犯者のような顔で砕けた笑顔を俺に向けた。  俺は彼ににこやかな顔を向けながら、目の前の人形のような男を叩き壊してしまいたい気持ちを必死に押さえつけていた。  彼女の思いつめた表情を俺は思い出す。  目の前の男がどう考えていようとも、セレニアはこの男に対してそれなりの思いを抱いているはずだ。  大した思い入れが無い相手だったら、緑ケ原伯爵のアレンがどういう人間であるのか、結婚した俺に伝えられていたはずではないのか?  セレニアにアレンの真実はぜったいに伝えることはできない。  俺は胸の怒りを鎮めるため、継ぎ足されたワインを一気に飲み干した。  俺は彼女を守ると誓ったのだ。
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