野良犬は狸寝入りしたい

1/1
前へ
/32ページ
次へ

野良犬は狸寝入りしたい

 意識が戻って見えた風景は、見たくも無い迎賓館の天井だった。  迎賓館と言ってもなんのことはない、普通の宿屋と同じ木の天井が見えるというだけだ。  迎賓館の部屋にもランクがあり、俺は下から二番目という部屋をあてがわれている。その上、無理矢理閉じ込められている客の筈の俺は、滞在日数が伸びるたびに料金をむしり取られ、その金額が最高級の部屋と一緒という嫌がらせまでも受けているのだ。  勝手に恋敵だと俺を憎んでいるだろう、あの側用人の小ささに笑うばかりだ。  あの婚礼の日、俺は王宮内で不可解な襲撃も受けていたのだ。  暗殺者でも衛兵の姿をしている人間を殺したとあれば、それも王宮内での出来事であれば、俺は反逆罪と名指しされる恐れがあった。  だがしかし、目撃者となったセレニアの侍女達は現状を把握するや誰も騒がず、それだけでも俺を驚かせたのだが、あとで適当な所にこれを捨てると、遺体の処理まで請け負ってくれたのである。  もちろん、彼女達にそんなことをさせられないと遺体の処理には俺の部下達を使うと申し入れたのだが、彼女達は大丈夫と笑って流した。 「なれてますから」 「寄付金と一緒に教会前に置いておけばいいんですよ。とりあえず衛兵の扮装は外しちゃいましょう」  教会前に死体を投げ捨てる?  手慣れすぎてやいませんか?  貴族の女性達が口にするには物騒すぎるが、エーデンの言う通り、王宮が権謀術数が渦巻く恐るべき場所だという証拠なのだろう。  そして彼女達は婚礼が終わるや、姫様のいない王宮はつまらない、と、そのまま全員職を辞してぞろぞろと宮殿を出て行った。  一人一体処理する死体を請け負って。  セレニアに侍女の不在をしっかりと説明できなかったのは、君の侍女達が王都中の教会に死体を捨てに行っているから追いかけてこれないんだよ、なんて伝えられないからである。  後ほどマクレーンが彼女達に繋ぎを取って確認したらしいが、実家に戻った彼女達には全く何ごともなく、声をかけてくれればいつでも我が黒曜烏伯爵領に向かうと、全員が全員あっけらかんと答えたらしい。  どうしよう。  エーデンみたいなのが六人増えるのか?  だが、俺がセレニアとの婚礼を全うできたのは、すべて彼女達のお陰なのだ。  セレニアが望むならば受け入れよう。    彼女達のお陰で俺はセレニアとつつがなく結婚できたのだ。  当時には真犯人だと解らなかったが、俺が死んだら自分が夫になろうと、あの男は画策していたのだろう。そうだ、俺が執務室に再び戻ってセレニアの隣に立った時の、あいつのあの顔はなんと間抜けだったものか。  俺はそいつの間抜け面を思い出して、ささくれ立っていた自分の気を慰めた。  絶対に奴にセレニアは渡さない。  それから、あの田舎貴族。  あんな卑怯な奴にもセレニアは渡さん。 「目が覚めましたか?」  俺は寝転がったまま、決意を持って握った右腕を振り上げたところだった。  間が悪い副官に全て見られていたと、俺は恥ずかしくなりながら身を起こした。牛のように唸りながら。 「元気そうで良かったですよ。どうぞ」 「皮肉か?」  マクレーンが差しだしたマグカップは、芳しい香りの真っ黒い液体が注いであった。  身を起こした途端に襲われた眩暈に俺は一気に気分が悪くなっており、この気持ちの悪さを解消するには一番良いと直ぐに口を付ける。 「熱っ。あぁ、マクレーン。俺は生きているようだが、何の毒だったんだ」 「睡眠薬です。眠らせた上で路上で強盗に見せかけて殺す、でしょうね」 「毒じゃなかったのか」 「伯爵家で、あるいは玄関先であなたが死んだら、普通に伯爵が下手人だと責められるでしょう。しっかりしてください」 「いや。普通にあいつの家の前で倒れこんだら、睡眠薬でもあいつが責められないか?」 「あなたが倒れたのは家の前じゃ無いですよ。旨い具合に貧民街の手前で倒れたそうですよ、アーニスとセシルによると。自分で歩いていたことも覚えていませんか?」  俺は伯爵家を辞してから、最初は伯爵自身への怒りで、体に変調を期してからは絶望で、周囲など何も見ていなかったと思い出した。 「全く」 「薬だけでなくひどく酔ってもいましたからね。吐いた事は覚えていますか?」 「覚えていない。俺は酒に強くも無いが、たったワイン三杯だぞ」 「酒精強化ワインだったのでは? あれは保存性を高めるために蒸留酒をぶち込みますから、アルコール度数がかなりありますよ」 「あぁ、確かに甘ったるかった。それをゴブレットで三杯だ。畜生。――それで、あいつらを向かわせたのはお前か。よく二人で行動したね」 「仕方がありません。あの二人しか咄嗟に動ける者がいませんでしたから」 「あとの奴らは? 待機中だったんじゃないの?」 「待機している部下を置いて一人でふらふら出掛けた上官がいる場合、部下はどうすればいいでしょうかね。他の者はあなたを探しに行って不在。あの二人は、私が緑ケ原伯爵からのあなた宛ての手紙を見つけた時に、こちらに丁度戻っていたってだけです。内緒にして出て行く必要のある相手ですか?」  俺はマクレーンに出来る限りの笑顔を見せつけて、そして、寝直した。 「ちょっと、他にも話がありますから!」
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

63人が本棚に入れています
本棚に追加