私こそ花嫁です

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私こそ花嫁です

 ようやく長い夜が明けた。  私は今日バルドゥクのもとに戻ることができるのだ。  恋が何か知らないが、常に彼の顔や声を思い出し、彼に会いたいと考えるのであれば、きっと私は幸せな花嫁になれる気がする。  ここは私専用の控室。  私を着飾らせた小間使い達は下がらせた。  部屋は小サロン程の大きさはあるが、そこにあるのは大きな鏡と足一本の丸い小机、ベールを飾る帽子たてと背もたれが孔雀の尾羽のようになった大きな白い椅子だ。  なぜ王宮で用意される私専用の椅子の背もたれが、いつも孔雀の尾羽の形なのか不思議であったが、それは小間使い達とのおしゃべりで初めて理由を知ることになった。  恥ずかしい事に、私が司法神セーレの御使いという認識だかららしい。  司法神は世界中の全てを知るために百の目を持っているが、その目のいくつかは御使いに持たせている。ここまで言えば気が付くだろうが、司法神の御使いとは孔雀だ。孔雀の尾羽の模様が美しいからこそ、昔の人は神の目玉に例えたのだろう。  けれど、私は我儘なだけの愚かな姫だったはずだ。 「あら、姫様はいつだって公平でしたよ」  小間使いを監督に来ていた女官長がこともなげに言い放ったが、それは自分の事かと私の方が驚くばかりだ。 「何処の王様だろうと、どこの貴族様であろうと、そして、ただ死を待つだけの平民の少年にさえ、姫様は同じように振舞われていましたではないですか」 「そんなのは当たり前でしょう」 「そこですよ。だからこそ、私達は姫様の為に馬車を出してしまったのです。たった一度の我儘ぐらい叶えてあげようと。それがあんなことに」 「ごめんなさい。私の我儘であなた達をも苦しめていたわね。私は怪我をした後もそれなりに、いえ、怪我をする前よりも好き勝手に振舞っていたというのに」 「はい。それは存じ上げています。だからこそ、ご尊敬申し上げます」 「もう、あなたの話すお姫様は美化しすぎだわ。そうだ、ふふ。本当の我儘はあなた方に叶えてもらったわよ。私の我儘通りのドレスを作ってくれてありがとう」  私は無駄に王宮に閉じ込められるならばと、その一か月を有益に使うことにしたのだ。  今の私には侍女がいないので自分で直接女官長に頼み、婚礼用の白い衣装を作って貰っていたのだ。  シルクサテンのシンプルな形のものでしかないが、あの式典用ドレスとは全く違って後ろの裾が長いというカーラみたいな素敵なドレスだ。  ベールも思い通りに仕立ててくれている。  通常の長く裾迄ひくベールではなく、帽子型に花びらのようなレースが幾重にも重なっているというものだ。  ドレスがシンプルだからこそ、頭にかぶるベールをアリアに考案させてかなり派手なものを描いたが、これをちゃんと再現してくれたとは。 「一か月と期間が短いのに、よくぞ仕上げてくれたわ」 「身に余る光栄でございます」  そう言って私に対して深々とお辞儀をした女官長は、頭を上げた時には両目には涙迄溢れさせていた。 「こちらこそ、あなた達のような方々に囲まれて幸せ者だわ」  次には女官長は完全に泣き出し、小間使い達も次々と泣き始めたので、私は彼女達に労いの言葉を掛けながら下がって貰ったのである。  せっかく綺麗にしてもらったのに、私まで一緒に泣いてしまったら全てが台無しになってしまうではないか。  そう、彼女達は私の頬に痣など一つも無い事に驚きながら、そして、彼女達の手による化粧で私でない女神を出現させたかと思う程に私を綺麗に作ってくれたのだ。  この化粧は何者にも崩させやしない。 「あぁ、バルドゥクは本当のわたしにどんな表情を見せてくれるのかしら」  感動の涙をひっこめさせるために、帽子たてに乗っている素晴らしいベールを見つめた。  花のつぼみがさかさまになったようなボリュームのあるベールは、これからの私の計画には最適なものであるだろう。  これならば、聴衆は私の痣のない顔に気が付かず、私の夫となるバルドゥクだけに本当の私の顔を見せつけることが出来る。  誓いのキスという場面で。  今度こそ、彼の唇は私の唇に触れるのであろうか。  自分で想像した癖に恥ずかしくなった私は鏡の前にある椅子に再び座り直し、小テーブルに置いてあった水を口に含んだ。  式が終わるまで衣装は汚さないと水にしたが、水が胃に達した途端に腹がぐうと鳴って、自分が空腹である事を私に知らせた。  浮かれすぎた私は、そういえば朝から何も口にしてはいなかった。  今すぐにでも何かを口にしないと、晩餐会どころか式までも体が持たないだろう。  ようやく頭が冷静に戻り、卓上のベルで小間使い達を呼び戻そうかと手を伸ばした。  せっかくの感動の別れも台無しになるが、式を台無しにするよりは良いだろう。 「お姉さま。とってもお綺麗だわ」 「セシリア?勝手に部屋に――」  鏡に映ったセシリアはレースを重ねた豪奢で真っ白なドレスを身にまとい、そして、セシリアの後ろにはエバンズが好色そうな笑顔で立っていた。  私は慌てる様にしてベールを被って顔を隠し、それから自分に近づく王宮の裏切り者達にゆっくりと振り返った。 「セシリア。あなたは何を考えているの?」  彼女はベルをさっと私の手から奪い取ると、それが小さな勝利なのかのように嬉しそうに微笑んだ。 「返しなさい」 「邪魔はいらない。最後の時くらい、召使い無しで一緒に過ごしましょうよ」 「では、エバンズを下がらせて」 「あら、エバンズは家族よ。お姉さまの旦那様でしょう? それでね、ふふ、私こそ白が似合うと思わない?」  セシリアは大鏡に自分の姿を映し始め、体の線を撫でるようにしながら夢うつつのような口調で自画自賛をし始めた。 「白は花嫁の色よ。着替えてきなさい」 「あら、お父様は砦を奪還した騎士に私を嫁がせるとおっしゃったのよ。今日は私の結婚式なのよ。お姉さまこそ、何を勘違いされているの」 「二人並んでも、バルドゥクはきっと私を選ぶわ。私が皺だらけでも、私が痣まみれでも」  愛が無くとも、彼はとても義理堅いのだから。  ガシャン。  セシリアが見るからに怒りの衝動のまま、掴んでいたベルを鏡に叩きつけたのだ。  鏡は破片が落ちなかったが、全体に蜘蛛の巣のようなヒビが走った。
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