寂しい結婚式

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 侍女達はいっせいに執務室を飛び出していった。  けれど、バルドゥクがごねたのか、彼らはなかなか執務室に戻ってこない。  無私のはずの祭司様が、帰りたい、そんな気持ちを顔に出した頃に、侍女と私の花婿予定が戻って来た。  彼は私の前に来ると、深々と私に頭を下げる。 「下民がこの上なき失礼を致しました」 「あなたが下民ならば、私も今日から下民なのかしら?」  彼からひゅっと息を飲む音が聞こえた。  そろそろと顔を上げた彼の顔は真っ青で、彼は違います、と震え声で私に答える。あなたは永遠に尊いです、と彼が小声で言った気もした。 「あなたこそ尊いと思いますよ。さあ、するべきことをすましましょう。でなければいつまでたってもあなたは家に帰れませんよ」 「するべきことをすましたら、あなたはここを出なければいけません。私はあなたに王宮を捧げられません」 「違う風景も楽しいものです」 「あなたは豪胆な方だ」  豪胆と言うか、傲慢そう、と言いますか。  クジャクが広げた羽の装飾が背もたれにある変な椅子に、偉そうに座っているだけが、私だ。右足首の下が無いのだから、立ったり歩いたりがなかなか面倒ってだけなのだけど。  だけど、豪胆って褒め言葉よね。 「ありがとう。でははじめましょう。祭司様、私達に誓いの言葉を」  ようやくと言った表情で、祭司が私達の前に進む。 「汝はこの女、セレニアを妻とし、一生の真心を捧げると司法神セーレに誓い」 「誓います」  バルドゥクは祭司の言葉を遮るほどの勢いで誓いの言葉を発し、私は彼こそこの茶番から逃げ出したいのではないかと彼を見上げた。  本当は逃げたい?  私はバルドゥクを思いやっての視線を向けているのに、バルドゥクはなんだか悲しそうな目で私を見下ろす。 「あなたはこの結婚がやはり辛いのね?」 「姫様こそ、取りやめたいのでは?」 「え? どうしてそうお考えになるの?」 「誓いの言葉」  私が祭司を見返すと、彼は私に何度も問いかけをしたのに、というような顔をしていた。  わたしは取りあえずこの数十秒は全く存在しないことにして、少し傲慢な風に祭司に言葉を促した。初めて会った男の一挙手一投足が気になって仕方が無いなどと、あえて言い訳をする必要などない。 「どうぞ、わたくしに誓いの言葉を」 「……では、汝セレニアは、この男バルドゥクに一生の真心を捧げると司法神セーレに誓いますか?」 「誓います」  「では、誓いの口づけを」  あ、そうだった。  誓いの言葉の次にあるのは、誓いのキスだった。  私はキスなどというものは、実は未だかってした事が無い。  人に囲まれていた美貌時代においては、私の挙動一つで嫁ぎ先が決まってしまうからと人形のように微笑んでいただけであるし、何かあったらそれこそ大変な七歳でしかなかったし。  それでいまや、私の周りには侍女しかいない。  どうしようと再びバルドゥクを見上げたが、彼は横にいなかった。 「姫様」 「ひゃっ!!」  なんと、バルドゥクは身をかがめ、なんと私の前に跪いていたのだ。 「い、嫌だったら、そこは省略しても構わないわよ」  王女が出した声としては裏返った甲高い声で、とてもはしたないものであっただろう。  バルドゥクはポカンとした顔となった。  それは、私の声のせいじゃなく、私の顔が見えたから?  私に跪いてキスをしようと彼は、私のベールへと手を伸ばしていた。  ささやかに持ち上げられたベールから私の唇は剥き出しになったが、私の顔にあるあざだって見えたはずなのである。  足が無いと有名でも、右の頬にまで大きな痣があるなどとは聞いてはいなかったはず。  今の私はどんなに飾り立てても醜く、政略結婚などの道具にも使えない粗悪品なのである。 「気味の悪い顔でしょう。いいのよ。私は王宮の粗悪品ですもの」  彼は開けていた口を閉じてフフッと笑うと、ゆっくりと男らしい口元の口角を上げた。  どこが野獣なのか。  治癒神ラグ―の御使いが金色の狼であるから、彼はそう呼ばれているだけに違いない。  意志の強そうな顎や、理知的な秀でた額に真っ直ぐな鼻筋。  私はこんなに魅力的な男を見たことは無い。  今度は私の口が開きかけ、間抜けな顔になり始めた。  なり始めで終われたのは、バルドゥクが背筋をびくりとさせる低い声を出したからだ。 「親愛なるセレニア様。私は完璧なあなたを完璧に自分の物にしたいのです」  彼は私へとぐいっと上半身を伸ばし、ベールを捲られて剥きだしになった私の頬、それもあざがある方に唇で触れた。  ふわっと右頬に感じた感触は、私の体をびくびくっと震わせる。  頬のキスでこんな感じ方をしたのは初めて。  唇に受けたらどうなってしまうの? 「あの」 「結婚は成立しました」  さっさと帰りたい祭司のせいで、私とバルドゥクの結婚は成立したが、夫婦としての最初の会話をしたいは叶わなかった。  唇にもして、なんて言ってしまったら大変だったからこれで良いのかも、ですけれど。
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