ミノムシは羽化するどころか

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ミノムシは羽化するどころか

 バルドゥクが馬車に乗った途端に毛布を被りミノムシになってしまわれたのは、自分の姿で私を脅えさせないためだった。  心遣いは素晴らしいわ。  でもね、意味が分かったから良かったものを、意味が解らないままだったらミノムシの方が脅えてしまうと思うの。  けれど私の内心をバルドゥクには伝えられない。  彼はかなり私に気を使っているようなのだから。  ちょっと明後日な方向ですけどね。  彼に歩み寄るにはどうしたら?  よし、私も同じ行動を取りましょう。  ミノムシになるのよ。  私は膝掛け状態だった毛布を自分の胸元にまで引き上げ、眠りやすい体制になるように座面で身じろぎする。  ああ、いやだ。  この座面は柔らかすぎる。  座面が柔らかすぎて怖くなるなんて、きっと私だけね。  柔らかすぎる寝具やクッションは心地が良くても、体が包み込まれて沈み込んだそこで私は過去の恐怖に引き戻されるのだ。馬車の事故で身動きが取れなくなって、流れ込んで来た土砂に埋もれて動けなくなった瞬間に。 「はあ」 「宿まであと二時間はあります。気分転換に少し馬車を止めましょうか?」  感じた恐怖を吐きだそうと吐いた私の溜息が、ぶつぶつミノムシに聞こえていたらしい。ミノムシは再び目元だけ出して私を覗う。 「それには及びませんわ。私は少しでも早く宿に着きたい気持ちなの」 「これから向かう宿は最上級どころか、中の上ぐらいです。姫様には宿のベッドよりもこちらの馬車の座面の方が柔らかく感じるかも――うう、申し訳ありません」 「あら。私は硬い方が好きよ」 「ごほっ、ぐふ、ごほごほ」 「どうかなさったの?」 「いいえ。なんでもございません。あなたの為に馬車の速度をもう少し早めましょう」 「い、いいえ。安全運転、それが一番です。それに、私の侍女達が私達の後を追いかけていますでしょう? 彼女達の馬車と離れすぎてはいけませんわ」 「彼女達は来ません」 「え?」 「――暇を出しました」  私はバルドゥクの返答に呆気にとられたと言ってよい。  言葉を失ったのだ。  だって、私の大事な話し相手で友人でもある侍女達を首にしちゃったのよ。  私に相談も無く。 「ええ! 首ですか? 私の世話は誰がするのです!!」  バルドゥクは答えるどころか、私から顔を逸らす。  失敗した犬が叱責を誤魔化す時の素振りに似ている、そう思った。 「あなた、どうされました? どうされるのです?」 「……します」 「はい?」 「私があなたの世話をします。夫ですから」 「……あなたは女性の服の整え方をご存じなの? 髪の結い方も? 男の人にはわからない女の道具や習慣の、えっと、そういった物を用意する下働きの召使や小間使いをあなたが手配して監督してくださるの?」  ミノムシが「あぁ」と小さく叫んだ気がするが、そのあとは何か言い繕ってくるどころか、完全なる無言である。 「あなた?」 「――小間使いはすぐに手配します。勝手をしてすいませんでした」  なんと哀れなくらいなぼそぼそ声で謝るの!!  私はこの巨大なはずのミノムシ風大男が、本物のミノムシサイズになってしまった錯覚に陥った程だ。  うわあ、再び頭まで毛布を被ったミノムシから、自分自身を罵る小声が。  ぶつぶつぶつぶつと、まるで呪文のように。  このまぬけやろうこのまぬけやろうこのまぬけやろう? 「いい、いいのよ。私こそ言い過ぎたわ」  彼が私を世話すると言った時に、私は気持ちがほわっと華やいだと思い出す。それから私を脅えさせまいと彼はミノムシになっているのよ、と自分に言い聞かせる。  こんなにも彼は真摯な人間なのよ。こんな人を落ち込ませたままでは、妻として間違っていると思わない? そうよ。私達は結婚したのだから、相手を責めるのではなく真心を捧げ合うものなのよ。  彼こそ、私の世話をしますと、私に真心を捧げようとしていたのだから。 「やっぱり、侍女はいらないわ」  バルドゥクはピタリと動きを止め、もそもそと上半身だけ脱皮した。  毛布から再び顔を出した彼は湿気で少々寄れていて、大人の男というよりは寝起きの子供の様でもある。そんな彼は子供が母親の言葉を待つようにこの私の次の言葉を待っているのか、なんとも真っ直ぐな目で見返してくるでは無いか。  焦げ茶色の瞳は、光を孕んだ琥珀のようにこってりと輝く。 「ねぇ、あなた。あなたはお買い物は出来まして?」 「もちろん出来ます。が、女物の品物は、やはり、自分では」 「ち、違います。あ、あのですね。私は人に手配させるだけで、お店でお買い物をしたことが無いの。だから、もう王女では無いのだし、侍女に頼らずに必要なものを自分で買うという事を覚えるのもいいのかもしれないかなって。買い物の仕方を教えて頂くのもいいかなって。ねぇ、いかがかしら」  彼はあぁと絞り出すような声を出すと両手で自分の顔を覆い、こちら迄気分が悪くなるほどの暗い声で、先ほどよりももっと自分の死を望むような念仏を唱えだした。  おれのせいでおれのせいでおれのせいでおれのせいで?  男が皆こんな訳の分からない生き物だとしたら、二年も結婚生活を続けられる親友はとても偉いのではないだろうか。  私はちょっと面倒になってしまったわ。
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