星が瞬く空のもとで立ち往生決定

1/1
前へ
/32ページ
次へ

星が瞬く空のもとで立ち往生決定

 狸寝入りから本格的に寝入った私は、柔らかすぎる馬車の座席から投げ出された。  この感覚は知っている。  馬車の横転!!  座面から体が宙に浮いた瞬間、私は七歳のあの日を思い出した。  次には、激しい痛みと暗黒がやってくる。  そして暗闇の中、私の体は土砂で埋もれてしまうのだ。  埋もれてしまうのよ!!  私はあの日の恐怖を思い出し、叫ぼうと大きく息を吸い、その行為が逆に私自身を落ち着かせることとなった。  衝撃の後の暗黒に私は再会はしたが、痛みなどは一切無かった事に気が付いたからだ。  意識だって飛んでもいない。  なぜならば、そう、バルドゥクが私へと両手を伸ばして私を抱き寄せ、私はそのまま彼の腕の中にすっぽりと隠されてしまっていたのだから。 「大丈夫ですか? 姫様」  瞼を開けるとバルドゥクが私に覆いかぶさるようにしており、彼の向こう側にはひしゃげた馬車の扉が見える。 「横転したのね。あなたは大丈夫なの? 団長様」  バルドゥクは私の背を支える様にしながら上半身を起き上がらせたが、なぜか目を眇めて訝しそうに私を見つめている。 「どうされました?」 「――団長、ですか?」 「私を姫と昔の称号で呼びましたから。私もあなたを称号でお呼びしました」  彼はぎゅうっと目を瞑ると三秒ほど動きを止め、再び目を開けると私をじっと見返した。 「どうかなさって?」 「――お怪我はありませんか、奥様」 「大丈夫です。あなたは如何ですか? 旦那様」 「旦那、さま、ですか?」 「奥様ですから」 「私にはバルドゥクという名もありますが」 「私にもセレニアという名がありますけれど。でも、あなたは私の旦那様でしょう」 「それもそうですが――そうですね。旦那さまでしたね、あなたの」  彼はなぜか顔を真っ赤に赤らめ、右手で口元を隠すようにして顔を伏せ、私は彼の所作の不可解さに首を傾げるほかなかった。 「まぁ、本当の夫婦ではありませんから、私に旦那様と呼ばれるのはお嫌かもしれませんね。これからは伯爵様とお呼びしましょうか」 「いや、そうじゃなくて!」  叫ぶバルドゥクの声は私の好きな声ではなく、少々裏返っていて軽薄な響きをしていた。  その声で叫ぶと威厳が無くなりますと注意すべきか逡巡した一瞬、天井となった馬車の扉がバタンと開いた。  あらまあ、そこからにょきっと真っ赤な髪をした頭が生えたわ。 「お二方! こんな状態で何を遊んでいるのです!」 「あら、キリアム。あなたは神出鬼没ね」  赤髪に緑色の瞳を持つ十代のこの少年は、バルドゥクの従僕であるそうだ。  王宮でバルドゥクを馬車まで誘導し、バルドゥクの従僕だと自己紹介してそれっきりだった人だった。  馬車に追従していなかったから別行動だと思っていたわ。    実は、今の今まで彼の存在を忘れていただけなのだけど。  私は馬車の中ではバルドゥクの観察に夢中であり、さらに言えば私の侍女達に勝手に暇を出していたらしいのだから、自分の従僕だって暇を出しているのかもしれないと思うものであろう。 「ずっと僕は馬車の後ろを走っていましたよ」 「あら、気が付かなかった」 「お二方のお邪魔にならないようにと、馬車との間隔を多めに取って見守らせていただいておりました」 「まぁ。なんて見上げた心意気かしら」 「おい、キリアム。それでどうした。何が起きた」  バルドゥクの言葉に生えていた頭は外に引っ込み、バルドゥクはその頭を追うように立ち上がった。  横転してひしゃげた馬車はぐらりと大きく揺れ、私はその揺れと一緒に体が大きく揺れたが、倒れることも無く、それどころかしっかりとバルドゥクの腕の中にいたのだ。  私は彼に抱き上げられている。  横転した馬車の扉だったが今は天井となっている上部から私達が顔を出すと、キリアムは満面の笑みで私の方へ両腕を伸ばしながら自分の上司に応えだした。 「銃撃です。馬車を牽引していた馬二頭が撃たれました。馬車の横転はその結果ですね。はい」 「大事に扱え」  私はキリアムに手渡され、彼は小柄で細い外見から想像もつかなかった安定した力強さで抱えた私を馬車から取り出し、馬車の側面だった今は屋根に座らせ直す。 「ありがとう」 「いいえ、セレニア様の為ならば、僕は死んでもかまわない勢いですから」  純粋そうな笑顔を添えての言葉に嫌な気はしなかったが、単なるお世辞でしか無いはずであるが心が華やいだ。この整った顔立ちの少年にしか見えない彼は、なかなかに如才のない男だと言える。 「まぁ、ありがとう。でも、御者はそんな気持ちじゃないでしょう。彼は無事なの?」  キリアムはニコッとなぜか笑い、私を再び抱き上げる。  いつのまにかバルドゥクが馬車を脱出して外に出ていたらしく、キリアムは私をバルドゥクの腕へと私を移動させたのだ。  キリアムは御者について何も答えずに、話を逸らすタイミングで動いた。 「御者は亡くなったのね。可哀想に」 「いいえ。馬車への襲撃を見越して御者台から飛び降りましたから、無事です。これから無事かはわかりませんけれどね」 「大事な証人だ。死なない程度の安全は確保してやれ」 「かしこまりました!」  キリアムは右手を胸に当てるという簡単な敬礼をバルドゥクにすると、まるで兎のように軽い足取りでどこぞへと走っていった。 「馬車はあなたが用意したものでしょう」 「いいえ。伯爵家の紋章と御者付きという貰い物です」 「まぁ。では、襲撃の目印になるように馬車を与えたのですね。ふふ」 「笑う所ですか?」 「あら、だって。馬車を横転させる目的ならば、室内を柔らかくしすぎよ。あれじゃあ誰も殺せない。なんて間抜けな人達」  しかし、バルドゥクは私の言葉に目は笑わずに、両の口角だけを大きく上げた。  そこで気が付いた。  馬車は止めるが、その目的は車内で私達を殺す事ではなく、隠すものも無いだだっ広いだけの車外へと放り出す事なのだと。 「……もしかして、目的はあなたの方?」 「そうですね。あなたは殺さずに未亡人に。そして荒野に放り出された私はこれから襲いに来る夜盗によって良い獲物となる。という算段だったのでしょう」  バルドゥクは言い終ると私に顔を寄せ、私の耳元でさらに囁いた。 「怖いか?」 「私が殺されないのであれば、怖くはないわ」 「ひどいな」  彼は喉を震わせるような笑い声を立て、一層に私を抱きしめた。  私は彼の腕から逃れようと彼を押し、しかし、彼はびくともしない。 「えぇ、酷いの。だから私を置いてお逃げなさいな。キリアムは馬で来ているのでしょう。足手纏いがいなければ、ここは簡単に逃げ切れるでしょう。ほら、早く逃げて!」 「ひどいな」 「ひどいですか? あなたは下級兵士達の命綱では無いのですか? 生き残って下さい」 「本当に酷い人だ」  今度は本当に残念そうな響きがあり、彼の腕の中で私はもがくのをやめ、そっと彼の顔を見上げた。バルドゥクは声と裏腹に余裕そうな顔をして、目の合った私に対して軽く左目を瞑ってから微笑んで見せた。  バルドゥクに捕まえられていなければ、私は地面に座り込んでしまっただろう。  なんて魅力的な男なんだ。 「あなたはこんな所で死ぬべき人ではありません」  彼は笑顔をすっと真顔に戻すと、彼の腕の中の私を軽く揺すった。  まるで、君は間違っている、という抗議のようにして。  おまけにすねた表情を作って、私からぷいと顔を逸らした、なんて。 「私は実を取るのです。間違ってなんかいません」 「間違っています。ひどすぎる見誤り方です」 「間違っていません。こちらは少数で、あちらは計画的なんですから多勢でしょう。森や林の中ならまだしも、身を隠す所のない平野では少数は囲まれたらお終いです。ここは逃げるのが正しいのでは無いのですか」  彼は私に再び顔を向けた。  両の瞳で真っ直ぐに私を射抜く。 「いいや。間違っている。君ぐらいの兵法ぐらいは学んでいて欲しかったと、昔の上官達への思いは尽きないけどね。だが、君は間違っている」 「では、間違っている、という根拠を」 「ははは。俺は実行だけの男だからねぇ。俺を見ていてくれとしか言えないよ」  私は彼に対して不満そうな顔を向けていただろう。  彼はさらに私を苛立たせるようなニヤニヤ笑いだ。  そんな対照的な表情の私達は、しばし見つめ合う。 「だから!!動いてくださいって、団長!!」  再びのキリアムの声に私達ははっとなり、見合わせていた顔を同時に背け合う。  しかし、私達が顔を向けた方角は二人とも同じだった。  キリアムの後ろには六人の男性の姿が見える。  馬の嘶きだって聞こえる。  彼の精鋭達の到着だ。   「全員集まったな。では、まずは死んだ馬の弔いをしよう」 「え?」 「ダン、セシル。この残骸を使って火を作れ。ジーニー、フレイ、馬を解体しろ。腹ごなしをするぞ!!」  え? 馬の弔いって食べちゃうってこと?  敵の追撃があるかもしれないこの状況で?  私ちょっとバルドゥクの思考が分からない。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

63人が本棚に入れています
本棚に追加