『たまごかけごはん』

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 言葉が尽きた部屋で、氷寄潔良(ひより きよら)はただ、口をつぐんでいた。  風呂でぶっ倒れていた――という数刻前の状況説明には、なにかしらの含みがあるような気配が、彼には感じられたからだ。  なにか粗相をしてしまっていたのだろうか。初めて酒を飲んだとき、前後不覚になってしまった苦い記憶を想起し、彼は赤面した。  ……そもそも。オレはなぜ、「風呂でぶっ倒れて」いたんだったか。  何か。なにか――。 「まだぼーっとしてますね。大丈夫ですか?」  気だるさのまつわりつくような思考を遮るように、二石楚唄(ふたいし そうた)が横から、そおっと覗き込んできた。  彼の、斜めに傾げられたかんばせにかかる、前髪。その隙間から、真黒な目がゆっくりと瞬きするのが見えた。    明滅している踏切の赤色灯を、じっと眺めていたときのような、感覚。  頭痛の錐がじくりと刺さり、潔良は顔をしかめた。 「…………ああ、悪ぃ。ごめん。アレだわ。まだ、なんか頭が……うまく、働かねぇわ」  楚唄はそれを聞き、気づかわしげな表情を浮かべた。 「もう少し、ゆっくりしてたほうがいいですよ。考えすぎると、知恵熱が出てしまいます」  しゃっちょこばった顔でそんなことを言うので、潔良は思わず吹き出した。 「ぷっ。……なんだよそれ」  たまにヘンなこと言うよな、楚唄って。潔良がくっくっ、と小さく笑うのを眺める彼の瞳は、すでに分厚いすだれの奥へと隠れてしまっていた。やさしくゆるんだ、彼の口元。潔良はどこか、ちいさく溜息でも漏れ出るような気持ちで、それに目を留めていた。  視線に気がついたらしい。楚唄がわずかに首をかしげて、なんですか、と言った。 「あ。えっと、……えー?」 「……」  楚唄は言葉を発することもなく、微動だにせずに潔良に視線を向けている。とめピンで固定された蝶の標本みたく彼は、まわりの空気がすこしずつ、――より正確な表現に徹するならば、彼の目の前の、まるで表情のうかがいしれない男の纏う雰囲気が、すこしずつ、――じわりじわりと、ミルクにとけ合うコーヒーみたいに質の変わっていくのを、目前にしながらも、……動けないでいた。
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