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――ゆっくりと。
なめらかなスローモーションで伸ばされた、彼のしろい右手が、潔良の頬を、するり、と撫でた。
潔良の目が、知らず潤む。
ふるりと頭を振り、じゃまだ、とでも言いたげに楚唄が、顔を覆うすだれをわきにやった。真っ黒な目はどことなく、熱に浮かされたような扇情を帯びていた。
楚唄がゆっくりと、潔良の正面に移動する。向かい合う。
半びらきになった潔良の唇を、添えた手の親指で、引きずるように、感触の余韻を彫りつけるように、ていねいに、なぞる。
愛撫を受けた彼の両眼は恍惚に蕩け、ばら色に染まった彼の頬と、血の気のなくてほそい楚唄の手指が、どの角度から見ても対照的なコントラストを作り出していた。
ぐうぅうぅっ、と。
不意に、間の抜けた音が室内で反響した。
数秒遅れて、潔良が煩悶の表情で楚唄から顔をそむける。彼の両手は、寝乱れたパジャマからのぞく、おなかの部分へと走った。
楚唄がそちらに顔を向け、口を開く。
「氷寄さん。もしかして――おなかが空いてるんですか?」
問いかけに、潔良は目を伏せ、ちいさく頷く。
「……今日、昼飯食い損ねた」
「ほんとですか? なんてことでしょう」
「なんてことでしょう、って……」
へんてこな言葉づかいに困惑する潔良をよそに、楚唄はむくれた顔で言った。
「ちゃんと食べなきゃダメですよ! 死んじゃいますよ?」
「大げさだよ! 一食くらいで。……課題レポートが間に合いそうになかったからさぁ」
「課題はまあ、確かに大事ですけどね。……それはそれとして、ごはんはちゃんと、毎食しっかり食べてくださいね。じゃないと、肝心のレポートも零点になっちゃいますよ?」
鼻息荒く諭す楚唄。潔良はめんどくさそうに「わかったわかった」と返す。
「もう。台所貸してください! 何か、作りますから」
「おお、いいのか。ありがとう――でも、冷蔵庫にたぶんいま、何もないと思うぞ」
潔良は数秒天井を見つめ、後ろめたそうに打ち明けた。
「今日の夕方、帰りがけにスーパーに寄る予定だったけど、華麗に忘れてたんだよな。ちなみにこれ、わりとよくある」
「はぁ?」
楚唄が目を三角にした。
「あきれた……。日ごろからそうなんですか。もうほんと、ちゃんと食べてくださいよ……」
嘆かわしいと言わんばかりにゆるゆるとかぶりを振って、楚唄がベッドサイドに屈みこんだ。
「でも、安心してください。栄養のつくものを、ちょうど持ってきてたところだったんですよね」
がさごそと音がしている。真黒いもさもさした後ろ頭が、潔良の足元のほうでうごいていた。伸び上がってそちらを窺う。彼はどうやら、カバンの中から何かの食材を、取り出そうとしているようだった。
これこれ、と小さく呟き、楚唄が手を出して、こちらに差し出した。
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