ミリキア参上

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ミリキア参上

  午後の授業がすべて終わると、ミリキアは早々にスクールバッグを肩にかけて、シルダの席へ飛び込んだ。 「シルダちゃん、早く! 太陽堂、行こう!」 「……ただ帰宅するだけよ、私には」 「あ、そっか。でも、あたし最近行ってなかったから楽しみ!」  ミリキアは目を輝かせていた。その輝きにすがりつくようにして、シルダは重い腰を上げた。イスを席にしまう際に、床と脚とがこすれる音が、妙に重々しく感じられた。  校舎を出ると、空はまだ青く染まっていた。油絵の筆で描いたような白い雲が、透明のレーンに沿ってゆっくりと移動しているのが見える。  強い風が、学校の沿道に植えられた木々を揺らしていた。緑色の葉が少しずつ散っていくさまは、シルダの不安を執拗にかきたてた。  2人は小学校の給食センターの横を通り過ぎ、狭い路地を並んで歩いていった。ミリキアははつらつとした表情を崩さなかった。  いとこ同士という間柄もあって、ミリキアは幼い頃から太陽堂に出入りしており、店の手伝いもしていた。  ただ、お菓子の入ったダンボールをひっくり返したり、ガチャガチャを直すつもりが余計にひどい故障を起こしてしまい、結局叔母である女店主に買い替えさせるハメになったりと、足を引っ張ってばかりだった。  そのため、自然と店の備品を触ることはなくなり、やってくる子どもたちをもてなす役に徹するようになった。  久々に会う子どもたちの顔はどんなものかと、ミリキアは期待に胸を膨らませているのである。  一方シルダは、自宅が近づくにつれて足取りが重くなっていった。  今日は運命の、当事者同士で仲直りをする日である。ハミルと男の子の関係性がギクシャクしているところを見て、ミリキアは心を痛めてしまわないだろうか。そうした失望から自信ややる気をなくして、仲介役としてまったく機能しなくなったりしないだろうか。  いとこ同士で幼い頃から交流のある仲である。シルダは、ミリキアがそうした繊細な心を持っていることを知っているし、今回のようなシチュエーションに直面したときに取る行動はきちんと予測ができる。  やがて、2人は二本松通りに出て、溝沼氷川神社入口の交差点を左に曲がって狭い路地に入った。 「あ、男の子が1人いるよ!」  シルダの不安でたまらない心をよそに、ミリキアは太陽堂へと駆け出していった。  ミリキアは男の子のそばに駆け寄った。  男の子はひどく憮然とした表情をしていて、腕を組みながら店の前で仁王立ちをしていた。 「やっほー! 久しぶりだね!」  と気さくに声をかけた。 「お、ミリキアじゃん!」  男の子は驚いて、腕組みを解いた。 「おっきくなったねー、いぇーい!」  ミリキアは男の子とハイタッチを交わした。 「なんでミリキアがいるの?」 「そんなの、どうでもいいじゃん! あたしは、お店に行きたいから来たのに」 「えー? 教えてよ!」  男の子はあれよあれよとミリキアのテンションに乗せられて、悶々とした気持ちを忘れてしまった。  外から明るい声が聞こえてきたので、女店主は一瞬、娘から目を離した。ハミルはその隙をついて、母親の説教から逃れるために襖を開けた。  言いたいことを言わせず、頭ごなしに叱りつけてくる母よりも頼りがいのある存在を、店頭のほうに感知したのだ。 「みりきゃあ」  ハミルは開け放った襖から、ミリキアの名前を呼んだ。 「お、ハミルちゃんだ!」 「よぉ」  ハミルは右手を挙げてみせた。 「よっ!」  ミリキアも目一杯に腕を伸ばして応えた。  そんなミリキアを見て、男の子はすぐに目を伏せた。視界から、ハミルの顔は完全に排除された。  離れた位置から眺めているシルダは、すっかり胸を痛めた。やっぱり思っていた通りだ、悪いシナリオが用意されていた……。  ミリキアは、何事もなかったかのように「今日は何買うの?」と男の子を店内に連れていった。男の子は少し戸惑いながらもついていった。  ハミルの姿が近づくにつれて、男の子は口元がこわばった。  ハミルもハミルで、部屋から救い出してくれたはずのミリキアが、よりにもよってあの男の子と一緒にいるのが気に食わなかった。楽しい話題をいっぱい提供してもらって、自分は単語1、2個で答える。そういう期待があっさりとひるがえされてしまったのだ。 「ねえねえ、これとかどう?」  ミリキアはピンク色に包装されたチョコバーを手に取った。男の子はうつむいて、何も反応しない。 「じゃあ、このガムは? ラムネとかもあるよ?」  男の子の反応は、少し顔を傾けたり、首を振ったりする程度だった。  するとミリキアは後ろを振り向き、 「ハミルちゃんもおいでよ!」  と声をかけた。  ハミルは知らん顔をして突っ立っている。  店の前で様子を眺めているシルダは、ますます不安をかき立てられた。ここは自分がハミルの背中を押す場面ではないだろうか? と思う一方で、足がすくんでそれができない自分がいる。  自分が出ていくことで、ハミルのモヤモヤした感情を表に出す結果になりはしないか……。  そうこうするうちに、ミリキアが少し拗ねた様子で「おいでよー。ボケボケしてないでさー」とハミルを半ば強引に男の子の隣に引き合わせた。  ハミルは明確に返事をしなかったが、ミリキアが誘ってくれたのだから、誰に同席されても妥協するつもりだったのだ。  憮然としたままの男の子と、何も言わないハミルとの間の溝は埋まっていない。しかし、ミリキアはそれを無理やりくっつけて平坦な地面にしようとしていた。  それを感じたシルダは、3人の輪の中に溶け込めていない自分を責めるようになった。あの子たちを仲直りさせるのは、自分なのだと思い込んでいる。  やがて女店主が奥から出てきて、 「あらいらっしゃい。ミリキアちゃんに、昨日の子もいたのかい」  と気さくに挨拶をした。
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