ノックは3回、あと1回

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トン、トン、トン。 ノックは無用、ではなく、3回まで。 いつも、そうだ。 その音は、不意に聞こえてくる。 もしかしたら、空耳ってやつだろうかと自分の聴覚なんてものを疑ってみたこともある。 だが、正常。スマホの聞き慣れたアラーム音だって、ヨージの右、左の耳は、ちゃんととらえる。 ついさっきも、ノックの音が3回続けて聞こえた。 あと一回、おまけのようなノックの音がしたなら、自分はどうするだろう。 待ッてたヨーンと笑顔になって、ドアを開けるか。 帰りなと声も出さずに、無視を決め込むか。 だが、息を呑むような構えをして、あと1回を待っても、それっきり。 ノックの音は聞こえない。 あと1回と言わず、5回6回10回とノックが続いてと仮想して、とそれしきの間合いを取ってから、ようやくドアを開ける、開けてみる。 ……誰もいない。 「それって、おばけ?」 親友のミツオに、その話をしたら、いきなり、言われた。 「そうかも。いや、そうであってくれたら、歓迎するかもなんだけど」 「歓迎?」 「オレって、けっこう好きだからね。おばけっていうか、亡霊とか幽霊とか」 「そうだっけ?」 「そうそう、ハムレットとか、四谷怪談とか。本も読んだし、映画も観たし」 ふーむ。ミツオはヒト呼吸置いて、それならば、とバッグから、もぞもぞと何かを取り出す。透かさず、その物を広げきって、頭から被る。 「今、この瞬間、オレは、おばけになった」 ミツオをおばけにしたのは、ストッキングの覆面である。 「ど、どうして、おまえは、そんなもの、持ってる」 恐がるより先、不思議がる、いや、疑惑のまなざしを向けるヨージに、 「オレは盗っ人じゃねえ。ヘンタイでもねえ」とミツオは笑ってみせ、 「単なる寒がり、それだけのこと」と見得を切るように言った。 覆面のおかげで、声の感じも、いつものミツオのそれとは違う。 作り声を拵えてるのかもしれない。 寒がりの息子のために、母親が、ストッキングを貸してくれた。覆面にせよ、というのではない。学校でも、外出先でも、寒さが我慢できなくなってしまったら、ストッキングを履きなさい。そうすれば、下半身だけでも少しはマシになるでしょう。 「母親なりの思いやりなんだな」 へー、そうかよと驚くようなヨージに、 「においなんて、しないからね」とミツオは言い訳する。 「そう、母親の足のにおいってこと」 貸してくれると言っても、何度も履いたストッキングなんぞを(洗濯済みであるとはいっても)、息子に貸与しているのではない。正真正銘、新品のもの。ストックが、かなりあるらしい。 「それでも、こうやってな、ちょっと被ってみただけで、伝染が走ってる」 覆面の頬から顎の辺りへのラインを、ミツオは尖らせた指の先でなぞってみせる。 なるほど、一線二線と筋が入っている。見えるか見えないかといったものでなく、確かに亀裂の筋だ、伝染だとヨージは見た。 「でもな、この伝染の筋に生じる、僅かな隙間のおかげで、息がしやすいってこともあって、助かる」 「あ、やっぱり」 「うん?」 「足とかに履いてるだけじゃなくって、時々、覆面にもしてるってことだな。息をするのが楽だなんてな。慣れてる感じ」 「そ、そんなんじゃないってッ」 ミツオは、覆面を外した。 あれ、さっきと何だか違うヒトみたいだよ、とヨージは本気で不思議がる。 「違う?」 「うん。ストッキングの覆面を被って脱いで、そして、きみってヒトは別人に見えるってね」 いたずらっぽい口調の言い方だが、ヨージの不思議に感じる気持がそのまま出ている声だ。 ミツオも何か感じるところがあるのか、別人になる、それもイイかもな、母親譲りのストッキング一つで、それが叶うのなら、な――独り言めかして言ったかと思うと、さっきの話だけどさ、と話題を変える。 ノックの音が3回聞こえて、それっきり。あと1回の4回目も5回目も、もうノックはされない。10回はされたかなと仮想のカウントのあと、ドアを開ければ…… 「開けたら?」 「きみは、イチコロ」 「は?」 わからないという顔をわざとしてやるヨージの頭を、見当は付いてるくせに、とミツオはコツンと小突く。 きみは、イチコロ→僕はイチコロ? ドアを開けた途端、〝覆面にんげん〟の腕がグイと伸びて来て、首を絞められる自分をヨージは脳内に浮かべた。 おばけも幽霊も亡霊も好きだが、首を絞められて殺されちゃうのはイヤだ。 当たり前のことを当たり前に思うヨージに、ミツオは目の前の宙の何処かをドアに見立てて、コンコンコンとノックをする振りをして、ニッと笑った。 1日の仕事が終わる。 ヨージは、レストラン勤務のコックである。 と言っても、まだ見習い扱いだが、厨房のボスから、おまえは筋がいい、などと褒められるとうれしくなる。 この仕事は何とか続けられるかな、と気持があったかになる。 ここ二三年の間に、幾度も転職していた。でも、今度はうまく行きそうかも、そう思うと、ホッとする。人間関係にも今のところさほどの難儀はない様子だ。 だが、やはり疲れる。 仕事が終われば早々にも部屋に戻って、入浴、食事。 ベッドに入れば、すぐ眠る。朝まで、ぐっすり。いつだってそうだが、時々、目が覚めて、目覚まし時計を見ると、あれ、まだ2時間半しか寝てないや、と落胆することもある。 まだまだ明け方に間のある深夜の気落ち、こういう時って、再び眠ることが難しいのだと知っている。 何度か寝返りを打つ。そのうち、寝返りのための寝返りを打っている、と虚しくなる。 寝床の中で、体を半回転させる、それしきの行為なのに、どうして、「打つ」なんて言うのだろう。 そんなことをイジイジと思っているうちにも、時間は過ぎる。もう、朝かな。寝不足のままかな。 と、音がする。耳を澄まさなくても、その音は聞こえる。 トントントン。 あれ、ヤバイよ。こんな時間にも、ドアはノックされている? 違うだろう。 夢の中でのノックかと頭のてっぺん辺りを軽く揉んでも、埒は明かない。 トントントン、あと1回のおまけのノックは、やはり、無い。 夢か、うつつか、と体を反転させながら、トントントンを待つようなヨージがいた。 1日の仕事が、また終わる。 おまえんとこ、大丈夫かと帰り際、ボスに訊かれた。 ぶっきら棒な声だが けっこう本気で心配してくれてるみたいだとヨージは、ボスを見た。 身辺で、おっかない出来事が続いていた。 近くのマンション、一軒家、公民館と数日おきにも、火事が途切れない。 おそらくは放火だろうとTVのニュースも伝える。 ココとココ、そして、ココとキャスターが地図を指しての連日の火の災難が報じられている。 帰宅すると、部屋の前に、ミツオがいた。 「どったの?」 「どうもしない。でも、来てみた」 勝手知ったるの勢いで部屋に入るミツオは、やっぱり勝手に冷蔵庫を開けて、缶ビールを取り出し、グイと、もう、飲む。 「生きてるにんげんのほうが、コエーんだよな」 ビールの泡を残りを舌先で舐めながら、ミツオは言った。 「うん?」 「だからぁ、コエーッて。おばけでもなく、幽霊さんでも亡霊さんでもなくって、放火をやってるのは、生きてるにんげんだぜ。シュッてさ」 手許でライターだか何だかを点けて、火付けをする仕種をしてみせる。 放火犯について言っているのだな、と判らぬわけもないが、ヨージは、ふふふんと笑って見ているようなところがあった。 気楽なもんだなとミツオは小さな溜息を付き、ビールを飲み干し、 「ところで、食う物なんてない? 何でもいいから」 何だか知らないが、ヤケになっているみたいな口調が面白い。 ピザでも取ろうか、と言ってやると、あ、食いたい食いたいと機嫌を良くする。 でも、その前にさ、とヨージはたくらむことをたくらんでみたくなる。実行してみたくなる。 「あのさ、ストッキングさ、ちょっと貸してくンない?」 上目遣いに頼んでみるのだった。 「借りて、どうする?」 「覆面だよ」 「おまえが、被るってかよ」 「わるいかよ」 「わるくはないけど」 如実に戸惑っているミツオの様子が、ヨージにはまたも面白い。 「覆面被って、どうするってかよ」 「どうもしないさ。ただ被ってみたら、どんな気分かなってね。ほんの思い付き」 いなすように応えるヨージだが、ストッキングを貸してもらい、この自分も〝覆面にんげん〟になるという思い付きは、ちょっと愉快、痛快ではあるまいかと心は逸るのだった。 そう、〝覆面にんげん〟になって、自分はノックの音を待つ。 トントントン……ノックの音が聞こえたら、〝覆面にんげん〟の自分は素早く、玄関のドアを開ける、開けてやるのだ、1回2回3回とノックされて、あと1回。その音を聞くか聞かずで、覆面にんげんの自分が、「バーッ」とでも声高らかに顔をのぞかせたなら、ノックの主はどうするだろう。 その日から、ミツオは、ヨージの部屋でお泊りをするようになった。 何かと物騒だから、こうしてやった方が、おまえも気楽だろうと気をきかせる振りを見せるが、実は自分こそが、怖がっている、そう、コエーというがまま、怖がっている。だから、いっしょにいようという気持になっているらしい。 そんなに怖いんならさ、しばらく、オレが泊ってってやろうか――自分のことは棚に上げるようなミツオの提案を、そうしてくれるか、とヨージは少し笑って、承諾した。 目を覚ませば、ミツオがいる。ミツオがいて、自分もいる。やはり、心強いものだとヨージはミツオを頼もしく感じた。 そんなぐあい、お泊りをしてくれているミツオだが、彼とて仕事を持っている。 書籍のセールス業に従事していて、出張の仕事も多い。 昨今のネット販売には負けられない。インターネットと御縁のないお年寄り、本好きなのだが家の近所の昔ながらの本屋さんも次々閉店し、不自由している。そういった人たちのために、本を供給する、けっこうやりがいのある仕事なんだと胸を張る。 だが、今回は隣りの県まで足を伸ばす出張とのこと――ミツオのお泊り無しのその4、5日の間にも、放火は続いた。 ヨージの部屋は、大通り裏のハイツの3階だが、ベランダから、ちょっと背伸びをして見遣れば、ギリギリとも視界に入るビルの踊り場での不審火。放火犯は、もう、そこまで来ている。 背筋がキュッと縮こまる。コレって、相当ヤバいんじゃないか。 不安が高まるばかりのヨージは更に追い打ちを掛けられてもしまうのである。 今回は、ストッキングを種火としての放火だとニュースは伝えている。 ス、ストッキング? マジで? ちょっと貸してくンない? と冗談半分で頼んでみたストッキングの貸し借りは実行されなかった。いや、1度きり、被ってみたが、1分も経たないうち、こんなに呼吸が苦しいものかとギブアップした。 「まさかさ、オレを疑ってるなんてことは無いよな」 出張から帰って来たミツオは、真っ先に訊いてきた。 「ねーよ」 即座にこたえるヨージだが、背筋のキュッと縮こまる感じの厭わしさが、甦る。 見抜いてか、信じろよ、とミツオは苦笑いの顔で、ヨージを見た。 仕事先でも、スマホの画面で、放火のニュースを確認していた。ストッキングと聞いて、驚いた。 「オレはな、やっちゃいないよ」 「だからー、疑ってなんてないって」 そうだよな、と頷いて、安心するミツオは、これ、おみやげなと、気楽そうに、小振りの箱入りのカステラを手渡して笑った。 それから数日もしないうち、ミツオは正真正銘、疑い晴れての快活振りを見せることになる。 犯人が捕まった。 何となくこの世の万事が面白くなくって……子連れの中年男。小五の男児に見張り役をさせていたという。 「哀れっぽいとこ、あるかもな。子供をバディにしてなんてな」 いや、赦してやろうってんじゃない、全く万事、罪は咎めなければならないとミツオは宙を見る。見て、腹減ったな、なんて言う。カステラを、あれ、まだ残ってたかい、と美味しそうに食べた。ともあれ、一件落着なんだなと笑った。 ――ところが、カステラの味よりも、ミツオの見通しは甘かったのだろうか。 数日を経ずして、新たな不審火が発生。 一日置き、三件続いて、四件目は、もう、ヨージの住まいの二軒先の民家の庭先だった。 カラの犬小屋に押し込まれた、大雑把に丸められた新聞紙が、火のもとだった。 オレじゃないよ、とミツオはもう言わない。 ヨージとて、疑ってなどいない。 だが、疑われていると思っているみたいに、ミツオは哀しそうな眼をして、オレは無実だーとリビングのソファに寝そべる。 ヨシヨシと頭を撫でてやっているうちにも、救いが来た。 このたびの逮捕は、早かった。 男友達に振られた女子学生の犯行だった。 ワンちゃんのいない犬小屋だから、自分は大した罪は犯していない。ワンちゃんが焼け死んだりしたのであれば、それは良くないことだけど――あっけらかんと、彼女は取り調べの際、言ってのけたりしているという。 「ヒマなにんげんが、この周辺には多いってことかい」 「また、発生するかもね」 ヨージはふと、諦めたはずのストッキングを取り出してみたくなっている自分を感じた。取り出したからには、頭から被る。被って、自分は〝覆面にんげん〟となる。なったからには、やるべきことがあるだろう。 ストッキングを被る。〝覆面にんげん〟と化した自分にとって、放火犯の居所など見当付けることなど容易い。今日はここだろうとチョッカンする、たとえば、近くのコンビニの駐車場などにふらふらとも行ってみたなら、案の定、犯人はいる。 犯人は、確かにストッキングを1足2足、ヒラヒラとも手にしている。 更に1足、足して、3足にしたところで、おもむろにライターをカチャリ。 いや、その前に、自分は、ちょっとあんたと声を掛け、その背中を叩く。 コンコンコン。あと1回余計に叩こうかとたくらむ前にも、振り向く犯人の目には、目も無し花も無し口も無しの〝覆面にんげん〟がギラリと映える。 コンコンコン、もう一度繰り返し、あと1回をずらす猶予を与えたなら、犯人は、ハイとでも意外にきちんと返事をし、振り向きもするのか。まるで、あと1回の〝あと〟を怖がるように――。 怖がられるヨージは、コンコンコン、我が胸もとなど叩いてみせ、さて、あと、もう1回、と力む。 あと1回、もう1回。 いつの間にやらか、手元に在る小振りのライターの感触の心地よさに脅える。脅えながら、カチャリ、試しに火を点けると快さげな眩暈の予感がした。
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