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湊が勧誘してきた先輩を見上げると、いつの間にかその隣に立っていた別の男が、地味じゃないよ、とこちらに微笑んでいた。
「僕は可愛いと思うよ。こんな可愛い子が入ってくれたら僕は嬉しいけど」
「か、かわいくは……でも、まだ入るところ決めてない、ので……」
可愛いなんて親以外から言われたこともなくて動揺していると、そうか、と男が少し考える仕草をする。さらりとまっすぐ伸びた黒髪と眼鏡の乗った優し気な顔は柔らかな雰囲気で、悪い人には見えない。
すぐに返事が出来ない自分に少し罪悪感を抱いていると、それを悟ったのか、じゃあ、と彼が笑顔を向けた。
「とりあえず、仮で学部と名前書いてくれる? 入るかどうかはゆっくり考えていいから。あと個人的に僕に連絡先教えてくれる?」
柔らかく笑んだ彼が手にしていた名簿を差し出す。湊は名簿を受け取りながら流れで、はい、と答えたが、すぐに眉を寄せて名簿から顔を上げた。
「連絡先?」
「そう、スマホの番号がいいけど、ダメならSNSのIDでもいいよ。持ってるよね?」
銀に光る眼鏡の奥の目が、湊の尻のポケットから少し出ているスマホを捉えている。それに気付いた湊が思わずそれを手で隠してしまった。
優しいのに怖い、そんな目から湊は視線を逸らせた。心の中では、何この人、なんで、何なの、と疑問ばかりがぐるぐると巡る。
「神崎、新入生びびってるって。そんなハンターみたいな目で見るなよ」
隣で二人のやり取りをみていた茶髪の先輩がため息をついて笑う。
神崎と呼ばれた目の前の男は、そんな目で見てないよ、と笑い返した。
「気をつけろよ、新入生。そいつ、両刀だからな。しかもすげー手早いし。ウチ、ヤリサーとかじゃないのにコイツのせいで学校からも疑われててさー」
その言葉に湊は首を傾げた。両刀って、と聞き返そうとすると神崎に微笑まれてしまい、それだけでなぜか言葉を返せなくなる。
「ホント、うるさい外野でごめんね。とりあえず名簿書いて」
「……あの、先輩ってバイなんですか?」
優しく名簿を指差す神崎に、湊はそっと聞き返した。驚いたのは神崎の方だ。けれどすぐに穏やかな顔をして、そうだよ、とあっさりと答える。
「男も女も同じ人間でしょ。だから好きになるよ。ちなみに君なんて、すごく好み」
「こ、好みとか、言われても……」
湊はどうしたらいいのか分からず、逃げるように名簿に名前を書きはじめた。字が震えているのが恥ずかしい。
湊が誰かに好みだとか、そんな好意を向けられるのは初めてだった。確かに人伝いに、何組の誰だかがお前のこと好きらしいよ、なんてことは聞いたことはあるが、直接こんな風に言われたことはないのだ。そもそも高校の頃は聡祐にしか興味がなかったから、何か言われても聞こえていなかったのかもしれないが。
「ま、教えたくなかったらいいよ。そのかわり今日このまま僕の部屋に来てくれる? えっと……湊くん」
神崎は湊の手から名簿を引き抜くと、湊を見つめ微笑んだ。湊が唖然としていると、また傍から笑い声が聞こえてくる。
「神崎、いきなり食う気かよ」
……食う? ってなんだ? と一瞬首を傾げてから、湊はその意味を理解し真っ赤になった。
「い、行きません! 部屋なんて……おれ、そういうことは好きな人とじゃなきゃ出来ません!」
湊がそう言い切ると、神崎は一瞬驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑った。いいね、すごくいい、と言いながら湊の目を見つめる。
「じゃあ、今日はメッセージアプリで友だち追加してくれる? 湊くん」
その微笑みに、湊は抗えなくて、渋々頷いていた。
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