魔族とゴブリンは全く別の生き物

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魔族とゴブリンは全く別の生き物

『我は隠居する。四天王の任は解任じゃ。この機に世界を見てくるんじゃな』  魔王ルミエーラ様からの最後の伝言は、真っ赤に染まった伝書烏によって運ばれてきた。  魔王城の西側に位置する門。ファントムのその日配置された警備場所だ。 「なんなんですか……これは」  封筒をグシャリと潰した。カタカタと体が震える。なりふり構わず走って魔王城に向かう。 「魔王様!」  黒い鎧をガッシャガッシャと馬鹿みたいに鳴らして城を駆け上がる。 「魔王、様......」  最上階にある玉座の間の扉を開けた。そこには玉座を踏み荒らす野盗しかいなかった。  ダンっと床を蹴る。瞬きの間に距離を詰められた野盗は悲鳴を上げる暇もなく斬り飛ばされた。  魔王様との関係は良好だった。少なくとも、この事態に何も相談されないほどの信頼度では無かった筈だ。  陰る気持ちは、野盗を原型も分からぬ肉塊にしても収まることはない。彼は一人静かに魔王城を後にした。  とある森の奥深く、誰からも忘れ去られてしまった石造りの神殿があった。壁や天井は崩れ、原型を保つのは入口のみ。ファントムはその入口に立っていた。  あれから千年。魔王城からもっとも離れたこの神殿を除き、全ての土地を探し尽くした。  もし、ここにもいなければ。一抹の不安をかき消すように中へ入った。  椅子も蠟燭も女神像も、全て砂と化した室内。残っていたのは無機質な石の棺だけだった。  棺に近づくと「ズズ……ズズズ……」と、鈍い音を立ててゆっくりと蓋が開いた。「ゴンッ」と、鈍い音を鳴らして埃の積もった蓋が地面に落ちた。  中から出てきたのは、真っ赤な髪を靡かせた美しい少女だった。  まだ意識が起きていないのだろう。寝ぼけ眼を擦り、首をこてんと傾けた。幼くも整った顔立ちと仕草に、並の人間ならば思わず見惚れてしまうだろう。  少女は棺の縁をよじ登って、ふわりと地面に舞い降り、着ていたワンピースを叩く。土埃で所々薄茶色に汚れていたが、生地は劣化しておらず、生地本来の色である赤黒い輝きが顔を覗かせていた。  その見た目はファントムの記憶よりはるかに幼くてか弱い。しかし、真っ赤で見通すような眼は記憶の中の彼女と瓜二つだった。 『おはようございます魔王様。無幻騎士団(ファニティナイツ)ファントム、ただいま参上いたしました』  棺に素早く近づき跪いた。 「我はもう魔王ではない。今の我にお主が傅くほどの権威は残っておらぬのじゃ」  芯に響く声。たとえ体が幼くともその威厳は残ったままだ。 『いえ、私の主は今も昔も、魔王様ただ一人です』  ルミエーラは少し辟易とした様子で手を振る。それでも食い下がって、震える声で答えた。たとえ何と言われようとも、それを変える事はあり得ない事だった。 「お主は、相変わらず堅苦しいの……せめて名前で呼ぶのじゃ」 『では、ルミエーラ様と』  ファントムの返事に頷き、彼女は傅く横をすり抜けて外に出た。  森の中はひんやりと薄暗い。日の光は巨木で完全に遮られている。唯一の光源は、地面に生えた水色のキノコが発する淡い光のみだ。  かつて森に聞こえていた魔物の声はひとつもない。 「……やり過ぎじゃ」  ジト目で見られてしまった。その瞳に呆れた色は少ない。懐かしさや望郷を帯びていて、注意の意は感じられなかった。 『肩慣らしにもなりませんでした』 「……はぁ、ここから一番近い町に向かうのじゃ」 『というと、デボットでしょうか。そこから征服されるのですか?』  デボットは冒険者も特筆するほど強くないし警備もザル。初めに征服するにはうってつけの町だ。 「そんな事はせん。ただの観光じゃ」 『……観光で、すか?』  予想外の返答に、思わず鎧がガシャリと鳴った。 「なんじゃ、文句があるなら連れて行かんぞ?」 『いえ、どこへでも、何があろうとも、今度こそ共に』  すぐに冷静さを取り戻し、胸に手を当てて跪く。 「最初からそういうのじゃ」  そういって、無邪気な笑顔をほんの一瞬だけ浮かべた。見た目通りの幼さを抱えた、純粋無垢な笑顔だ。 『どうかされましたか?』 「ここに他に……いや、なんでもないのじゃ」  一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、入口だけが立派に立つ神殿を振り返ったが、すぐに森へ向き直った。  ドラム缶ほどに太い木々の根っこを無邪気に跳ねるルミエーラ。その後ろを昔のように変わらず、ただ静かに従っていた。  二人が神殿を出て数刻。完全にその姿が見えなくなると、神殿は音を立てずに眠る様に崩れ去った。
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