410人が本棚に入れています
本棚に追加
由紀也のマンションで優月は解放感を覚えていた。
(私もうあの家を出たんだ)
恐ろしいほどに気が楽になっていた。
(ああ、ずっとつらかった、あの家で、私、ずっとつらかったんだわ。自分で思っていた以上につらかったんだわ)
優月は、由紀也の衣服を借りて、朝食の席についた。ぶかぶかの衣服だが、ネグリジェのままでいるよりはましだろう。
テーブルに並べられた皿は、どこかから届けられたモーニングのようだった。
スーツを着込んで向かいに座る由紀也はひどく優しげな眼で優月を見つめてくる。
「いったん会社に出るけど、すぐに戻る。午後、優月の荷物を取りに高遠の屋敷に行こう」
優月は、高遠との言葉に少々身を震わせた。
高遠の家は今や優月の安心できる場所ではない。それどころか、危害を加えられる不安しかない。
しかし、今の優月は身一つの状態だ。スマホも財布も置いてきた。
「一緒に行ってくれる?」
「もちろんそのつもりだ」
由紀也がひたすら心強い。
(由紀兄さんがいなければ、今ごろ私は)
昨日は二回も火急の場に現れて優月を助け出してくれた。
(何だか運命のようなものを感じてしまうわ)
優月にとって、由紀也は特別な人だったが、更に特別になった。
朝の穏やかかな光の中で見る由紀也は、その容姿もひときわ格好良く感じた。
そして、容姿もさることながら、立ち居振る舞いもとても洗練されており、堂々としたものを感じる。
優月は、これまで感じたことのなかった感情が湧いているのを感じていた。
(由紀兄さんがとても素敵に見えるわ。どうしよう、胸がドキドキするわ)
そこではたと気づく。自分が由紀也のことをほとんど何も知らないことに。
叔父であること、ただただ優月を守ってくれる人。そのほかは知らない。
「そういえば、私、由紀兄さんのこと、ほとんど知らないわ」
「俺のこと? ああ、そうだよね、不安だよね」
「不安というより、もっと知りたいの」
由紀也は、内ポケットから名刺を取り出した。
「安心材料になるかどうかはわからないけど」
由紀也が差し出した名刺には、藤堂由紀也との名前に、代表社員の肩書があった。
しかし、優月が知りたいのはそういうことではなかった。もっと、由紀也のことを知りたい。たとえば、何が好きなのか、日頃どう過ごしているのか、そして、愛する人がいるのかどうか。
「結婚はしているの?」
同居家族の存在は感じられないが、別々に住んでいるのかもしれない。もしそうであれば、優月はここに長居はできない。夫の家に居候がいるのはいやだろう。
「してない」
「恋人は?」
「特定の彼女はいない。だから、優月は遠慮なくここにいていいんだよ」
先回しに優月を安心させるつもりで由紀也はそう言ったのだろうが、言外に遊び人であるようにも聞こえた。由紀也もそれを自覚したのか、慌てて言った。
「優月の保護者になったんだから、今後は一切、控えるつもりだ」
(これだけの男性なら、女性は放っておかないわよね)
どういうわけか急に腹が立ってきた。
「そこは由紀兄さんの好きにしてください」
優月がツンとしてそう言えば、由紀也は呆気に取られた顔をした。
玄関を出る前に由紀也は言ってきた。
「一人でどこにも行ってはいけないよ。チャイムが鳴っても応答しないで」
(由紀兄さんには、私が小さい子のように思えているのね)
心配してくれていることは十分に伝わってきたが、何だか悔しいような気がした。
最初のコメントを投稿しよう!