芹の愛寵

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翌朝目を覚ますと、そこに冴島の姿はなかった。 どういう心理か部屋は片付けられ、器用なことにベッドシーツまで交換されている。 まるで昨日の情事は夢だったのかと言いたくなるが、部屋に充満したすえた臭いと、何より芹がパジャマが乱れたままであることがそれを否定する。 芹は目を擦って背伸びをすると換気のために窓を開け、それからとぽとぽとシャワーを浴びにお風呂場に向かった。 こういう時、芹は自分は何かを間違えているかのような気分になる。 でもそれが何かなんてわからなかった。 鏡の前で髪をかき上げる。うなじにポッとひとつ吸引された赤い花が咲いている。 冴島につけられたその傷を見ると、漠然とした不安が少し和らいだ。 着心地の良いラフな格好に着替え、再びベッドに寝転ぶ。 ダブルベッドは一人には広い。芹は無意味にコロコロと転がった。網戸を越えてすーっと気持ちの良い風が入り込む。 芹は目を閉じ、スーッと深呼吸をした。 心が透き通るような爽やかな気分になる。 理由のわからない悩みなんて考えるだけ無駄だ。素敵なことを考えよう。 (この間薫さんに見せてもらったスフェーンのルース、凄く綺麗だったな…) オリーブのような深いグリーン中に赤い閃光が煌めくその宝石は、知名度こそ低いがその輝きはダイヤモンドを越える。動く度にチラチラッと炎が揺れてるそんな石がイヤリングになったらどれだけ素敵だろう…。 創作意欲と共に芹はムクリと起き上がり、スケッチブックを開く。 良く動くように吊り下げて、廻りにダイヤモンドを添えたらそこにはギリシア神話の女神のような輝きが生まれるだろう。 深い森の中でしなやかに駆け回る美しい処女神アルテミスをイメージしてみてはどうだろうか。 曲線美と凛々しさを兼ね備えたような… 芹は無心で絵を描く。 こうなってしまうと、つい食事も忘れて次々と色鉛筆を走らせる。 気がついた時には、外は夕方になっていた。 自然光だけで照らしていた部屋もいつの間にか随分薄暗くなっている。 芹は立ち上がり電気をつけた。 部屋が白く明るくなると、唐突に自分がこの部屋に一人でいることを自覚させた。 そして、芹という人間は、恵まれ、甘ったれた、さもしい人物だったと思い出す。 昔から勉学は人並みだった、運動は苦手で、絵は下手の横好き…というやつだ。 美術の予備校に通いもしたが、己の才のなさを自覚しただけだった。芹が優れていたのは母から受け継いだ容姿だけだ。 努力を放棄した芹はGARDENのモデルになった。専属だから苦労もない。 この趣味は、虚しさを加速させるだけだ。 芹がスケッチブックを机に放ると、「ううー」と唸りながら窓の外、遠くを眺める。 (…冴島さんは今日はなにしてたのかしら……) うっかり冴島のことを考えてしまった。 思い出すと胸がきゅうと苦しくなって、言われたこと、触れられたことを思い出す。 もっと彼のことを知られたらいいのに。 そうすればこの息苦しさの正体がわかる気がする。
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