芹の決断

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冴島が芹の頬に触れた。 「そんなことはあり得ませんよ、絶対に…」 今まで感じたことがないほど、冴島の瞳はじっと熱っぽく真剣に感じられた。 芹は思わず頬を染める。 「そう…」 「…あなたに誘惑されて靡いた男が言っても説得力がないか」 冴島は自虐的に嗤うとシュルリとネクタイをほどき、シャツの前ボタンを空け始める。 「なっ、なにを…!?」 芹が仰天していると、冴島は芹を抱き寄せた。 「ご心配であれば、首輪つけておきます?」 そう言ってトントンと自らの鎖骨の辺りを指で叩いた。 意味を理解し、芹はドキリと胸を波打たせる。 恐る恐る芹は冴島の膝に股がり、吸血鬼のようにその首筋に唇を寄せる。 仕事終わりの冴島はいつもより僅だが体臭が強い。芹はスンスンと鼻をひくつかせる。 「う、すみません。臭いですか?」 「うんん、好きです…」 「えっ…」 その匂いは香水のように華やかでも、アロマのように調整されてもいない、ただの人の匂いだ。 しかし冴島のそれは芹にとっては包まれていると心地の良い落ち着くものだった。 「…もう、犬みたいに嗅いでないで、やるなら早くやってください」 「ふふ、犬に首輪をつけられるなんて可笑しなこと」 すっかり機嫌の治った芹は笑ってから、ちゅっとその鎖骨に唇を当てた。 ちゅうちゅうと強く吸う。 ぱっと唇を離した時、確かにそこには紅い痕がついたがすぐに肌に馴染んでぼんやりしてしまった。 「あれ?」 もう2回やってみたが、結果は同じである。 「…下手ですね」 見かねた冴島がぼそりと呟く。 「だって初めてだものこんなことするの!」 「吸う力が弱いんですよ」 あれで全力である。 「んー…もういい!」 芹はぴょんと冴島の膝から降りると机まで走り油性マジックを手に取る。 そしてまたぴょこんと膝に飛び乗った。 「まさかですけど…」 冴島の言葉を無視して、芹に首筋に「芹」と漢字で書いた。 「こっちのがいいですよ。名前つき」 「なんとも…ムードもクソもない….」 満足げな芹に呆れながらも冴島はボタンを閉じる。 そしてふと芹の机に目をやった。 「随分古そうな本ですね」 「え?…ああ、薫さんから貸してもらったんです」 「織間から?」 「ええ、実はその…デザイナーを目指すことにしまして、勉強を始めたんです」 冴島は優しく、それでいて寂しそうに微笑む。 「応援します」 冴島は芹を膝から降ろすと立ち上がる。 「…じゃあ、お勉強の邪魔をしないよう僕は帰ります」 「そうですか…」 帰り際、芹は冴島をじっと見つめて背伸びをした。冴島はそんな芹のおでこに、そっと唇をつけた。 バタン 閉じた玄関の扉をしばらく見つめたあと、芹は再び机へと向かった。 しかし、集中できない。 怒りは消えたが胸の中で今度は不安が渦巻く。こんなではとても手につかない。 芹はスマホを手に取ると、ある番号を押す。 「…パパ、ちょっといい?」 『どうしたの!?芹ちゃんから電話なんて珍しい!』 「やっぱり私もアモルアのパーティー行く。…でも、薫さんたちには言わないで欲しいの。恥ずかしいから」 『そうか…!わかったよ手配する! じゃ、愛してるよー』 「ありがとうパパ」 芹はプツリと電話を切ると、ようやく机に向かった。
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