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第3話 美香
「あ~重かった、ただいま」
清香は何も見ていないフリをする。
「おお、今、帰ったのか」
光一のわざとらしい言葉が、宙に浮かぶ。
光一は、少しモグラとかラクダに似ているが、いたって普通の見た目。
「あれ?美香、まだいたの?」
目の前で見たことを、なかったことにしてしまいたかった。
「え~、でも、美香、夕飯を食べていってもいいでしょ」
その目は、夕飯を作る姉ではなくて、隣の光一を見て甘えた声を出し、まるでおねだりをしているように見える。
清香は、若くて髪をショートカットにしている女は、自分に自信があるのだと思っている。
目の前にいる美香のように。
世話焼きおばさんに、言われるまでは気が付かなかったが、美香の光一に対する態度は、こんなにもあからさまだったのか。
「2人分しか買ってきてないわよ。夕飯を食べるなら前もって言うようにして、今日は帰りなさい」
これでも清香は、ヒステリーにならないように話しているつもりだ。
「どうして、美香に意地悪ばかり言うの。お姉ちゃんとご飯が食べたいだけなのに」
美香はいとも簡単に、清香を悪者に仕立て上げる。
5歳年下の妹は、昔からそうだ。
、お土産で清香が子供用のバッグ、美香が人形をもらうと、そっちの方がいいと言って、両親の前で泣いて見せる。
私が嫌がると、決まり文句のように、お姉さんなんだから我慢しなさいと言われる。
「おい、可愛い妹なんだから、いじめるなよ。俺のを半分やればいいだろ」
この台詞も何度聞いたか分からない。
結局は食事を作っている間に、出ている物からどんどん2人で食べていって、清香はレトルトのご飯やカップ麺を食べるハメになる。
「はい、はい。じゃあ、美香、食事の準備をするから、手伝ってちょうだい」
ソファに2人で座らせておくのが嫌で、美香を呼び寄せる。
「食事くらいお姉ちゃん1人で作れるでしょ。美香はお客さんだよ」
この女、妹じゃなきゃひっぱたいてやりたい。
「まあ、まあ。おい、今日のメニューは?」
夫が喧嘩を止める仲裁役のように、いつもは気にもしないメニューを聞いてくる。
清香はキッチンに移動しながら答える。
「レバニラ炒めと天津飯に、中華スープよ」
ネットで調べたメニューに挑戦するつもりだ。
「レバニラ炒めとかって、精力付きそうだね。でもお義兄さんの精力ごと全部、お姉ちゃんに奪われそうで、美香なんか怖いな」
「美香は、まだ子供だから恐いんだな。大人になったら、楽しくて止められなくなっちゃうぞ」
今までは気が付かなかったが、ソファの背で見えないところで、旦那と妹が手をつないでいるのだろうか?
「きゃーあははは。やめて、くすぐったい。お義兄さんのスケベ」
死ね。クズ。豚やろう。売女┅┅。
清香の頭の中で、知りうる限りの侮蔑の言葉が、羅列されていく。
この2人は妻の前で、実の姉の前で、どうしていちゃついていられるのだろう?
私がおかしいのだろうか?
料理を作りながら、まるで悪夢の中にいるようだ。
「レバニラ炒め出来たから、テーブルに運んで」
料理をシステムキッチンのカウンターに置きながら、美香に声をかける。
「きゃはははは。無理、無理、今、手を離せないから、お姉ちゃんが自分でやって。やだ、お義兄さんってば」
「料理を作ってやってるんだから、遊んでないで運びなさいよ」
我慢していた口が、ヒステリーな声を上げてしまう。
「おー、こわ。お義兄さん、よくこんな人と一緒に暮らせるね。私なら、穏やかに暮らしたいな」
「まあな」
「仕方ないから、手伝ってくるね」
美香が立ち上がった、その時、光一の手が美香の手を追いかけて、美香の手が、名残惜しそうに光一の指先に触れている。
清香はその瞬間を目にして、思わず包丁を握りしめた。
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