『山』

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『山』

 しかしこの短期間で、二度も襲われるとはな。  上の人間がスキャンダルを嫌い、を襲った男に金を積み、名探偵が影で警察の内部情報を悪用して事件関係者を脅迫していたという事実だけは証言しないよう裏で手を回していた。彼が名探偵を襲った動機は、あくまで自らの罪を暴かれたことへの逆恨みとして、処理される。  今回あの探偵が襲われたのは、探偵自身のアパート内。今度はナイフで後ろの脇腹を刺され、現在病院で治療中だ。  探偵が倒れていた場所はワンルームのリビング。大きめの窓の方へ頭を向け、うつ伏せの状態で倒れていた。その右手人差し指には血がついていて、そのすぐ先の窓には、血の文字で『山』と書かれていた。  若い相棒が、その『山』の字に目をやる。 「これって単純に考えて、あの探偵を襲った犯人の名前ってことでいいんですかね」 「断定はできないが、おそらくな」  警察のその後の調べで、アパートの窓のガラスに残されていた『山』という血文字の血液が、探偵本人のものであると確認された。  あの探偵が襲われた間際に、自らの血液でそんな無意味なことをするとは思えない。  そうした推理のもと集められた、あの探偵の関係者で犯行時刻にアリバイがなく、かつ名前に『山』の字が付く関係者たち。  山田、井山、山川、葉山、烏山。そのうちのひとりが、自分が探偵を刺したと自供を始めた。あの血文字が、関係者のなかの『山』の字の付く誰かに罪をきせるための偽装工作の可能性も考えるべきかと頭を巡らせていたベテラン刑事も、とりあえず安堵した。 「やはり犯人は、カラスヤマだったか」  若い相棒がきょとんとする。 「カラスヤマ? そんな名前の関係者なんていましたっけ。同じ鳥類つながりで、トリヤマならいましたけど」  上司は呆れたように相棒を見返した。 「バカ。漢字をよくよく見てみろ」  携帯のメール機能を立ち上げ、ふたつの漢字を打ち込んで表示させ、その画面を相棒へと見せた。 鳥山 烏山 「前の字がトリヤマで、あとの字がカラスヤマだ」 「本当だ。微妙に違いますね。でもそれで、どうして犯人がカラスヤマだと考えられるんですか」  別に焦らす気もなかったので、素直に教えてやる。 「あの探偵が山の字を書いていた場所はどこだ」 「どこって……窓でしょう」 「じゃあその窓は、なんのでできてる」 「なにって……ですよね」  途端に、相棒の表情がハッとなる。どうやら気づいたようだ。あの探偵が残したダイイングメッセージにしては、だいぶわかりやすかったから。 「ガラスに山。ガラスのガの字の濁点をとればカラスになる。それに窓に書かれていた山の文字を組み合わせれば、カラスヤマになる」  またも多少の無理矢理感があるのは、否めないが。これだけで、即犯人と決めつけるのは。  不意に携帯の着信音。あの探偵が治療している病院にいる部下のひとりからだった。 「あの探偵の容態はどうなった。また悪運強く、ケロッと意識を取り戻したか」  だが部下は声を沈ませつつ、 『医者が、打つ手なしだと言ってました。今夜が、だと』  そうか、と言い、電話を切る。横でこちらの反応をうかがう相棒に、電話と同じ報告をした。 「血文字の、だけに、ですか」  不謹慎にも苦笑いを浮かべる相棒を人睨みして、たしなめた。
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