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左から右にその波形を見渡してみる。最初はなだらかに続いた山の稜線が、途中から山あり谷ありの起伏に富んだ光景となる。その後凪のような平原が続き、最後にもう一山大きく盛り上がった後、また凪を取り戻し少しずつ収束を迎えゼロとなる。それはパソコン画面上に、とある一曲の音声データをグラフ化した波形に置き換えたものだった。イントロからアウトロまで、曲構成としても抑揚のある素敵な名曲だ。
ものの三分しかないが、まるで人生の縮図のように思えてしまう。
人が生まれてから死ぬまでの紆余曲折が一曲に凝縮されている。もし仮に今、"最後の一山"の手前にある”凪平原”にいるとすれば、そこは中年の領域になるだろう。この"もう一山"にいったいどのような人生が待っているのか……。この曲のように最後のサビとして華やかに盛り上がるならば、きっとそれはバラ色の人生を示唆していよう。いずれにしてもこの”凪平原”においては、穏やかで優しい間奏が当面の間続くことになる。
一方で過去に目を向けてみる。随分と無駄に苦労してきたんだろうな、そう思える程起伏に富んだ波形をしている。拡大してみると小刻みな波を複雑に携えながら、大きなうねりとなり上下を繰り返している。その稜線を改めて眺めてみると、案外美しく見えるから幾分報われるような心地にもなる。ただもし過去をやり直せるとしても、この山をもう一度縦走する気にはなれない。切り立った尾根から尾根へ歩む間に途中で滑落して、もっと短命に終わってしまう可能性だってあるだろう。
更に遡ってなだらかな山の稜線、"イントロ"にまで思いを馳せてみると、記憶がもうほとんど消えてしまっていることを思い知る。でも冷静に考えるとそれもそのはずだった。元々この世に生を受けてはいなかったのだから。ゼロ地点以前は全く無音、記憶もくそも無い。
これから迎えうる"もう一山"がどのように色づこうが、最後にはしばしの凪と共に終わりを迎え、記憶の全てが消え去ってしまう。その後にはただ、無音が続くだけだ……生まれる前と同じように。
ひとつの名曲が人を夢の世界に誘うようなひとときは、この世のあらゆる俗物とは一線を画す。いっそこの人生もそんなひとときの夢のようなものであればいいのに……そう思うといい感じに力が抜けて、人生捨てたものではないなと思えるから、名曲と人生は切っても切れない赤い糸で結ばれているに違いない。
でも、"氷山の一角"という言葉があるように、この山々の地下深くには得体の知れない土壌があって、曲の最初から終わりを含め、イントロ以前あるいはアウトロ以後に渡って、波形には表れない境地が潜んでいるのかもしれない。その世界で蠢く重低音に支えられて今があるとするならば、可能性は無限にあるのではないか。もしかしたら曲のアウトロが終わった後に、魂のマグマが噴火してムクリと山の先端が顔を出す可能性だってゼロではないのかもしれない。
一昔前のCDにあったボーナストラックのように、死後しばらく経ってから流れ出す狂騒曲。
それはきっと、いまだかつて見たことのないような山の稜線を伴っているはずだ。
【完】
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