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手土産を持って行く仲ではないのだろうが、心的距離を視覚化するためにと買った菓子折りを手に、来るたびにもう二度と乗らないと宣言する、一時間に一本あればいい方のオンボロバスに乗り込む。ブルルン、ガタタンと、それは揺れた。壊れかけのバスは、菜津をそっと記憶の旅へ導く。見覚えのない新しい建物すら、どこか懐かしく映る。
ただいま、と入っていけばいいのだろうが、菜津はそうしなかった。菓子折りを見つめ、深呼吸をし、指をボタンへ近づける。指先がプルプルと震えていることに気づく。ふ、と笑う。壊れかけの心が、帰りたいと言っていた。一時間、バス停で突っ立っている方がマシだと言っていた。
インターホンを未だ押してはいないというのに、玄関の扉が開いた。ひょこり、と顔を出したのは、見覚えのない女だった。その女が聡美であると菜津が気づくまで、数秒かかった。
「おかえり」
「あ、ああ。こんにちは。これ、ささやかですが」
「いいのに。そんなもの。さぁ、入りなさい」
「ああ、はい。お邪魔します」
やはり、来なければよかった。と、菜津は心の底から後悔した。
聡美は、変わっていた。しかし、その変化は菜津が描いたものとは異なっていた。ただ、歳をとっただけだ。老化というものは時に人を醜くするのやら、老化によって醜い姿を化けの皮でうまく隠せなくなっただけなのやら。菜津の嫌いを煮詰めたような姿をした現在の聡美と同じ空間にいるだけで、菜津は息苦しさを覚えた。
「親が納得していない、親に祝われない結婚なんて、上手くいくのかしらね」
話は結論から述べた方がいいこともあるが、本題から、というのはよほど急いでいる場合を除いては、プレッシャーを与えるばかりだ。菜津はピリ、と背筋に痛みが走ったのを感じながら、言葉を探した。
けれど、言葉はぐるぐると脳内を回遊するばかりで、口から吐き出すことができない。
長い時を経ても、聡美は変わっていなかった。
同じように、菜津もやはり変わっていなかった。
菜津は焦り、混乱しながらも、自分だけが不変なのではないということに安堵していた。そして、安堵する自分に恐怖してもいた。
彼女が今どうであるか。そんなことはどうでもいい。けれど、自分は変わっていたかった。変われなかったことが、変わらなかったことを良しとしてしまう自分が存在することが、悔しかった。
「何か言いなさいよ」
菜津は、一回だけ、今回だけ、あるか分からない勇気を振り絞ってみようと思った。
変わる、と、心を決めた。
「もう、関係ないでしょ」
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