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1 忌まわしい銀色
焼け野原に小さな手が生えていた。
黒みがかった風に吹かれ、ゆらゆらと手招いている。幼いベルガはススまみれの目元をこすった。トッド、メレッタ、ハンナ、ロミリー、カミュ。かろうじて燃え残った“家族”に違いない。
焼けただれて今にも朽ち果てそうなそれを両手で包めば、じゅわり、と視界が溶けた。
力なく垂れ下がったあたたかな指は、本当はつぼみだった。
爪が剥がれていくように花びらが一枚、また一枚と反り返り、見事なラッパとなる。ベルガの手の中で燃え上がるように咲いた。
――「これはフレイム・リリー。焼け野原にしか咲かない花」
タンサス先生も大好きな植物図鑑も灰になった。
――「フレイム・リリーは地中深くで待っている。何年も何年も待っている。地上が焼き尽くされるときをずっとずっと」
この花はベルガや他の孤児たちの笑顔と平穏の下で不幸の到来を待っていた。
許せない。
花と茎を一思いに引きちぎる。ぶつん。青臭い香りに心が踊ったのはほんの数秒。
「――めんどくせぇな」
誰かの声に弾かれたベルガは、転がるようにがれきの山に飛び込んだ。
「念入りに焼いたのに『信用ならない』ってどういうことなんだ」
「あの炎で女やガキが逃げられるわけない」
銀色の鎧を着た騎士が二人、灰を足先で掘り返し、がれきに剣を突き刺したりして笑っている。
彼らの振動を感じながらベルガは震えていた。煙を吸い、炎を吸った喉がいまもちりちりと燃え続けている。
みんなを、タンサス先生を、返せ――。
今にも立ち上がらんばかりのベルガを引きとめたのは、赤い花。花はベルガの手のなかで力強く言った。
――今は待て。“その時”は必ず来る。
◆
歌姫に捧げる花は、枯れて色あせたものに限る。それが酒場・クイーンティッピーの掟だ。
花の死骸を自らの胸へ誘うようにベルガは歌う。叶わぬ恋に身を焦がし、とめどなくあふれる涙の歌を。くだらねぇと思いながら。
「……ふぇ」
ピアノの演奏が夜に溶け込めば、今宵の獲物を決める時間。身をひるがえしたベルガが静かに微笑めば、男たちは恍惚の溜息をもらし、誰も彼もがステージに乗り上がらんばかりに腕を伸ばす。我こそはとそれぞれの花を突き出すのだ。
「……ふぇ、ふぇっぐ……」
今宵の一花はハナから決まっている。この国の三本の指に入る豪商・サーバル家の息子。胸元で輝く金薔薇のブローチがその証。ベルガは鼻で笑った。肩書きこそ立派だが崩れかけのゴーレムみたいな男だったのだ。
土塊のような手に握られたドライフラワーにベルガの白い指先が触れる。スリットからのぞく肉付きのいい太腿を前に、彼はぶるるっと身震いした。しかし、夢のような逢瀬はほんの一瞬。見開かれた彼の目がなにやら気まずそうにスライドする。
「ふぇえ、ええ……!」
その場違いな音を鳴らしているのは、銀色の髪をした青年だった。
「ふぇ、うぐっ……」
ひときわ背が高い青年は泣きに泣いていた。恋に破れた乙女のごとく顔面を覆っている。指の間からビタビタと雨漏りし、まくりあげた袖口までぐしょぐしょにぬらしている。
「大丈夫ですか、お兄さん」
「はひっ……すぴっ、ずみばせん……涙とまんなぐっで」
「分かるよ。ベルガちゃんバラードは絶品だもんなあ」
気のいい周りの客たちは青年に同意したり、お水をすすめたり、薄っぺらの背中をさすってやったりしている。見るに見かねたゴーレムも懐からハンカチをさしだした。
「本当にすみま……はっ、はっぷしゅーーん!!!」
青年は善意を受け取るなり、ゴーレムの顔面めがけてクシャミ一発。
「わああ! 本当にすみませ……あれ、ぎゃああああ!!」
粘り気のあるスプラッシュを浴びた御曹司さまは、面子も気品もぐしょぐしょ。青年は顔面蒼白の平謝りで頭を下げたが、第三の液体がぼたぼたと降り始める。
鼻血だ。しかも両穴から。
湿っぽかった客席は一変して爆笑の渦に包まれる。
「出すもん出しまくって最高だな兄ちゃん!」
「泣きながらハッスルしちゃうとは若いねぇ!」
ベルガだけがステージに取り残されていた。首が折れた花同然。もはや見向きもされない。
鼻血を前に、美貌は無力だ。
◆
楽屋に戻ったベルガはしかめっ面で果実を噛んだ。赤ん坊の頭をカチ割ったような赤い実に犬歯を立てる姿はまさに人食い。おまけに大股開き。ステージ上では白柔肌をチラつかせる深いスリットも、楽屋裏では脚の可動域を広げるに過ぎない。
出番の準備にいそしむ踊り子たちは、ワイルドベルガを見ては「きゃあ怖い」とケタケタ笑っている。
「ベルガったら“銀のぼうや”にまた邪魔されたって本当?」
「ええそうよ。だから何?」
「大号泣で鼻血なんてかわいいよね〜」
「冗談じゃない。最前列のど真ん中で毎日ふぇふぇ泣かれて。金づるをいくつ逃したと思ってんの」
「クイーンのお気に入りなんだからしょうがないじゃん。あの人の銀細工、本当に素敵だし」
「よく見た? 顔もカッコイイ。眼鏡の奥の瞳がキリッとしてて頭良さそう」
「お酒すすめても恥ずかしそうに逃げちゃうからたまんない。あーん、追いかけたくなっちゃう!」
「あほらし」
ベルガは果実の種を噛んだ。軟骨のような粒をゴリゴリとすりつぶす。花盛りの踊り子はこれだから嫌だ。放っておくとすぐ色気づく。
「あんなのアンタたちにあげるわ。見るからに貧乏な男は興味ないから」
「ベルガったらお金ばっかりなんだからー」
「はいはい。耳が腐る」
歌うのは金のため。舞台に上がるのは金持ちの男を見つけるためだ。
まだ今夜の獲物を諦めたわけではない。
数ある貢ぎ物の中から、ざっくりと背中のあいたドレスに着替えた。真っ赤なスパンコールがぬらぬらと鱗のように光る。
「よっ、返り血を浴びまくった人魚姫!」
少女が頬に筆を走らせながら笑っている。最年少の踊り子・エリーヤだ。
「アンタはそろそろ甘ったるいおとぎ話から卒業しなさい」
「イヤだもーん。運命の王子様に出逢っていないのにダンスパーティーへは行けないもん」
「毎晩踊り狂ってるくせに」
ベルガは溜息をつきながら彼女の背後に立った。三つ編みポニーテールの髪が踊る前からほどけている。「ありがとう」と笑ったエリーヤはパステルグリーンの瞳をふと細めた。
「ところでベルガ、昨日のお客……ジタンさんのこと聞いた?」
「ああ、酒乱のクソジジイね」
「酒樽に頭突っ込んで溺死してたんだって……シワシワでカラッカラのミイラ状態で今朝見つかったの」
「ふーん。クズにお似合いの最期」
「……うん」
エリーヤは左の頬を筆でなぞった。化粧でかろうじて隠れているが目の下には赤黒いアザが浮かんでいる。昨夜、その客に腕をねじられた挙げ句に殴られたのだ。
「さぁ。ショーの時間よ、お姫様」
つるバラのような髪をきゅっと結び、ベルガはエリーヤの肩とも腕ともいえないところをパンと叩いた。エリーヤには左腕がない。先天的に溶けている。昼間の世界ではハンディの欠損も、夜の巷では金脈。
お姫様は「いってきます!」とミニスカートがめくれんばかりに走り出したが、なにを思ったのかすぐに戻った。
「ベルガが殺したんじゃないよね!?」
「さあ? どうかしら」
不適に微笑む歌姫の胸元で、深紅の花が燃え続けている。
◆ ◆ ◆
「ベルガさんの美しさは人を殺せます」
鼻水をすっかり拭き取ったゴーレムは、機嫌が良さそうに黄金色の酒を口にする。泳ぎだした人魚姫は見事、お金持ちの王子様ともう一度めぐりあうことに成功。彼のグラスに酒をつぎ足し、金薔薇のブローチを舐めるように見ては微笑む。
「そんなことありませんわ」
「いつ国宝に選ばれてもおかしくはない」
「お世辞がお上手ね」
「本心ですとも。ベルガさんを放っておくなんて国王は見る目がない。ワタクシの力があれば今すぐにでも――」
彼の浅黒く太い腕がベルガの肩に回りかけたが、ボトルを置くふりをしてよけた。彼は彫りの深い眉をしかめて面白くなさそうに――心底面白そうに――鼻息を熱く荒くさせる。
ベルガは彼の泥水色の瞳をのぞきこみ、物言いたげな唇をそっと撫でた。
「私を愛した者はみんな不幸になるの。その覚悟はある?」
指の先で、熱い呼吸がとろけ、欲望が奮い立つ。
「――僕はいいんです! 本当にッお水だけで!」
ベルガは思わず舌打ちしかけた。今夜のクライマックスだというのに外野が邪魔だ。
「そんなこと言わないで飲んじゃいなさいよ酔っちゃいなさいよ」
「恥ずかしがってないで、アタシたちともっと楽しいことしましょ」
踊り子たちのドタバタ走る音と共に「うひぃ!」と悲鳴が聞こえた。ベルガがその方を睨んだ瞬間、巨大な手で顔面をひっぱたかれ――いや、大量の氷水をぶっかけられたと気付いたのは、眉に貼り付く髪の先からびたびたとしたたる滴が見えたから。
「うわああ! ごめんなさいっ!」
空っぽの水差しを小脇に抱え、土下座してきたのは見覚えのある銀髪。忌まわしき銀色。
足の間に落ちた氷の粒を弾き飛ばしたベルガは、彼の顔面をかじらんばかりに掴みかかる。
「またお前かーーー!」
◆
(クソ泣き鼻血男、明日も来たら食い殺すッ)
夜明けにはまだ遠い闇夜の中、ひとり歩く。あのあと、びしょ濡れベルガが着替えとメイクを直している間にゴーレムは帰ってしまった。
逃した魚ならぬ岩があまりにも大きく、石畳を打つヒールの音まで派手になる。
大火災から150年かけて復興したフェイ国は、石で構築されている。海から吹く風は灰色の壁で研磨され、人肌を容赦なく突き刺す。
肩からずり落ちそうな毛皮を引き寄せた時、ふと気づいた。いつもであれば建物に反響し、耳がびりびりとしびれるようなリズムを作り出す足音が妙に鈍い。
「よくもアニキを殺ってくれたな赤髪の魔女めッ!」
振り返ったときには男に四方を囲まれていた。中心に立っているのは背の低い丸顔の男──店の常連客だ。見るからにひ弱そうな彼の両脇には、屈強な男や棍棒や剣を携えている者がひかえている。
ベルガは実にゆったりとした笑みを浮かべた。牽制ではない。本当に愉快だったのだ。
「お仲間を集めてご挨拶ありがとう。でも残念ね。身に覚えがないわ」
「しらばっくれるな、ジタンのアニキは昨日お前と寝たはずだ! たった一晩で立派なミイラに……そんなこと魔女以外にはできないッ!」
「なに言ってるの。アンタは先週、私と寝たじゃない。さんざん踏んでサービスしてあげたのにもう忘れた?」
武器を携えた男たちは顔を見合わせた。気まずそうな笑みを浮かべている。
「どうしてアンタはあんなに尻叩かれて尿道ほじられて生きているの?」
「ブッ殺してやる!」男は顔を真っ赤にさせて地団駄を踏んだ。
「ベッドのなかではわんわん泣いてヨがってたのに威勢がいいのね」
「吊るし上げて鳥のエサだ!」
「楽しそうね。高いところって好きよ」
はいていたヒールを男の顔面めがけ投げつけ、脇腹からナイフを抜く。迫りくる者を容赦なく切りつけ、腹を蹴られては、蹴り返し、口内に血の味を覚えながら笑った。たまにはぶたれるのも悪くはない。その痛みをもとに相手がもっと苦しむ技を習得できる。しかし、
「──何をしている!」
降り注ぐ月の光を一身に受け、銀色の鎧に身を包んだ騎士が剣を抜いた。
男達は口々に怒鳴り声を上げ、騎士に立ち向かった──だが、騎士は子どもと稽古するかのようにほんの一振り、二振りで男達をいなしていく。
救われた──違う。ベルガだって騎士に救われるような高い身分ではない。銀色は嫌いだ。正義にかこつけて恩を着せられ、何を要求されるか分からない。逃げなくては──腹に力が入らない。石の壁に手をついて一歩踏み出したそばからよろめき──肩を抱きとめられた。
「大丈夫ですか、ベルガさん」
銀の兜を脱いだ彼の髪は、忌まわしい銀色そのものだった。
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