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「アイツさえいなければ! こんなことにはならなかったのに! くそっくそったれ、死ねっ邪魔だ、死ねっ!」
つばを吐くような怒号と共に振り下ろされる杖の先にいるのは、寝台で眠る若い男だった。淡いブルーの髪には見覚えがある。うめきながら自らの首を絞め、キワタがそれを応援していた者──。
すでに命の無い肉体をハクレンはさらに痛めつけ、血肉をえぐっている。
彼の胸に杖を突き刺し、その一点に全体重をかけるように乗り上げるとハクレンは「ふふふっ」と、か細く笑った。陰鬱な瞳がその瞬間だけは新しい血が通ったようにいきいきと輝いていた。だが、歓喜の時間ほどあっけなく過ぎるもの。頬を歪めて「ぐっ」とうめき、激しくむせかえった。まるで己の胸に風穴があけられたかのように咳き込んだ。挙げ句、傷だらけの赤黒い男の上に大量の血を吐き散らす。目がくらむような鮮血だった。
「……ああ、くそっ、……いやだ……ああいやだ……」
コートのすそで口元をぬぐった彼は、肩で息をし、喉をぜろぜろ鳴らし続けている。さきほどの歓喜が嘘のように顔面は蒼白。しんどそうに背を丸め、足を引きずって振り返ったとき、音もなく立ち尽くすベルガの存在に気づいたらしい。幽霊を見たと言わんばかりに身を強張らせた。
ベルガは優雅な笑顔でそれを迎えた。
「ずいぶんと悪趣味な遊びをしてるわね」
「さすが淫魔だな。のぞきが特技とは」
「そんな悪態をつけるなら重病ではなさそうね。だいぶ苦しそうだけど」
「フン」
喉に血が絡むのか、彼は湿った咳を繰り返す。
「貴様、何者だ。なにが目的だ」
「あら分からない? 淫魔がすることなんて一つでしょ」
ベルガはクスッと笑い、肩をすくめる。目の前に広がる血の惨状で純白のドレスが汚れないよう、距離を置くのも忘れない。
「絵と花を愛する心やさしい王子様を食い殺すのが私の夢なのよ。……ねぇ、教えてくれる? カメリア王子って食べても食べても死んでくれないの。一体どうしてなのかしら?」
「さぁな。淫魔になんぞ教えられるか……っ」
ハクレンは辛そうに咳き込み、床に血の塊を吐き捨てた。
美しさを見せつけるように微笑むベルガをきつく睨みつけ、赤く染まった歯を食いしばっている。
「貴様の耳の先にいるのは──裏で糸を引いているのは、誰だ。ずいぶんと王宮に詳しいような口ぶりだったが……」
「さあ? 空耳じゃない? 死期が迫っている者はあの世からの幻聴を聞くってよくいうでしょ?」
「ほざくなっ!」
「口が悪いこと。やさしい王子様にも信頼されてないわけね」
「やさしい……? あの役立たずが?」
「仮にも国王候補なのに酷い言い草ね」
「あんなのが国王になるはずがない! 形式だけのお飾り坊っちゃんが!!」
悲鳴のような笑いのような声を血まじりに吐き散らし、ハクレンは続ける。
「お前には分からないだろうな! 役立たずの王子のために己の人生のすべてを捧げなければならないワタシの苦痛と苦悩を」
「分からないわね。私は私の欲望のままに生きているもの」
「汚らわしい……」
吐き捨てられる悪態は熱っぽいが、勢いが無い。口内にへばりつくような恨み節だ。
「あんな無価値の王子の世話を延々とさせられただけで、ワタシの人生は終わろうとしている。冗談じゃない。……第二だか第三だか知らないが、本来必要の無いスペアを用意するなんてこの王国はどうかしている」
スペアは必要ない。誰かさんも同じようなことを言っていたっけ――ベルガは思わず手のひらの裏で笑ってしまった。
王宮のやり方をよく思っていない者は多いのだろう。国王たった一人を選出するまでの犠牲が多すぎるのは事実だ。その歪んだ方法を逆手に取る人間があらわれてもおかしくはない。たとえば――。
「アンタはキワタ王子をいじめた挙げ句に殺して、カメリア王子に嫌われちゃったってわけね?」
ハクレンの口元が引き攣るように震えた。明らかな怯えの表情だ。
「そうやってワタシをおとしいれる気か淫魔」
「デタラメな推理なんだけど、もしかして正解しちゃった? カメリアが話してたのよ。キワタはハクレンに痛いことされてたってね。殺し合いを宿命づけられている双子なら、家臣が片割れを殺したって別に構わないものね」
「……ぬけぬけと。調子に乗るのも今のうちだぞ」
ハクレンは肩頬を歪めて笑うと、かたわらの寝台に視線を落とした。男の亡骸に刺さったままだった杖を引き抜く。
死んだ肉体から生乾きの血がねっとりと糸を引き、引っ張られるように男の上半身が起き上がった。命が無いはずのそれが、まるで風に舞い上がる木の葉のごとく動き出す。
死体の男が二本の足で地をとらえたときには、空いたはずの胸の傷やえぐり出された肉はすっかり再生していた。しかし、見開かれた目は虚ろ。首には鎖による絞殺の痕が赤黒く刻まれている。
「ワタシは死霊魔術をたしなんでいてね。汚らわしい虫を殺すぐらい容易いのだよ」
「たいそうなご趣味ね!」
走り出した死体はベルガめがけて突進してくる。振り子のように壁にぶつかり、骨が砕けることをいとわない勢いだ。
ベルガは身を翻して避けながら廊下へ飛び出した。
数々の男を相手にしてきたが、死霊と相対するのは初めてだ。まともに勝てるとは思えない。相手が生きていない以上、精気を吸うわけにもいかない。
『──ベルガさん!』
聞こえるリーフの声は無視した。ハクレンに彼の身の上を知られては困る。
ひたすら走り、カメリアのいる部屋へ飛び込んだ。
「──キワタちゃん、本当にありがとう! またぼくに会いに来てくれて」
新しいカメリアは、頬を赤く染めて出迎えてくれた。もはや何度目かも分からない始まりの挨拶。ベルガはじっと唇を噛み締め、彼を見つめた。
それでもカメリアはニコニコと両手を広げ、新しいキワタを歓迎している。
「どうしたの、キワタちゃん? どこか痛いの? またハクレンにいじめられた?」
「ねぇ、カメリア」
「どうしたの?」
「もしかして、あなたもハクレンに殺されたの?」
「違うよ」
澄んだ瞳のカメリアはプラチナの髪をふるふると揺らした。
「ぼくを殺したのは、ローナだよ」
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