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――――怖い噂ですかぁ。
目の前にいる背広姿の中年男が、おしぼりで汗を拭き、アイスコーヒーをゴクゴク飲んでいる。
令和に入ってから猛暑続きで、昼間に歩こうものなら、命の危機を感じてしまうほどだ。
恰幅のよい彼なら、なおさらこのジリジリと照りつける太陽に、体中の水分を奪い取られているだろう。
「ええ。本当になんでもいいんですよ。貴方が知っている怖い噂を聞かせて頂ければ、私がそれを記事にいたしますので。不思議な話でもOKです」
ICレコーダーを机に置くと、私はメモを取りながら笑顔で言った。繁華街から離れた場所にあるこのカフェは、チェーン店で駅が近く、そして店内が広い。
そこそこ混み合い、話に夢中になっている客の目を気にせずに、取材が出来る場所だ。
「それなら。うちの会社にまつわる怖い話をしましょう」
「心霊ですか?」
「ええ。斜め向かいのビルが私の勤める会社なんですが」
男はそう言って指さした。
あそこには、IT企業専門のビルが入っていたな。この辺りは、歓楽街ばかりが目立つが、ベンチャー企業の聖地と呼ばれているので、そういったビルが多い。
「例えばですねぇ、サーバールームに午後九時以降に一人で入ると、嫌な気配がするんです。なにかに気付いて顔を上げると、ユラユラと部屋を徘徊する黒い人影を見てしまう。それを目撃した人間は、全員恐怖で気を失うんだとか。それで黒い人影を見てしまった人間は、数日以内に急死する」
「死神とかですかね」
「いや、どうなんですかね。死を予言するドッペルゲンガーだとか、過労死した男の霊だって噂もあったり。それこそ、そこで同僚に殺された社員とか、ありえないような、いい加減な噂もあるので。まぁ、人が死んでるのは事実ですが……、病死なので」
数日以内に死ぬ、というのは結構インパクトがあるので使えそうだな。まぁ、病死だというなら、脳が見せた幻覚かもしれないが。
「それから……ビルの非常階段に、女の霊が身を乗り出しているという噂がありますね。肩ぐらいまでの長さのおかっぱで……。じゃない、今時はボブって言うんですかね。自殺する気なのかと慌てて近付くと、そのまま女は落ちていく。でも、下を覗いても遺体はおろか、誰もいない。勘違いかと思って離れるでしょ? だけど、振り返ったらそこに居て、今度はまるで洗濯物みたいに、手摺りに両手をダランとたらして、引っ掛かっているそうです」
「気味が悪いですね」
「ええ。それで格子の隙間からその女はこっちを見ていて、ニヤリと笑うそうです。パワハラが原因で、飛び降り自殺した女子社員がいたのは事実なので、その霊かもしれませんな」
よくありそうな怪談話だが、ビジュアルを想像するとかなり怖い。
この話は、映像化に向いてそうだから、テレビ局に勤める先輩に話してもいいな。
私はメモ帳に走り書きを足す。
「かなり怖いですね。その女の霊のビジュアルを想像すると、ゾッとします」
「ですよね?」
「他にはなにかありますか。会社の噂でなくともいいです」
汗が引いてきたのだろう、男はふぅと溜息をつくと、視線を彷徨わせた。
「そうですねぇ。近くに踏切があるでしょう? あそこ、よく飛び込みがあるんですよ。自殺っていうより、なにかに誘われるというかなぁ……」
「ああ、その噂は聞いた事があります。あの駅の近くの踏切の事ですよね? あの最寄り駅は比較的新しくできた駅なんだけど、曰くがあるんですよね。私もあそこに関しては調べていまして、連載した事もあるんですよ」
「なるほど」
私は、元々オカルトには全く興味がなかったので、担当になってから、一般向けのベタで浅いネタばかり書いていた。
しかしあの『自殺者の多い踏切』に関しては、オカルトマニアの読者から、手応えを感じている。
どうして大勢の人が飛び込むのか。
環境要因、心理など様々な角度から考察していくうちに、あの付近の土地に関する、曰くにたどり着いたのだ。
「それならば、もうご存知でしょうが駅が出来る時に、慰霊碑は別の場所に移動しています。昔からあそこは処刑場跡だったという噂ですね。あとは戦時中に遺体を焼いてたとか。深夜になると、青白い生首が幾つも浮かんだり、昼間はなにかを追い掛けるようにして飛び込むそうですよ。魅せられるんでしょうな」
私は、無言のままメモ帳にペンを走らせた。あの踏切に関して新しい情報や噂があるかもしれないな。
「だけど、霊の中にはあんまり詮索されたくない者も多いんです。普段なにげなく通り過ぎる分には、彼らも意識しない。だけど、噂が広まれば、生きている人間が面白半分に訪れるでしょ。処刑場は無実の罪で拷問され、首を跳ねられた者もいます。もちろんならず者が大半ですが、たちが悪い。ですから彼らは噂されるだけでも、嫌がるんです」
「…………」
冗談じゃない。
この記事は深掘りすればするほど、読者は喜ぶ。私は夜中に出向いて、なにか霊現象を撮れないものかと、なんども試した事もあるんだ。
ここまで体験談や噂が多いんだから、自殺者の霊でも映像に収めてやりたい。
「貴方は真面目な分だけ、真実を追い求めてしまうんでしょう。だからあの場所に魅了されてしまったんですね。貴方もそろそろ、このお仕事から手を引いた方がよいですよ。もう手遅れかもしれないが……思い出せませんか」
私は、はっと顔を上げ男を見た。
❖❖❖
目の前にいた青年は、なにかを思い出したように顔を上げて私を見ると、みるみるうちに薄くなり、消えてしまった。
「これで、よかったのかなぁ」
正解は分からない。
自分は霊能者じゃないのだから、当然だ。
ただ、踏切でなにげなく彼と目があってしまって、カフェまでついて来られた。
比較的、最近亡くなったと思われる彼は、心霊の噂について調べているライターなのか、低姿勢で取材を申し込まれた。
まだ時間はあるし、幽霊ライターの依頼は、断れそうにもなかったしな。
その無惨な様子からして、紛れもなく彼は、轢死した者だったので、恐らくあの踏切に取り込まれてしまい、命を奪われたんだろう。
あの世で『心霊の噂』が記事になる事を祈って、私は席を立った。
噂を知っていますか/完
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