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再び目覚めたとき、若者の瞳は涙に濡れていました。
儚い夢が、不思議な出会いの意味と前世のことを教えてくれました。
若者は、夕暮れの山を駆け下り、あの屋敷へ向かってそのまま走り続けました。
小鳥だった若者は、与えられた自由を喜び空へ飛び立ちました。
その後のことは、何一つ覚えていませんでした。
自分や娘がどうなったのかも――。
あれがいったい、いつのできごとであったのかも――。
でも、何があろうと自分は、今夜あの屋敷へ行かねばならないのだと思いました。
息を切らせてたどり着いた屋敷の木戸は、若者を待っていたかのようにわずかに開いていましたが、侍女の姿はありませんでした。
そのとき、若者は気づきました。
年老いた侍女が着ていた鈍い光を放つ土色の着物は、夢に出てきた高殿の下の池で、楽の音にうっとりと身を揺らせていた鯉の鱗にそっくりな模様であったことに――。
時を経て、小鳥は若者に、池の鯉は侍女に生まれ変わったのでした。
ならば、あの美しい娘は、いったい何に――。
若者の胸を一抹の不安がよぎりました。
しかし、そのとき琴が激しく鳴り響き、ためらう若者の心を動かしました。
これまでの九十九夜、二人の心は寄り添って一つの楽を奏でてきました。
この先も、琴と笛を奏でるたびに、二人は幽婉な世界に身を置くことができるでしょう。
娘が何に生まれ変わっていようと、今度こそ若者はずっと彼女と共にいようと思いました。なにものにも縛られず、思いのままに奏で自由に生きていこうと心に決めました。
なぜなら、それ以上の幸福はこの世にないはずでしたから――。
若者は、鳥寄せ笛を手に取ると心を込めて一吹きしました。
そして、ますます高まる琴の音に導かれるように、屋敷の庭へと入っていったのでした――。
―― おわり ――
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