百夜通いのその先は

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 そんなある日のことでした。  鳥刺し(山で捕まえた小鳥を売る商売)を生業(なりわい)とする若者が、都での商いを終え、山の麓にある家へ帰ろうと屋敷の前を通りかかりました。  塀に沿って歩くうちに、竹林を抜ける涼やかな風の音に、琴の音が混じっていることに若者は気づきました。  屋敷から聞こえる切なく典雅な琴の音は、たちまち若者の心を捉えてしまいました。  はじめは、塀の際でただ耳をそばだてているだけでしたが、しばらくするとなぜか、自分がこの素晴らしい調べを聞いていることを、琴の奏者に知らせたくてたまらなくなりました。  若者は、首から提げた鳥寄せ笛を唇に当て、琴の音に応えるように吹いてみました。  この笛は、いくつもの音色を出せる凝った作りのものでした。  優しく澄んだ笛の音は、琴の音に寄り添い辺りに広がっていきました。  そうして、満月に見守られながら、二つの楽器の巧みな掛け合いがしばらくの間続きました。  そっと屋敷の木戸が開き、侍女が姿を現したことにも若者は気づきませんでした。それほど一心に吹いていたのでした。  だから、一息ついたところで、侍女から「もし」と声をかけられたときには、たいそう驚いて思わず悲鳴を上げてしまいました。  そんな若者の様子をおかしそうに見つめていた侍女は、低い声で若者に言いました。 「姫さまが、あなたをお呼びです。できれば、もっと近くで笛の音を聞いてみたいと仰せです。ただでとは申しません。それなりの礼金もお渡ししますので、屋敷に寄ってはくれませんか?」  若者は、すぐには返事ができませんでした。  この辺りは人家も少なく、昔から狐狸に化かされた者の話をよく耳にする場所でした。  つい興に乗って笛を吹いてしまったことを、少しだけ若者は後悔していました。  しかし、そのとき、再び琴の音が響いてきました。  その音色は、これまでよりもずっと悲しげで、若者には「行かないで」と訴えているように聞こえました。 「承知いたしました。風情もないただの鳥寄せ笛ですが、お望みとあれば、姫さまのために心を込めて吹かせていただきます。礼金などは望んでおりません」  若者は、心を決めて木戸を抜け、屋敷の庭へと足を踏み入れました。
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