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箒と煙草
どうやらこのところ、魔法使いは極めて現代に馴染んでいるらしい。もちろん、海の見える街で宅急便なんてすれば、たちまち新聞記事にて存在を拡散されてしまうだろう。
東告新聞社のデスクは、半月ぶりの汚職事件に大盛況だ。それぞれの記者が持ち寄る情報とでたらめの数々に、編集局は頭を抱える。時刻はすでに明日の朝刊の締切に迫っている。これだけの規模の事件は、夕刊にさえ間に合う気がしない。政治部は少し大きなニュースが入るといつもこうだ。明らかに人手不足なオフィスにおいて、大手と同じ一面を飾ろうというのは無理がある。
東告は東京に一つの本社のみを置く中小規模の新聞社だ。取り扱う内容は他の企業と大して変わらないが、そのロジカルな文体と斜に構えたような視点がウケて、若者からの支持率が他社より高いのがウリだ。
荒ぶる政治局をよそ目に、篠原は帰り支度を済ませていた。もう終電がなくなってしまう。明日出社しても、この人たちはきっとまだ作業しているだろう。などと空想しながら、彼はゆっくりと席を立った。
やっぱりタバコ吸ってからにするか。思い直すなりすぐに踵を返し、彼は喫煙所のないビルの屋上へ続くエレベーターへ向かった。
社会人9年目の篠原は、今年30歳になった。去年まではテレビ局の記者をしており、特に政治経済の事件を任されることが多く、若きエース記者としてその実力を発揮していた。テレビとしてほしい情報を引き出し、辛抱強くマイクを向ける。そのスタイルは局内では大きく評価されていた。あの事件のあるまでは。
中途採用で東告に入社すると、彼は政治局でも経済局でもなく、『怪異局』に配属された。何だそれ、と思うかもしれないが、怪異局とは東告新聞の最終ページに毎号載せられる『東告怪異情報』専門の記者たちのことだ。オカルト層に絶大な人気を誇り、ページの埋め合わせで生まれたコーナーが辞めるにやめられなくなってしまった形だ。しかし、その怪異局の社内での立場は、政治経済芸能スポーツ、番組表に明日の天気とどの分野よりも低い。なにせインターネットで仕入れた嘘の情報をただ垂れ流すだけの仕事内容だ。東告も惰性で続けている。
「篠原さん」
すでにカバンのタバコをまさぐっているところに、真後ろから話しかけられた。
「ああ……なんでしょう」
振り返ると政治局の女性記者である。名前は、覚えていない。
「こんな時間まで何してたんですか? 怪異局の仕事なら定時に終わるでしょう」
そんなことを言われても今更だ。篠原は入社して以来、政治のビッグニュースがあるときはいつも終電で帰っている。特に嘘を付く必要もないので、彼は正直に答えた。
「政治局のネタが気になって。特ダネが入ったんですよね」
「そうなんですよ。これがまた長い戦いになってましてね……」
女性は今回の汚職事件の話になるなりゆうゆう語りだした。誰だって自分の捕らえた情報は自慢したいものである。
彼女の話を聞けばなおさら、篠原は記者という仕事に未練を感じた。誰よりもオフィスを走り回り、必死に失言を狙っていたあの頃に戻りたかった。そんな感情を悟られて同情されるとかえって情けないので、あまり表には出さないようにしている。
自慢話は長引いた。このようなことは慣れっこだが、終電が懸かっているのだ。
「すみません、ちょっともう電車が」
そう切り出すと女性はハッとしたように話を止め、軽く会釈してデスクへと戻っていった。事件の日の政治局に終電などないことは、篠原が一番知っている。
時計を確認すると、時間は想像よりも深くなってしまっていた。走れば間に合うだろうか。エレベーターホールに到着する。と、誤って上方向のボタンを押してしまった。先程まで屋上へ行こうとしていたのだ、仕方がない。ここらで終電は諦めて、タバコを吸いに行こう。軽く決心した。
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