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奇跡
本当は中学に上る前から患わっていた病。急に悪化して、日常から、学校から離れることになって。
都会の病院の名前。病名。症状。もう少しだけ、長く生きられたはずだった。そんな、僕が知らないはずの話を聞いた。
夢。白昼夢。そうじゃなかったら。
「やっぱり……僕を、恨んでる?」
安易なことを口にしたから。こんな病に苛まれていた人に、軽々しく『また』だなんて言ってしまったことは、恨まれても仕方がない。いや、恨まれるべきだと僕は思っていた。
『えっ? どうして?』
なのに藍那が、まるで本当に分からないのだとばかりに首を傾げる。あまりにもまっすぐな反応に、僕は一瞬、言葉に迷う。
「どうしてって……こうして本当に会いに来るくらいだから、その、心残りとかでとあるのかなって」
『心残り。うん、心残り……かぁ』
そして、まるで感慨深そうに反芻する藍那に、僕はまた返す言葉を見失う。この歳で生きられなかった相手に向けて、あまりにも軽率な言葉選び。少なくとも僕は、あの頃から何も変われていない。
そんな僕は、藍那にどう映ったのだろう。
『あったけど、もうなくなったよ。ほら、こうして会いにこれたから』
まるで、本当に嬉しげに。記憶にある笑顔をもっと素直に咲かせたみたいな、目を逸らしたくなるような表情で。
「どうして」
思わず、言葉が口をつく。
「どうして、僕に?」
まるで意味のないような、だけど本音が。大した名前のない間柄。せいぜいが、互いに気になっていそうだった、その程度の。
『約束したから。ねぇ、ちゃんと覚えてる?』
そして、だけど藍那は屈託のない笑みを添えて言う。まるで僕に都合のいい言葉は、胸を刺すように響いた。
忘れたわけじゃない。
だけど、ずっと覚えていたわけでもない。不意に思い出して、真に受け続けることが恥ずかしくて、覚えていることが申し訳なくなるような、身勝手な期待。大した意味なんてない話だと思っていたんだ。今も、いっそ本当は恨んでいたと言われたほうが信じられるくらいに。
『だから、元気で待ってて、って。ちゃんと、そうだと嬉しいな』
なのに、僕の知らないことを教えてくれた藍那が、僕の覚えている約束をなぞる。単純な言葉の綾だと思っていた、今となっては祈りも別れにも似たようなエール。
『私がそんなこと言っちゃったから、困らせちゃったかな?』
罪悪感に似た呪いのような。僕は思わず、藍那の言葉にいつの間にかうつむいていた顔を上げていた。空の切れ端に、朝が滲む。
『ごめんね。でも私、多分思ってるよりずっと嬉しかったんだ。また会えるって聞いてくれたこと。だから』
それはちょうど僕が、会えるかなだなんて聞いた時と似たような。どこか寂しげにすら見える表情で。
『その時の、その言葉。嘘じゃなかったならいいなって、本当に思ってる』
いつか、まるで何かを覚悟したみたいに僕を見ていた時と同じように、真っ直ぐに。だけど柔からな、笑顔のような優しい表情で。
僕はずっと、何か思い上がったような勘違いをしていたのだと思っていた。
藍那の死は、無視するには近すぎた。だけど背負って生きるだなんて宣うには、勘違いみたいに遠くて。
ささいな約束は、すがって生きるには淡すぎる。僕なんかが何か特別なことを思うのは自分に酔っているみたいで嫌気が差すのに、忘れてしまうわけにはいかなかった。いっそ恨んでくれていたほうが気持ちの置き方としては分かりやすいと思っていたくらいに。
「仲良くなれそうだったって、思ってた」
まるで場違いな本音が口をつく。軽率に、だけど少しの浮ついた予感。気が合いそうだって思っていた。次があれば、何かが始まりそうなくらいに。
「だから、本当に会えないって知って。本当は、寂しいって言いたかった」
こんなワガママ。押し殺したかった浅い本音。藍那の死に、僕が向き合ってもいいんだ、って。
『本当に? じゃあ私、今度こそ、思い残すこともないよ』
そして、もうすぐ朝が来る。色づき始めた色合いに、溶けていくように。
『私の分まで、だなんて言えないけど。元気でね』
何を思って口にしたのかが今も掴めない『あと一回だけ』だなんて約束が、本当に現実になってしまいそうな、そんな幻。
今も、自分で身勝手だと心のどこかで思いながら。なのに僕は今更寂しくて、目の前の景色が涙ににじむ。まるで誰かがいなくなってしまったみたいに。
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