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あと一回
「私、転校することになったの」
朝から調子が悪そうに塞ぎ込んでいたクラスメイトを、学級委員として保健室に送っていく最中。その本人、皆内 藍那が声を潜めて僕に言ってきた。
授業中で、他に誰もいない廊下。ささやく声は響きすぎるほどで、聞こえなかったふりもできそうになかった。
だけど、言葉に詰まる。どう返せばいいか迷ってしまったから。
この中学に上がって知り合った子。共通の知人がいるわけでもない。ただ、1年2年と同じクラスになって、機会があれば話す、それだけ。
何度か同じ委員を2人でこなした。気は合うように思う。多分互いに友達は少なくて、もしかすると、互いに何か気になっているかもしれない。それだけ。
距離感に迷っていた。ただ、一向にまとまらない返答を他所に、仲良くなる機会を無くしちゃったんだな、だなんて他人事みたいに考えていた。
「……寂しくなるな。残念だよ」
だから、無理やり浮かべたこの言葉が、ちょうど僕の本音なのだと思う。仲良くなる機会を無くした。仲良くなれそうな気がしていた。
「そう言ってくれて、ありがとう」
そして、この子の方は、どう思っているのだろう。
「……私も、同じ」
何か迷ったような間を置いた、続き。何を思って内緒話みたいな切り出し方をして、何を感じて、まるで怯えるみたいにして俯いているのだろう。
僕は。
「なぁ。また会えるかな?」
何か思い違いをしているのだと、自分でも分かっている。ちょっとした状況の諸々に都合の良い解釈を重ねて、何か、予感のような熱に浮かれて。前のめりに、少し重いはずの言葉を投げていた。
すぐに言葉が返ってこなくて、言った僕自身が後悔するような沈黙。彼女が、藍那がなんだか泣きそうにも見える沈んだ表情を浮かべていて、なんだか罪深いことをしてしまったと僕まで泣きそうになる、そんな無言の足音が続いて。
何故だろう、不意に隣で藍那が一人、声もなく頷いた。
顔を上げたときには、まるで何か覚悟でも決めたみたいに、真剣な表情をしていたから。思わず、見ている方が胸が高鳴るほどの。
「あと一回だけ、会えるよ」
そして、だけど言葉の意味が掴めない。
「一回だけ。でも、絶対に会いに行くから。それまで元気にして待っててね」
まるで、これから戦場にでも赴くような、まっすぐな声色。なのに気のせいでなければ、ちょっとだけ、僕を見る顔に笑みをにじませていた。
どういうことなのか、聞き返すことができなかった。安易に言葉を返せないほど、何か意を決したような雰囲気に。そして、まるで気圧されたまま保健室に行き着いたから。
そして「ごめんね」だったか「ありがとう」か、それとも「またね」だったかも思い出せないような、適当な相づちを返す。それだけ。
それが、藍那と交わした最後のやりとり。彼女は僕の知らぬ間に本当に転校していて。
数年後。まだ高校を卒業しないような歳の頃に、長く患っていた病気で亡くなったのだと風の噂で耳にした。
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