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今こそ
今だ……。今こそ決行するときだ。
愁田は緊張をほぐすようにふっーと息を吐いた。
形のいいきりっとした眉、すーと通った鼻筋、切れ長の涼しげな目元、その整った顔が今は苦渋に満ち怯え歪んでいる。
ここは十階だ。ここから飛び降りれば確実にこの世とおさらばできる……。
愁田はおずおずとベランダの手すりに両手を置いた。
夜は深い。漆黒の闇が、まるでこの世を暗黒の世界へと塗りつぶしているかのように見える。
この闇のなかに落ちていけばいいだけのことだ。もうとうに俺は真っ暗闇のなかに堕ちているのだから……。
震える心を抑えると、意を決し、手すりから身を乗り出した。
その時、ジャケットの内ポケットでスマホが震えた。
愁田は傾いている身体を慌てて元に戻すと、反射的にスマホを取り出していた。
このスマホは殺人依頼のときにかかってくる仕事用だ。いついかなる時も持ち歩いていた。
「はい」
愁田は闇のように暗く沈んだ声で電話に出た。
依頼の仕事を承諾をし電話を切ると、愁田は頭を抱えた。
あぁぁぁぁ……何やってんだ俺は……。こんなときにスマホを持ってきてしまうなんて。おまけに電話に出るなんて……。
仕方ない、あと一回だけだ。あと一回仕事をし終えたらそのときは……。
だが、愁田はどこかホッとした気持ちになっていた。
その気持ちを打ち消すように、あと一回、あと一回と何度も心のなかで呟きながら、部屋のなかへと戻っていった。
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