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「ヤバイヤバイ。出ちゃう出ちゃう。ほかを探さなきゃ」
コンビニのトイレに駆け込んだらすでに二人並んでいた。あそこに並んでたら出ちゃう。間違いなくお腹ゴロゴロピーちゃんが出ちゃう。私は反射的にコンビニ前の駅の改札に向けて走った。
「痛っ!」
「あ、すいませーん。今、チョー急いでいるもんで」
コンビニの出口で誰かさんとぶつかった。けど、今はそれどころじゃない。
朝と夕方は駅員がいるけど、それ以外は無人駅になる単線の昼間はほぼ誰もいないからあそこなら空いているはずだ。コンビニだって普段ならこの時間はガラガラなのに、なんで今日に限って二人も並んでいたんだ。国道に抜ける道が開通した為にいきなり客が増えている。
改札を全力疾走で駆け抜けてトイレに向かったが、ホームの一番端っこにある。
なんで、よりによってあんな遠くにトイレ作ったんだ。全くもう。
今の私はきっと、日本で誰よりも速いはずだ。百メートル女子オリンピック代表選手よりも速いと思う。それほど通り過ぎる景色が色と線にしか見えない。こんな経験は初めてだ。
そして遠くから見ても分かる。ポツンと建っている一つしかない男女共有のトイレには誰もいない。きっと、空いているはずだ。中に誰もいないことを祈る。トイレに到着しノブを掴み、思いっきりドアを開けようとしたけど万が一おっさんが座っていたらと思って、いったん落ち着いてゆっくりドアを開けると、誰もいない。全身の筋肉がゆるみ、ほっとしてズボンを下げて便座に座った。その瞬間に全てが一気に流れた。間に合った。ヘリコプターのようなスンゴイ音が鳴り響いたけどここはホームの端で次の電車まで二時間以上あるから誰もいない。私は間にあった。大人のレディーとして漏らすようなことはしなかった。偉いぞ私。
顔がふにゃーとなったのが自分でも分かった。幸せとはこのことだ。私は今、幸せの絶頂にいる。その直後、私は不幸せが間近に迫っていることを知った。
トイレットペーパーがほんの少ししかない。無いわけじゃない。あることはある。けど、ほんのちょっぴりしかないのだ。おそらくこれでは私のお尻を拭き切ることは相当難しいだろう。私はよーく、考えた。これは計画的に使わねばいけない。そこでトイレットペーパーを先に、使うぶんごとに巻いてカットすることにした。一回目のぶんはやや多めにしなくてはいけない。水分の多いピーちゃんだったから出来るだけ一回目で吸い取ってもらわなければいけない。次に二回目はその半分の量にした。三回目は。三回目は、もう、さらにその半分しか残っていない。これでは手に付いてしまうのではないだろうか。そしてそれで終わりなのだ。せめて芯があればそれも使えたのに、芯なしなのだ。コアレス、というのだろうか、いわないのだろうか。一回目のペーパーを少しだけやぶって三回目に足してみたがこれでは一回目が少なすぎて、大量の水分を吸い取るという大事な仕事が出来なくなってしまう。私は泣く泣く破ったペーパーを一回目に戻した。もう、これでやるしかない。
が、その時、気がついた。
「あっ!バカバカ私ったら、ティッシュペーパー持ってたじゃん」
そうだったそうだった。ポーチにお化粧道具の他に、ティッシュが入っていたわ。やっぱり気が動転しているのね。いつも持っているのを忘れるなんて。
「え?」
「あれ?」
「持ってない」
「うそー、ポーチが無い!」
お財布もスマホも入っている、ポーチが無い!。
あ、あそこだ。コンビニのドアで誰かさんとぶつかった時に落としたんだ。
ピーちゃんがすぐそこまで顔を出しかかっていたから、それどころじゃなかったけど、あそこで落としたんだ。
しょうがない。これだけで拭き切るしかない。
スマホも財布も大事だけど、今はもっともっと大事な局面にいることを認識しなきゃ。
落ち着いて最初のペーパーを右手に持ち、右お尻のほっぺたを少し上に上げて肛門を軽くなでるようにゆっくりとトイレットペーパーをやや回転させるように拭った。
見るとかなりの液体がペーパーに染み込んでいる。雫が手のひらに落ちそうになったので慌てて便器に落とした。
一回目は計画通り、うまくいった。二回目、ペーパーの量がかなり少ない。さっきの半分だからしょうがないけどとても不安だ。さっきと同じように右のお尻のほっぺたを軽く上げて肛門を軽く撫でると、たくさんの液体が手のひらに落ちてきた。
「うわっ!」
持っていたペーパーを便器に落とし、反射的に残ったペーパーで手のひらを拭いた。
「あっ!」
ヤバイ!最後のペーパーを思わず使っちゃった。
「バカバカ私ったらバカ。どうするのこの後」
私の想像よりも液体がとっても多いピーちゃんだったんだ。
ウォシュレットやシャワートイレが付いていたら助かったのにー、と言ってもしょうがないけど言っちゃう。
あと一回。せめて、あと一回分のトイレットペーパーさえあれば私の人生は明るかったのに。狭いトイレをぐるっと見回したけど何もない。ゴミ箱すらない。少しだけトイレのドアを開けてみてもめぼしいものは何も見当たらない。「絶望」という言葉が私の頭をよぎる。
その時だった。二十メートルほど先に落ちている絡まった枯葉が風に転がされて一気に五メートル手前まで近づいた。結構なボリュームの枯葉のかたまりだ。
「イケる!風さん、もうちょっとこっちに吹いて。お願い。今の私にとって、それは何にも変え難いほど必要なの。もう少しだけ近づけて。せめて二メートルくらいまで来たらこの中腰の姿勢のまま取りに行くから」
そしたらほんとに少しづつトイレに近づいてきた。いい感じの風が枯葉のかたまりをバラバラにしないで私の近くに寄せてくる。よし!取りに行こう!と、思ったその時だった。
急にあらわれた白い猫が、動いている枯葉のかたまりに突っ込んだ。生き物と思ったのか、猫じゃらしに見えたのか。その瞬間、枯葉はバラバラになり全部どこかに飛んで行った。
突然の急展開に私の頭は真っ白になった。
「なになに。なんなの?なにが起きたの?あんたなんで急に出てきたの?」
その声で私がいることに気づいた白い猫は喉をゴロゴロ鳴らしながらトイレに入ってきた。
最後の希望が崩壊し生きる力を失った私はその直後、全く考えてもいなかった行動に出ていた。
その猫の背中にまたがって、肛門を五回も六回も七回も猫の毛で拭いたのだ。
「フギャー」と鳴いてその猫は外に走って行った。途中で止まって全身を震わせていたが茶色の液体が飛び散っているのが見えた。白い猫だったけど、茶色の猫になっていた。
「あなたが悪いのよ。あなたが」
スッキリした私はパンツを上げ、ズボンを履いて外に出た。
心地良い風が吹いている。
事件は何も起きなかった。
世界は今日も美しい。
深呼吸し、両手を大きくひろげハミングしながら二回ターンをしてホームをゆっくりと歩いて改札に向かった。
「そうだコンビニでポーチが落ちていなかったか聞かなきゃ」
改札を出てコンビニを見ると、馴染みのアルバイト君がほうきを持って入り口のところに立っている。
「あっちいけ。臭いんだよお前」
さっきの茶色くなった猫が入り口の近くに座っている。
「あ」
猫と目が合った。その瞬間、猫が私に向かって走ってきた。
私は全力で逃げた。逃げなきゃ、逃げなきゃ。早く、早く。トイレに行く時よりも早く感じる。景色が色と線になった。
逃げながら一瞬後ろを振り向いたら、怒りで目が血走った猫が私の背中に飛び乗る寸前だった。
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