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「泡風呂?」
「せや。安藤さんがくれてん。新婚旅行のお土産が気に入ってくれたらしゅうて、お礼がしたい言うて…」
「ふーん…」
それは、四国の新婚旅行から一週間あまり経ったある日の夜。
仕事から帰ってきた藤次が差し出したバスグッズの詰め合わせをまじまじと見つめる絢音に、藤次はツイと距離を詰め囁く。
「泡で身体見えんし、絢音身体小さいからウチの浴槽でもいけるやろし、そろそろ旅行の時みたく一緒に風呂…入らへん?」
「えっ!?」
忽ち真っ赤になる絢音に、藤次は残念そうに眉を下げる。
「やっぱり、あかんか…冗談や。聞き流して?」
そう言って頭を撫でて着替えようと立ち上がる藤次の背広の裾を、絢音は徐に引く。
「絢音?」
「ホントに、見えない?裸…」
「えっ?!そりゃあまあ、種類によるけど…普通の湯よりは、見えんと…思う…で?」
「………なら、良い。」
「へっ?」
キョトンとする藤次に、絢音は詰め寄る。
「良いって言ったの!気が変わらないうちに、用意して!!早く!!」
「えぇ……」
半ば逆ギレに近い絢音の発言に気圧されながら、藤次は着の身着のままの格好でバスタブの蛇口の真下に入浴剤を入れて、水道を目一杯開く。
すぐさま泡が沸き立ち、湯気と共に、バスタブの中が白く濁っていく。
「(さり気なくですよ?くれぐれも焦らずに!女性はホントに繊細なんですからね。分かりましたか?検事。)」
「…この歳になって、まぁだ女の事で説法されてまうなんて、ホンマワシ…天狗やったんやなぁ〜」
ーー男に生まれて45年余り。
女に関しては、酸いも甘いも苦みも苦しみも味わってきたつもりだし、それなりに分かったつもりでいたが、絢音と出会って、今までの手が全く通用しない、まるで未知の存在と相対してるようで、こうして周りに頭を下げては、彼女との距離を縮める為に日々知恵を借りる始末。
我ながら情けないとため息をついていると、湯船がいっぱいになってきたので、藤次は絢音を呼びにいく。
「風呂…出来たで?浴槽の底滑っとるなら、足下気をつけて入りや。」
「ん!」
顔を真っ赤にしながら勢いよく頷くと、ギクシャクした足取りで脱衣場に向かう絢音を心配そうに見つめながら、スーツを脱いでネクタイを解きハンガーに掛けて、こっそり脱衣所を覗くと、既に彼女の姿はなかったので、ドキドキしながらシャツと下着を脱いで、徐に風呂場のドアを開けると、身体を洗っていたのか、真っ新な裸の絢音が視界に飛び込む。
「あっ……」
「なっ……」
互いに真っ赤になり見つめ合っていたが、先に藤次が我にかえる。
「ごめん!!」
勢いよく戸を閉めて、背中を向けて口を手で押さえる。
「あかん…モロ見てもうたし、見られた…はず…」
女の裸なんて飽きるほど見てきたし、自分も散々…もっと言えば大胆な様も晒してきた。
けど、こんな一瞬の見つめ合いだけで、こんなに胸が苦しくて、恥ずかしくて、照れ臭くなるのは初めてで、手を離したら心臓がまろみ出そうなくらい高鳴って、息もできずに佇んでると、絢音の声が風呂場から聞こえる。
「もう、いい…入ったから…」
「え、ええの?ホンマに?」
問いかけに対し、少し沈黙が漂ったが、ちゃぷんと水音がしてから、また彼女の声が耳に触れる。
「早く来てくれないと、熱いから、のぼせちゃう…」
「ご、ごめん!温度調整気づかんで。じゃあ、そっち、行くな?」
「うん。」
小さな水音と一緒に聞こえた声に引き寄せられ、扉を開けて中に入ると、湯船から垣間見える、小さな肩と細い項。
黙ってシャワーを浴びて身体を洗ってから、ゆっくりと湯船に浸かり、彼女と向かい合わせになる。
シャワーの残り水が床に滴る音が静かに響く中、ゆっくりと藤次が口を開く。
「嫌なら、ええんやけど、抱き締めて…ええか?」
「…………」
ちゃぷんと、湯船に肩まで浸かると、絢音は黙って、膝を抱えた状態で藤次の胸元にすっぽりおさまるような感じでやってきて、甘えるように縋り付いてきたので、そっと、か細い肩を抱く。
「心臓…ドキドキいってる。」
「当たり前や。惚れた女が、裸で…こんな近くにおるんや。恥ずかしいに、決まっとるやん。ワシ…肌の色も浅黒いし、そないエエ身体付きちゃうし…」
「同じよ…私だって、小さいばっかで全然魅力的じゃないし…」
「そんなことない!!綺麗やった。すごい…綺麗やった…」
「あ……」
熱のこもった藤次の瞳に正面から見据えられ、絢音の心音も高鳴り始める。
「目…閉じて?キス…したい…」
「……うん……」
促され、濡れた睫毛に縁取られた瞳を閉じると、優しく唇を重ねられて、互いの心臓が跳ね上がる。
何度か重ねては離してを繰り返しているうちに、藤次が額を擦り合わせて、またも口を開く。
「もっと、していい?深い…キス…」
「うん…キスだけ、なら…」
「ほんなら、もっとこっち、来て?」
しなだれ掛かるように藤次の腕に抱かれると、顔を下から両手で丁寧に持ち上げられ、藤次の舌が唇をなぞるので、ゆっくりと口を開くと、熱を持った舌が入って来て、口内を愛撫される。
湯の温度か、それとも甘ったるいキスのせいか、段々意識が朦朧として来たかと思うと、フッと、絢音の身体から力が抜け落ちる。
「絢音?!」
遠くで、藤次の悲鳴のような声が聞こえたが、応える余裕はなく、絢音はゆっくりと意識を手放した。
*
「ん…」
ゆっくり目蓋を開けると、見慣れた寝室の天井と、頭に感じる冷たい感触と、心配そうに自分を見つめる藤次の顔。
「藤次さん…」
「ああ良かった。気ぃついた。ごめんな?湯あたりするまでおらせて…」
「いいの…私も、言わなかったのが悪いし…」
「そんなん…お前が謝ることなんて何もない!全部ワシのせいや…ごめんな…」
優しく顔に触れる大きな手に頬ずりして、絢音は首を横に振る。
「私も悪いの。お互い様。だからそんなに、自分を責めないで?お願い…」
「せやけど…」
それでも藤次が哀しげな顔をするので、絢音はゆっくりと、握りしめた手を自分の胸に導く。
「絢音?」
「抱いて?折角できるようになったのに、旅行から帰ってからと言うもの、あなた以前と同じで全く触れてくれないから、だから私…勇気出して、お風呂…一緒に入ろうと思って…」
「そやし、まあ、できるようになったんわ嬉しいんや。せやけど、その…風呂に誘っておいてなんやけど、本音いうとワシ…嫁さん貰うの初めてやし、遊びやないんやと思うたら、だんだんお前にどう接してエエか分からんなってもうて…なんか色々…恥ずかしいて、苦しい…」
「藤次さん…」
初めて聞けた彼の本音が嬉しくてにこりと微笑むと、藤次が徐に横に寝そべり、身体を抱き締めてくる。
「好きや…」
「うん。私も、好き…」
見つめ合い、自然と唇が重なり、藤次の手がそっと絢音のパジャマを捲り上げる。
「……電気、消して?」
「う、うん…」
ドキドキ胸を鳴らしながら、部屋の電気を消し、ベッドサイドの淡い間接照明だけにすると、再び抱き合い、互いの衣服を脱いでいく。
「ん…あ…藤次…さん…」
優しく優しく、露わになった素肌を愛撫され、身悶えながら己の名を呼ぶ絢音が愛しくて愛しくて、藤次はギュッと腕に力を込めて彼女を抱き竦める。
「もう、離さへん…愛してる…」
「私もよ。ずっと側に居させてね?愛してるわ。藤次さん…」
「ああ、ずっとずっと…俺らは死んでも、一緒や…」
「うん…」
そうして見つめ合い、身体と心を重ねて、行為を終えた後も互いを抱きしめたまま、満ち足りた微睡に落ち、また一歩心の距離を縮めた、藤次と絢音なのでした。
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