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〜7月の空〜
殴られて、蹴られて、痣だらけになったズタボロの僕は、屋上へと続く階段をのらりくらりと登って行った。
別に、自殺なんてことは全く考えていない。
ただ、なんとなく空を見たかった。
空を見れば、痣も痛みもすべて洗い流してもらえそうな気がしたから…
屋上までの道のりは、ひどく遠く感じられた。
僕は途中、何度も躓きかけた。
それでも、足は勝手に階段を登っていく。
屋上の重たい扉を、両手で力いっぱい押しやると、一面に空が広がった。
その空を背景に、まるで吸い込まれるかのように、少年が一人、こちらに背を向け立っていた。
僕は黙って少年の隣に並んだ。
「空が近いな…」
少年は言った。
透けるくらいに白い肌をした綺麗な顔が、じっと空を仰いでいた。
少年の名前を、僕は何故だか知っていた。
彼の名は、ザビオと言った。
彼の眼は、遠い空と同じ色、深くて濃いまるでオリエントブルーのようだった。
不意に階下から、4時限目終了を告げるチャイムの音が聞こえてきた。
とうとう、体育の授業をサボってしまった。
浅田先生は、きっとめちゃくちゃ怒るだろうな…
想像するだけで、胃がキリキリしてくる。
「そろそろ戻らないか…?」
そう言おうとしたけど、言葉に出来ず飲み込んだ。
彼の眼には、涙が溢れていた。
あぁと思う間に、静かに頬を伝っていった。
「空が……」
彼は言葉を言いかけた。
僕も、蒼く澄み切った空を、眼を細めながら仰ぎ見た。
でも、彼はそれ以上何も言わず、漸く僕の方へ顔を向けると、
「俺は先に行くぞ……」
ぶっきらぼうにそう言って、さっさと歩き出して行ってしまった。
一体、さっきまでの涙はどこへやら…
まるで何事もなかったかのように、飄々と歩いていく彼の背中を、僕は半ば呆然と眺めていた。
それが、僕とザビオとの出逢いだった。
彼は僕より一学年下で、聖涼学園中等科の二年生だった。
部活は陸上部で、棒高跳びをやっていた。
そして彼は、トルコ人の母と日本人の父を持つ正真正銘のハーフだった。
これが、彼に関する僕の知るところのすべてだ。
あの日以来僕は、昼休みになると決まってあの屋上へと行くようになった。
そこには、大概彼がいたからだ。
彼は僕より一つ歳下だったけれど、僕に対して敬語なんか一っ言とも使ったためしがなかった。
どこか生意気風な口の利き方が、彼のスタイルであるらしかった。
僕は、彼のそんなところに惹かれていた。
と言っても、恋愛とかの意味じゃなく…だと思うが…多分。
僕はザビオと、晴れた日の真っ青な空を、ただ黙って眺めているのが好きだった。
僕とザビオとの繋がりは、空だったから。
あの日、もし僕がクラスの不良連中から殴られず、無傷であったなら、空を見たいだなんて思わなかっただろう。
空を求めるのは、傷ついているからだ。
心のずーっと底の方に、深い深い空の色と同じくらいの痛みを、きっと抱えているからだ…って。
ザビオは、そう、そんな瞳をしていた。
深みのある、その二つのオリエントブルーは、一見どこまでも純粋で澄んでいるかに見えるけれど、何か底知れない哀しみを、奥深くに湛えているかのような、そんな気がしてならなかった。
少なくとも僕にはそう感じられたし、それが、ザビオに惹かれた真実だったのかもしれない。
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