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4
その日を境にして、亜由美と亮介の仲は段々と深まっていった。深まったと言っても身体の関係などない、何でも話せる友達関係。
そんな関係が三ヶ月ほど続いたある日、カフェのテーブルに紅茶を置くと亜由美はこう言った。
「最近は夫のことで悩まなくなりました」
亮介はアイス下のコーンフレークをすくおうとしたスプーンを止める。
「それは良かった。夫婦円満が一番ですから」
「いえ、もう夫婦関係は破綻しています。私、決めました。夫と離婚します」
(よっしゃあーっ!)心を躍らせる亮介。
「離婚ですかぁ〜。破綻しているなら、それもアリですね。亜由美さんは美くて若いから、すぐに次の男性が表れますよ」
「そんなことないです、私なんか……」
「亜由美さん、アナタは自分の魅力に全く気づいていないんですね。アナタは美しい、そして清楚で優しい女性だ」
本当に、妻と比べたら亜由美は月、芽衣子はスッポンだ。透けるように白くて柔らかそうな肌。触れたらどんな感触なんだろう?亜由美は、その柔らかそうな頬を包む。
「有り難うございます。そんなことを言ってくれるのは東さんだけですわ」
「東さんではなく亮介と呼んで下さい」
「えっ?そんな恥ずかしいわ」
「恥ずかしがらずに、ほら、呼んでみて下さい」
亜由美は顔を真っ赤にして俯くと小声で言った。
「りっ、亮介さん」
「さんは余計です。亮介と呼んで下さい」
「亮介」
「はい、佐倉さん」
「あの、私のことも亜由美と呼んで下さいませんか?」
「あっ、亜由美さん」
「さん、は余計です。呼び捨てで」
「はっ、はい」
亮介は拳に咳払いを落とすと囁くように呟いた。
「亜由美」
なんだろう、胸の中に遠い昔に感じた感情が押し寄せてくる。遠い昔の感情、それは初恋だ。初恋の彼女は、あまりに大切で手さえ繋げないほどドキドキしていた。あの日と同じよう、亮介の胸は激しい波に揺れていた。
業者には、定期的に依頼者である佐倉忠彦に報告する義務がある。忠彦は注意深い性格でネット関連や通話履歴など、足跡を残すのを非常に嫌がり定期的にどちらの場所からも遠い喫茶店で待ち合わせ、報告を聞いた。
亜由美に離婚の意思があると伝える。すると忠彦はこう言った。
「成功報酬を三倍に上げ、依頼内容を変えても良いですか?」
「三倍?」
「はい、三倍です」
三倍とはおいしい。「依頼内容は?」と食いつく亮介。だが、内容を聞いた瞬間、彼は大きくのけ反ることになる。
「妻を殺して下さい」
「なっ、なぜ?理由は?」
「生命保険金です」
「生命保険……」
「はい、妻が死ねば保険金三千万が夫であるわたしに支払われる。愛人とも結婚できるし一石二鳥なんですよ」
「ちょっと待って下さい。その依頼は引き受けかねます」
「ダメですか?では五倍にしましょう」
「いや、そういう問題ではなく犯罪行為の依頼はお引き受けできません」
「そうですか……」
忠彦は肩をガクリと落としブラックコーヒーを喉に流し込んだ。
「では別の方に依頼します」
カップを持つ手が震える。亜由美を殺害し、この男は金と愛人を手に入れようとしているのだ。亜由美の殺害を提案したのは愛人だと忠彦は語る。
殺人依頼は断り契約は終了。ここまでの料金を手にした涼介だったが、全身は怒りに満ちていた。
後日、彼は料理教室に入ろうとする亜由美を呼び止め、人気のない路地裏に誘った。
「話ってなんですか?」
首を傾げる亜由美に振り返る亮介。
「アンタの旦那は浮気している」
亜由美の瞳が揺れた。
「浮気」
「いや、浮気ではなく旦那は愛人に本気らしい」
「亮介は夫を知っているの?」
「ああ、俺はアンタの旦那に依頼された別れさせ屋だ」
「別れさせ屋?」
「愛人に本気になった旦那はアンタと別れたがっていた。だが、不倫がバレて慰謝料は取られたくない。だから俺にアンタと不倫してくれと依頼しにきたんだ」
亜由美は口を両手で塞ぐ。
「ああ……そんな、嘘よ」
「嘘じゃねぇ、これが契約書だ」
亮介が差し出した契約書を受け取り目を通すと、亜由美の手から紙が滑るように落下した。
「酷い!」
「酷いのはここから先だ」
「先?」
「昨日、旦那は俺に依頼変更をしてきた」
「変更?」
「そうだ。旦那にアンタを殺せと依頼されたよ。アンタ、三千万の保険に入ってるんだろ?旦那はその金が欲しいと言った。つまり金を受け取ってから愛人と結婚するつもりだ」
「待って、頭が混乱して……」
亜由美は瞳を泳がせながら、膝を路上に落とす。
酷く動揺している。当たり前のことだ。亮介は後を追い路上に膝をつくと、亜由美の肩を抱いた。
「あんな旦那とは早々に離婚するべきだ」
「うぅ……うあっ……あああ……っ」
段々と亜由美の嗚咽が酷くなる。たまらず亮介は、背中に腕を回し彼女を抱きしめた。ビックリするほど柔らかい。
「俺が亜由美を守る!絶対に守るから!」
「亮介……」
少しの隙間を開き、亮介は亜由美を熱く見つめた。
「俺、亜由美が好きだ」
亜由美の頬から大粒の涙が頬に落ちる。亮介は口づけて涙を吸う。亜由美は彼の背中に両手を巻きつけた。
「私もアナタが好き」
その日、二人は料理教室には顔を出さず、ホテルの一室で肉体関係を結ぶことになる。それは愛するが故の行為であった。全てが終わると亮介は亜由美の裸体を抱きしめたまま告白した。
「亜由美に嘘ついてたことがある」
「嘘?なに?」
「俺、既婚者なんだ」
「そう」
予想に反して亜由美は驚かない。それどころか「予想してた」と言った。
「だって亮介みたいな素敵な男性が独身なわけないもの」
ふふっと微笑する彼女を彼は更に強く抱きしめる。
「妻とは離婚する」
「えっ?」
「離婚して、亜由美と結婚したい」
「亮介……」
「こんな俺じゃダメか?」
「ダメだなんて……」
亜由美は彼の頬を両手で包み唇を寄せる。そして囁いた。
「そうなったら嬉しい」
二人にとって甘い日々が流れてゆく。亮介は芽衣子に離婚を要求。芽衣子は承諾するも「準備をするから少し待って」と離婚届に判を押してはくれなかった。
ホテルでの密会時、亮介は芽衣子に離婚を切り出したことを亜由美に報告。彼女は「そう……」と言ったきり沈黙してしまう。彼の胸に不安が飛来した。
「亜由美はどう?旦那に離婚を切り出した?」
「それは、まだよ」
「なぜだ?お前を殺そうと考えてる旦那だぞ!まさか、まだ愛してると……」
「違う!もう夫に愛はない。ただ、悔しいの」
「悔しい?」
「夫への憎しみが止まらない。なんとか復讐したい」
「復讐って……」
「夫が私にしようとしてることを、夫より先にやり返したい」
それはつまり……。背筋にゾクッと悪寒が走る。
「夫は八千万の保険に加入してる」と彼女は言った。
「亮介と結婚するにしてもお金は必要よ。私の言いたいこと分かるでしょ?」
「まさか俺に旦那を殺せというのか?」
「そう、って言ったら?」
「ちょっと待てよ!俺に人殺しは無理だ。それに俺とお前には料理教室という接点がある。捜査の手は俺に伸びるだろう?無理だ」
「確かに料理教室はアナタと私の接点。でも私達の関係は誰も知らないわ」
「カフェでお茶してるの見られてるかも知れない」
「それはない。だって私達、わざわざ遠くのカフェでお茶してたでしょ?」
「それはそうだけど……。お前の旦那は俺の依頼主だ。旦那と俺にも接点がある」
「夫は用心深い人。アナタとの接点は絶対に残さないはず。だけど一つ疑問がある。夫はなぜ、表向き探偵のアナタが裏で別れさせ屋をやっていると知ったのかしら?」
「それは初回面談で旦那に聞いた。俺の存在は愛人が知っていて進めたらしい」
「そう。では夫の携帯やパソコンに別れさせ屋を検索した履歴はないわね。一応、確認はするけど警察に調べられても安心だわ」
「だっ、だが旦那を調べれば愛人の存在はバレるぞ。愛人は俺を知っている。恐らく過去の依頼者だ」
「言ったでしょ?夫は決して跡は残さない。アナタに夫の不倫を聞く前、私は疑って携帯やパソコンを調べたの。でもそんなやり取りや怪しい電話番号はなかったわ」
「削除してたら?復元されて分かるぞ」
「そんなミスを犯すような人じゃない。大丈夫、夫は完璧に隠してる」
「で、でも……殺すなんて俺には……」
亮介は抱きしめた両手を解いて彼女に背中を向けた。すると背後から啜り泣く声が……。振り向くと亜由美は泣いていた。
「もう夫は殺し屋に私の殺害を依頼してるかも知れない。このままじゃ私が殺されるのよ」
『では別の方に依頼します』
冷たい常彦の言葉が突風の如く吹き抜ける。そうだ、ヤツは殺し屋に亜由美の暗殺を依頼するに違いない。いや、もう依頼しているかも。
「嫌だ!」
両腕が伸びて、彼女を引き寄せた。
「亜由美がいない世界なんて考えられない」
彼女は亮介の胸で頬を濡らして泣いている。そして顔を上げこう聞いた。
「アナタの奥様は生命保険に加入してる?」
「ああ、確か死亡保険金は三千万のはず」
「だったら、先に私がアナタへの愛を証明してあげる」
「証明って?」
「奥様を殺してあげる」
瞬間、亮介の頭に芽衣子のしかめっ面が浮かんだ。
『低収入!』『役立たず!』『消えろ!』
彼は毎日、妻から罵声を浴びせられ続けていたのだ。あんな女には未練もクソもない。死ねばよい、と何度思ったことか。
「三千万かぁ〜」
亜由美の白い背中を撫でながら考えを巡らせる。やがて彼の中で結論が出た。
「先に妻を殺ってくれたら、俺も旦那を殺そう」
二人で決めた決行日、夜空には満月が輝いていた。
亮介はアリバイ作りのため、友人三人を居酒屋に誘う。なるべく人目につくには目立つ行動が良い。亮介は酔い潰れた振りをし居酒屋内で暴れ、スタッフから注意を受けた。居酒屋の次はキャバクラ。ここでも暴れ黒服から店外に追い出される。
「ったく、お前には付き合いきれないよ」
友人達は呆れながら帰っていった。足がつくのでスマホに連絡はない。これは夫を見習い、前々から亜由美が徹底としていたことだ。
午前零時過ぎ、亮介は、いくら飲んでも酔えない頭で帰宅した。今日を決行日にしたのは、昨日から体調を崩し、妻が仕事を休んで寝込んでいたからだ。施錠はワザとしなかった。事務所を通り過ぎ隣室に繋がる扉を開く。予定だと、芽衣子は死んでいるはず。ゴクリと唾を飲み扉を開く。
室内は暗い。照明スイッチに伸ばす指先が震えていた。照明と共に自分の目に映るのは妻の死体のはず。
覚悟を決めてスイッチを押す。パッと明るくなり部屋の全体が見えた。競馬新聞やらコンビニ弁当の空容器で散らかった室内。家具はテレビ台とテーブルと横長のサイドボードのみ。広さは約八畳。室内は見回さなくてもパッと見で分かる。芽衣子の姿はどこにもない。
妻が寝ていたはずの布団も敷きっぱなしでもぬけの殻。これはどういうことだ?
色んな妄想が彼を掻き立てた。
(亜由美は芽衣子を殺そうとしたが、芽衣子が暴れて失敗。今頃二人は警察署?)
(急に体調が良くなり芽衣子は出勤。亜由美は予定通りに忍び込んだが芽衣子はいなかった)
まずは妻の勤務先に連絡してみよう。スマホをポケットから取り出す亮介。だが、待てよ、と思った。普段から心配性の夫なら連絡してもおかしくないが、アフターがあれば妻の帰宅は朝方。自分は承知しているので連絡なんかしたことはない。今、連絡するのは明らかにおかしいし、妻が死んでいた場合、疑われる要因になる。
亜由美の連絡先は跡がつくので知らないから確認のしようがない。芽衣子は死んだのか、それとも生きて仕事場にいるのか?
その時、コンッと窓に何かが当たる音がした。ここは二階。カーテンを少しだけ開くと、下の樹木からこちらを見上げている顔があった。間違いない、亜由美だ。
亮介は事務所の扉を開き階段を駆け降りる。路上に人通りがないことを確認してから亜由美の元へ走った。頭までスッポリ隠した真っ黒いパーカーに同色のズボン。亜由美は後方に親指を向けた。
「話は車の中で」
「分かった」
路肩に駐車されていた車の助手席に乗りドアを閉めるとタイヤはすぐに回り始める。亮介はハンドルを握る亜由美に聞いた。
「妻は?」
「殺したよ」
「どうやって?」
「ベルトで首を絞めた」
「家に妻の死体がない」
「亮介のショックを考えて山に埋めてきた」
「山に?」
「うん、妻の死体なんて見るの嫌でしょ?」
「それはそうだけど……」
何か言いたそうな彼に亜由美は口角を上げる。
「本当に殺したか疑ってる?」
「まあ……」
「死体、見る?少し先の山に埋めたばかりだから見に行けるよ」
「ああ、確認はしたい」
「無惨だけどショックを受けないでね」
その言葉に頷ける自信はない。亮介は下を向きギュッと拳を握った。
間もなく走ると上り坂になりカーブの多い道になった。車は途中から獣道に入る。ガタガタと凄い振動だ。フロント硝子に伸びた枝があたる音が亮介の鼓膜に恐怖を伝えてくる。少しすると視界が開けた場所に出る。そこで車は停止した。
「ここだよ」
車のライトを照らしたまま車を降りる亜由美。ライトが照らす場所には色が変わった土がある。土は小さく盛り上がっていた。
フロント硝子の向こうで亜由美は手招きしている。涼介は背中に伝う冷たい汗と共に車外に出た。
「穴はそれほど深くはないし土もあまりかけてないからすぐに遺体が見えるよ。見る?」
「ああ」
「分かった」
頷くと、亜由美はしゃがんで土を掘る。
「手で掘るのか?」
「スコップ捨てちゃったから手で掘るしかない」
「手伝うよ」
亮介がしゃがんで土に手を伸ばすと、亜由美は「触っちゃダメ!」と彼を止めた。
「なんで?」
「爪の間に土が入って暫く残るから」
「じゃあ手袋をすれば」
「軍手、捨てたし持ってない」
「聞いて、亮介」
亜由美は手を止め彼に顔を向ける。
「明日、アナタは警察に妻の行方不明届けを出すの」
「けっ、警察に行くのか?」
「そうよ。この場所は誰も通らない山奥じゃない。今は秋だしキノコを取りに山に来る人もいる。きっとこの死体はすぐに見つかるわ。その時、届けが出されていないと奥さんだって判明するのに時間がかかってしまうでしょ?」
「あっ、そうか。妻の死が確認されないと生命保険がおりないもんな」
「そういうこと。奥さんの遺体が発見されればアナタは必ず疑われ捜査対象になる。爪の先まで調べられた時、この土がアナタの爪から採取されたら疑われるでしょ?だから触れてはダメなの。分かった?」
「あっ、ああ……分かったよ」
亜由美は下を向き掘り続けている。芽衣子の顔が見えるまで、そんなに時間はかからなかった。亜由美が芽衣子の顔についた泥を手で払う。それは確かに芽衣子だった。蝋人形のような彼女が目を閉じて眠ったように死んでいる。亮介は震えが止まらない両肩を抱いた。
「ほっ、本当に死んでるのか?」
「うん、死んでる」
「絞殺って目を開けて死ぬもんだと思ってたから」
「もしかして疑ってる?」
「疑ってなんかいない。けど……」
「けど?なに?」
「本当に殺っちまったんだなって……」
「亮介を愛してるから殺ったんだよ。私の愛、分かってくれた?」
ライトに照らされた亜由美の笑みは妖艶であり不気味にも見えた。
もう、後には引けない。帰宅すると、力が抜けた膝がくの字に曲がる。でもすぐに腹の底から笑いが込み上げた。
妻が死んだ。もうすぐ三千万って見たこともない大金が手に入る。
亮介が妻の行方不明届けを出したのは翌々日だ。まずは芽衣子の勤務先に出向き、帰らない妻を心配する夫を演じる。それから届けを出した方が自然だと思ったからだ。
料理教室の日、亮介と亜由美はいつも通りに過ごし遠くの喫茶店で待ち合わせる。最初から徹底していたので二人の深い関係は誰も知らない。完璧だった。
「料理教室をやめたい」と亮介は言ったが、亜由美は反対した。理由は「どちらかがやめたら目立つ。群れには紛れて身を潜めること」これが彼女の意見だ。
今度は亜由美の夫、忠彦を殺す番。亜由美は「強盗殺人に見せかけて殺す」と亮介に言う。凶器のナイフ購入に彼女はダークウェブを勧めた。
ダークウェブとは一般的な検索エンジンでは表示されることがなく、専用のツールやブラウザを必要とするウェブサイトのことだ。非常に匿名性が高いため違法な取り引きが行われている。
長めの前髪を揺らし、首を傾げる亮介。
「ネット購入は跡がつくから危険っていつも君は言ってるじゃないか?」
「それはそうだけど、もしナイフで殺せなかった時のために拳銃も購入した方がいいと思って」
「拳銃を?」
「そう、ダークウェブなら売ってると思うの。それにネカフェのパソコンから購入手続きをすれば身元はバレない。大丈夫よ」
「でも受け取りはどうするんだ?」
「日時と場所を指定して直接受け取ればいいわ」
亮介は亜由美の指示通り、ダークウェブで軍用に使われるタクティカルナイフと拳銃を購入。決行日については、いつも二人が愛し合う場末の古いホテルで話し合った。このホテルには監視カメラの設置がないと、どこで調べたのか亜由美が密会に決めたホテルだった。
散々と肌を重ね合った後も、まだ足りないと裸体で抱き合う二人。胸の隙間を開き亜由美が顔を上げる。
「来週の水曜日の夜、友達と飲みに行く約束をしたわ」
「じゃあ決行日は水曜日の夜ってことだな?」
「ええ、私は二十一時頃家を出る予定」
「二十一時?ずいぶんと遅いんだな」
「それには訳がある」
「訳?なに?」
「夫に睡眠薬を飲ませて眠るのを見届けてから家を出るからよ」
「睡眠薬か、眠っていれば楽に殺せそうだ」
「でしょ。だから亮介は二十三時頃に来て、眠剤が効いて夫は寝ているはずだから。部屋は二階の一番奥よ。後、玄関が施錠されていないのはおかしいから裏口にある風呂場の窓から侵入してね」
「了解。あっ、でも来週が決行日って早すぎないか?」
「なぜ?」
「まだ、山に埋めた妻の遺体が見つかっていないみたいだ。警察からなんの連絡もない」
「そのうち警察から連絡がくるわよ」
「ああ、決行は妻の遺体が見つかってからで良いんじゃないかと……」
亜由美は急に表情を歪め、彼の胸を両手で押した。
「そんなの待ってたら私の方が先に殺されてしまうわ!」
亜由美の瞳が涙に溺れてゆく。
「ねぇ、ちゃんと状況を分かってる?夫は私を殺そうとしてるのよ!亮介は私が殺されてもいいの?」
「嫌だ!」
亮介は亜由美を抱き寄せた。
「俺が悪かった。水曜の夜に決行しよう」
彼の胸に迷いがなかったわけではない。恐怖と愛、両者を乗せたシーソーはグラグラと揺れている。シーソーは愛に傾けなければならない。なぜなら亜由美が妻を殺した時点で道は一択しかないのだから。
水曜日の二十三時、亮介は亜由美の家の前に立った。閑静な住宅街に人気はない。完璧だ。
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